人に限らず、生きとし生けるもの、生まれ落ちた時から縁がある。
人にとって親兄弟は切っても切れない存在で、互いのどちらかが生きている限り、互いを思いやる。その縁はやがて無数の縁につながり、自分を含め、世界中の人に良いこと悪いこと様々なことが次々無数に起こる。
なにが良いことで、なにが悪いことかなど、当の本人を含め誰にもわからない。どこかで時間を区切って、その時点での良し悪しを判定するのも一つの手ではあるだろうが、故人であれば受験の結果、就職先、結婚相手、役職などで判断したところで、どれもその時々の通過点、終着点もわからず何をもって良いか悪いかなどわからない。人生棺桶に入ったところでやっと終わるが、そうなってしまえば立派な葬儀も戒名もお墓も本人には関係なく、後はみな同じで、何も残らない。ただし、故人を弔うこと、墓参することは、残された人間の心の中に生きていてもらうためにしなくてはいけない。
人間かならず一度死ぬ(人生は一度きり、ならば楽しく生きていこう -2014年12月31日)。そのことを忘れてしまうから人間、欲が出て物事に執着する。この世に生まれた縁を大切にし、感謝してさえ生きていたら、人生の苦しみのほとんどは乗り越えることができるだろう。それは、死んだらチャラというわけではなく、犯罪に巻き込まれても受容しろというようなことでもない。病気、犯罪などは用心深く避けながら命を大切にして生きるのは、人生をより良いものとするためには必要なことだ。
つらいつらい、たいへんたいへんと思い、思ったことをむやみに口にしていたら、やがてはすべて現実のものとなる。生きていくうち出会うどれもこれも、経験することはすべては死ぬまでの過程の一つ一つに過ぎない。人様との縁を大切に迷惑かけず、敬意を払って生きることを心がけて生きていきたい。
執着せずに