こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

今年のボツ記事 2022年

2022年12月30日 | 日々思うこと、考えること
庭仕事は大体終わった。
お節料理の手伝いも適当にやりなたら一日をすごした。
今日は年末恒例の、今年のボツ記事。
今年は、


鼠害ならぬ栗鼠(リス)害対策をどうしよう・・・1月14日
鼠(ネズミ)害という言葉があるが、鎌倉では今、栗鼠(リス)害が深刻だ。栗鼠、すなわちリスはネズミ目の動物でかわいらしく、観光客が喜んで餌をやったり、写真を撮ったりしているが、いい迷惑で、鎌倉のみならず日本各地で増えて、生態系への影響や、社会生活への影響が懸念されている。いるのはタイワンリスというニホンリスよりも大型の個体で、餌が減る特に今の時期に悪さをする。

寒いのはちょっと・・・1月18日
老後は軽井沢か八ヶ岳か北海道に住みたいと思っていたが、このところのそれらの地の気温をみるとおじけづく。

マルチタスク処理能力をもっと有効に使えないか・・・1月24日
ヘッドフォンで音楽を聴きながら通勤電車に乗って、駅に着くと物凄い音量の発車ベルという名のメロディーがホームに流れる。ほぼ同時に発車するから電車から離れろというアナウンスが流れ、車内でも車掌が同じようなことを言っている。
大きな駅だと隣のそのまた向こうのホームからの音も聞こえてきて大変な音量となってその辺りの空気を震わせている。それなのに私の耳はヘッドフォンからの音楽を注意深く聞き分けている。さらにはスマホの画面内の新聞記事を選んでいる。

ブログのお手入れ・・・2月10日
 先日、ブログのテンプレートを新しくしたら、あるブロ友さんにこのブログを名指しで、

 ブログでこれをやっちゃあだめなんだよ

と書かれてしまった。さらに、このブログを友人に勧めていたものの、

 勧められたから読んでいたけど、最近このブログつまらないですね

と話しているということまで書かれた。

 気にしなければいいことだけど、尊敬しているブロガーさんにそう書かれてしまったのには落ち込んでしまった。

ノウハウをいかに商品化するか・・・3月16日
通勤電車の車内広告には、

こうやったら成功する、上手くいく、といった類の書籍が溢れている。

一昔前よりもむしろハードルが下がったのか、出版を目指すことを指南する本もあったのをみて驚いたが、コロナ禍も手伝って、出版業界は寧ろ活況なのではないかと思う。

生きることってむずかしい・・・3月23日
なにげなく息をして、なにげなく眠り目覚める。当たり前のように、空から降ってくる水を飲み、他の命をいただいて、自分の命の糧としていきる。人間誰しも同じようなことをしていて、今まさに多くの人の命を奪う暴君も、その暴君によって命を奪われている人たちもほとんど変わらないのに、今ウクライナで起きていることの悲劇はどうして止めることができないのだろう。

今後の戦況は・・・3月29日
 対空ミサイルスティンガー、対戦車ミサイルジャベリンといった高機能な兵器で戦うウクライナ軍を、ただただ戦車を何両も並べ、携帯電話で連絡を取り合っているようなロシア軍が制圧することはまずないだろう(というか演習だといって連れてこられ、さらにはそんな戦いをやらされているロシア兵も気の毒だ)。今行っている、ミサイルによる無差別爆撃も弾が尽きたら次は生物兵器、化学兵器の使用という非人道的な掟破りの行為が行われ、最終的には死なばもろともと、核兵器の使用も辞さないだろう。

ロシアが次に攻めてくるのはこの国かもしれないとの覚悟を持つ・・・4月18日
 岸田政権は、ロシアによるウクライナ侵攻に対して毅然とした態度で臨むことにした。サハリン2のような未解決の問題は残っているものの、国際社会での行動はロシア制裁に突き進んでいる。欧米の後追いとの論調も一部にはあるものの、体半分程度の遅れで着いて行っているのは大したものだと思う。すなわち、現政権は露中連合との対決を選んだということで、NATO、日本以外のG7と違い極東にポツンとある島国としては相当な覚悟を要する決断だったはずだ。それに、BRICSの残り2か国、すなわちブラジル、インドもロシアに対しては対立を避ける立場を取っているから、もしかするとロシアは経済制裁を耐え抜く可能性だってある。なんといっても独ソ戦を戦い抜いたスターリンの国だ。万が一、経済制裁に失敗してロシアが息を吹き返すようなことがあったら日本はどうなるかを想像しなくてはいけない。対岸の火事とばかりに安閑としていることはできないのだ。国民全員で対ロシア、さらには対中国、対北朝鮮問題を共有し、韓国、台湾、フィリピンなどとの軍事的連携を協議することなどを議論しなくてはならないはずなのだがそういう機運はどうも盛り上がらない。国民一人一人は、心の中で問題意識を持っているのだろうけど、そういう議論をオープンに行う空気を作らなくてはいけない。

 ガソリン高騰で世界中の運送業界が悲鳴を上げている。ロシアによるウクライナ侵攻に伴ったもので、サウジアラビアをはじめとする中東産油諸国が石油増産に踏み切らないため、大変なことになっている。石油備蓄の放出ということで対応するようだが、それもいつまでも続くわけではない。私たちの耐乏生活は案外目前に迫っている。これまで当たり前のように享受してきた生活が縮小し、最後にはそれらが失われてしまったときに私たちは何を考え、どう行動するだろう。そうなったときにウクライナの人たちへの支援を続けることはできるのだろうか。

 ロシアは外交官8人を国外退去処分にした日本に対し、「報復措置をとる」と宣言した。互恵関係がどうのと言っているようだが、北方領土問題が解決できていない状況でこの言い草はあり得ない。
オピニオンリーダーの出現を待つ

結局、やる人はやっていた・・・4月23日
先日、アラ還病理医の挑戦として日本病理学会の認定する分子病理専門医試験に合格したことを報告したが、4月1日付で日本病理学会認定分子病理専門医名簿が病理学会のHPに掲載された。知らない(おそらく多くは若手の)病理医がたくさんいる中で、私と同じぐらいの年の先生の名前もちらほらある。

高度医療の集約化は、患者さんの利益はもとより医療者のQOLの向上、医療費の削減にも必要なことで、上に立つもの率先垂範して資格を取らなくてはならない。

正直者が馬鹿を見るという、では正直者とは誰のことか・・・5月10日
 正直者が馬鹿を見るという言葉がある。この場合の正直者とはどんな人のことを指すのだろう。善良な人?正しい人?間違ったことをしない人?どんな言い方をしても、正直者とはつねに自分自身だ。自分に対して自分は嘘をついていない、自分のしていることは常に正しいし、自分は間違ったことはしていない。自分のしていることを正しくない、間違っていると言われてもそれは他人が決めたことに過ぎない。どんな悪人でも、自分は間違ったことをしているとは思っていない。その過程において間違っていることがあるかもしれないが、そうする理由はある。

善良な人というのにたまに出会うことがある。私自身が後ろぐらい人間なので、後ろ暗い人と話すと、その人自身の後ろぐらさがわかることが多い。善良な人は後ろぐらさの微塵も感じさせない。だが、人の生き方が多様となるに従って、善良であることとはどのようなことなのかが曖昧になってきたように思う。
せめてその時々信念を持っていたらその信念が拠り所になるが、この時代はそれすら無くなってしまった。

その人の人生は後悔することの多いものとなる。そのような信念もしくは夢とも置き換えることができるかもしれないものを持ち続けていたいと思う。

善良であればそれは正しい生き方であるということすら疑われてしまうのが現代社会だ。

誰が高貴で誰が低俗かということも、民主主義の時代にあっては定義することはできない。

他人は他人、自分は自分と考えることが生きていく上では大切だ。

PCスマホタブレットによる”検索”勉強は紙の書籍による勉強に劣る・・・5月17日
病理診断のために標本を診ているとよくわからない所見が突然出現してくる。先日もある組織が特徴的だがしょっちゅう見るわけではない像を呈していた。知っている所見なのだが、それをどう解釈してどのような用語だったかを忘れてしまい、まずはネットで調べてみた。これが、臨床診断のついているような疾患だったらキーワードを入力したら比較的容易に答えに到達できるのだが、その時はたまたま剖検例で、その所見のあった臓器も主病変とは関係なかったので、”答え”は見つからなかった。そのあと、教科書を2,3冊引っ張り出して調べているうちに私の求めていた所見が出てきて診断を進めることが出来た。

 ここで気が付いたことがあった。PCにしてもタブレット、スマホにしても調べごとをするときというのは、最初に来るのは個人個人が想像できる範囲内であって、その範囲外のことはいつまでたってもわからないのだ。

インターネットを使った、”検索”による勉強には限界があるのだ。電子書籍はこれに対抗できるかのように見えるが、紙をばさばさめくるという簡便さには到底かなわない。

エロ漫画広告を見て思うネット広告の進歩・・・6月24日
いわゆる成人雑誌ではなく、

最初は駅売雑誌、コンビニが広がってからは雑誌コーナー、そして今やネットの無料サイトにエロ漫画の広告をよく見る。私が男だから余計にそうなっているのかはわからないが、とにかく上手に読ませようとする。

団塊世代に望む総括という終活・・・7月11日
安倍元首相が暗殺され、良きにつけ悪しきにつけ団塊世代が生まれ育った戦後というものが終わったように思った。
安倍さんは67歳と若く、年齢的には再登板があっても全くおかしくなかったし、不祥事のほとぼりがさめたら実際にそうなっていたかもしれなかった。
ポスト団塊世代として、団塊世代が通り過ぎた昭和、平成の後始末をつけるべく奮闘してきた。

団塊世代の人は、”ダンカイ”として十把一絡げにされるのはいい迷惑だろう。
そもそも好き好んでそんな時期にいっせいのせで生まれたわけではなく、たまたまそうなったに過ぎない。

それはそうなのだが、団塊世代の人は学生運動を満喫し、高度経済成長を満喫し、バブルを満喫し、挙句の果てにその蓄積を食い潰したように見える。
個人個人がそうしようと思ってやったわけではなく、結果としてそうなっただけで、もちろんそれぞれの人がなにか悪いことをしたわけではない。

こうやって団塊世代のことを書くと、少し下の人間はすぐにダンカイ批判をする、あのぐらいの世代の人間は団塊がとにかく大嫌いだから、とか決めつけて、被害者ヅラすらする人もいる。

論点はそんなところではない。

良くも悪くもこの国の価値観を変えてしまったから、他の世代によって批判されるので、アンポやバブルの総括をすべきなのにそういったことはせず、いよいよ後期高齢者となる今は医療費の心配しかしていないように見える。

自分達の世代は自分達の目から見て一体何だったのか、時代の真ん中で生きていた時、何を考えていたか、そして、未来に何を残すことができるのか、いまからなにかできることはないか?
そういうことを考え、発信することはできないのだろうか?

語ってほしいのは、この国の未来についての建設的な考え方だ。
 
安保闘争で爆発させたエネルギー、バブルに浮かれたエネルギーはもう残っていないのか。
このまま、終わったらそれこそ食い逃げではないだろうか。

民主的な方法で選んできた政権に対して今さらどうこう言っても仕方ないのでは?・・・7月20日
近頃のネットでの体制批判にはついていけないものがある。
暗殺された安倍元首相の国葬についても、賛否が分かれているが、分かれているかのように見えているだけのことではないだろうか。
国葬がどんな経緯で決まったことなのかはわからないし、個人的には疑問がないわけではないが、現政権が決めたことであるならば従うべきではないだろうか。

政権の横暴とかなんとか言って、批判するが、公正な選挙を経て選んだ人たちが決めたことなのだから今さらどうしろというのか。
それを少数派の意見だなんだとネットを利用して、いかにも大きなうねりでもがあるかのように見せかけるのは間違っている。

あれこれ声高にいう人はそれ自体が非民主主義的な行動だという事がわかっているのだろうか。

維新の松井代表が、自民党の底力というか地方組織の強さに舌を巻いていたが、自民党はこの国の選挙システムをもっとも正しく有利に使っている。
そしてこの国の民主的な選挙システムというものが正しく機能しているということは、二度の政権交代が証明している。
自民党が悪いわけではなくて、何もしないうちに自滅した野党が不甲斐なかったわけで、こういう議論になるたびに違和感を感じてしまう。

ネットではほんの一握りの人の言い分が大きく、そしてそれがさも正しいかのように聞こえてしまう。

それぞれの事象を、重箱の隅をつついて騒いだところで問題の解決にはまったくなっていない。

暇つぶしに、現政権の悪口を並べ立てたところでなんの解決にもならない。
そんな人たちは、先日の参議院選挙において投票率を上げるために何か努力をしたのだろうかと問いたい。

私など、ほんの一票であっても考えに考えて投票先を選んで入れた。
で、結果はご存知の通りで、松井代表の弁となる。

繰り返しになるが、ほんの20年前には政権交代が行われていたわけで、この国の民主主義は守られている。

みんなで議事堂に行こう

などと扇動する大統領もいない。
非合法的な勢力と結んでいるとかいうが、そんなことをいったらキリがない。

私がブログを読んでもらいたい人(仮)というのが少し見えてきた・・・7月21日
ブログを書いていると、アクセス数とかその順位、いいねの数なんていうのが気になっていたが、最近少しその度合いが薄れてきたように思う。
もちろん、いまでもナイトとコロのいいねボタンを貼り付けているので、その気が全くなくなったわけではないが、少なくとも順位とかそんなのに意味というか、それを目標にしてもしょうがないということがわかってきた。

トップクラスの人のブログを読むと、私のブログとは全く視点が違う。

だいたい、
人生とは、
生き方とは、
なんてのを読みたい人がどれほど世の中にいるだろう。

少しだけ遅刻してしまうこのところの私・・・7月22日
今朝、目の前で若い女性が崩れるように倒れた。声がけしたらすぐに立ち上がってくれたのと、脈を取ったら特に問題なく、聞いたら持病も無いということで、私の降りる次の駅まで座らせて行こうかとしたら、どっかのおばさんが、

そんなことして大丈夫なの?
降りた方がいいんじゃない?

と大声を出しているので仕方なく降ろした。駅にはベンチがないので仕方なく歩いて駅員を探したものの見当たらず、女子トイレに行きたいというのでそこまで連れて行った。そのあと駅員を探してトイレの前まで連れて行ってあとは託したが、大丈夫だっただろうか。

あれは一駅乗せて様子を見てからでもよかったのではないかと思うが終わったことなのでまあ、いいだろう。

それよりもまた遅刻だ。せっかく電車が順調に走っていたのに不意打ちのようなものだ。

昨日は大雨で早めに出たのに、どこかの駅で傘がドアに挟まったとかでやっぱり遅刻。

線路内立ち入りだとかホームからの転落はしょっちゅうだし、今日だって非常ボタンを押してもよかったのだが、それはやめておいた。それはそれで駅員がどこにもいないという事態があるということは勉強になった。

いやそんなことではなく、最近うまくいかずに少しだけ遅刻することが多い。
2、3分なのだが理由を届けないと事務方に呼び出されて嫌味を言われる。またか、みたいな感じだが、仕方ない。

コンコースを早足で歩けるうちは大丈夫か。

犬の一生・・・8月2日
マルチーズのコロが日に日によわっている。
9月の16歳の誕生日を迎えることができるか難しそうだ。

時間切れまで何をしようか・・・8月15日
日本人男性の平均寿命が81歳で、前年より少しだけ短くなったとのこと。
平均寿命なんてずっと先の話だと思っていたが、あと20年ぽっちで自分の生きる力が失われるのが案外すぐなんだと感じる。
それまでどうやって生きたらいいのかよくわからないが、人様から仕事を頼まれている限りはやるしかないだろう。

後回しとは逃げること・・・8月16日
これほどやらなくてはいけないことがあるのに、ついブログのエントリーを書いてしまう。
これが完全に逃避なのは自分でもわかる。

しつこい人の素早い動き・・・8月20日
私の専門分野と重なる領域の研究を行っている人がいる。
以前、私が勤務していた施設には病院と研究所があり、私は病院に勤務していた。
彼女は研究所に勤務する研究者で、かつては臨床医だったが、今は研究者として世界的な研究成果を次々と出し、それこそ日本の研究レベルを支えていて、私がそこを辞めた後もそこでずっと仕事をしている。
論文化して世に出す意義のあるような症例について、その所見をとってくれと依頼してきて、私は彼女の書く論文のうち病理所見の部分を担当して共著者として名前を入れてもらっている。

つい最近、そんな症例がまたあったので仕事を引き受けた。

自分の名前を入れてくれるから、というよりはとにかくしつこい。
難しい所見をどう書いていいかわからないで、2、3日返事を延ばすとあっという間に催促が来る。
そんなことが何度かあったので、今ではもう、彼女からの依頼は断らないようにしている。

だが、しつこいだけはなくて、とにかく早い。
構想はだいぶまとまっている状態で書き始めるのだろうが、顕微鏡写真を送ったその3日後にはドラフトを送ってきて、病理所見に関するところをチェックしろといってくる。

まあ、研究者なんてそれしかやっていないというか論文を書くのが仕事だし、論文は形式さえおさえたらあとは雛形通りに書けばいいからと言ってしまえばそれまでだが、それにしても早い。
できる研究者というのはこういうものなのだと仕事を一緒にするたびに思う。
翻って私はというと、掛け声倒れの気配があり、力不足を日々実感するばかりだ。
研究テーマはあるのだが

偶然見つけた大谷翔平についての過去記事・・・9月12日
エントリーを書くのにあの頃はどうしていただろうかと振り返っていたら、


というタイトルがあったので、開いてみたら、大谷翔平の5年前の足の怪我のことについて書いていた。

安倍元首相の国葬とエリザベス女王の国葬、そして統一教会と英国国教会・・・9月16日
国葬

しがみつきたかったけど、ついに引導を渡されたのか・・・10月26日
旧統一教会との付き合いの深さを否定できないまま辞めることになった。

私たち高齢者の未来に対する責任・・・10月28日
いまさらながのはなしだが、『祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい』(And so, my fellow Americans, ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.)
ジョン・F・ケネディ米大統領の名言として有名ですが、いまの時代にも同じことが言えます。

群衆というものが形成されるシステムとその危険性・・・11月1日
どのぐらいの人が集まると群衆となり、どのぐらいから危険になるのだろう。

上手(うま)く生きたいのか、上手(じょうず)に生きたいのか・・・11月1日
私は自分の人生に自信がない。
生き方に自信のある人などいるのかと思うが、そもそも生き方に自信があるだのないだのということを考えること自体馬鹿馬鹿しいことなのかもしれない。
でも、私は上手に生きることを願っているし、生き方が上手な人が羨ましい。

どんな人が生き方が上手なのかというと、私の基準だと、

会うといつもニコニコしていて愛想がよくて、決して人のことを悪く言うようなことはない人。

これは、私に対してだけそうしているのかもしれないので、

人のことを羨ましいと思う時点で、生き方が下手なのかもしれないが、言い方を変えたら、上手に生きたいということかもしれない。

実際に生き方が上手な人というのがどんな人であるかは実物に会ってみないとわからないが、これまでの人生でそんな人が一人いた。
ならばその人の真似をして、そう生きたらいいのに、私にはそれができない。
なぜだろう。
どうしていつもそんなふうにしてられるのか尋ねたことがあるが、その時は、瑣末なことをいちいち気にしていないということを言っていた。
私のようにいちいち人の揚げ足取りのようなことを考えていてはイライラして笑顔も消えてしまうし、人のことを悪く言ってしまうことになる。
その人のように生きることができないのならば、別の上手な生き方を模索したらいいのだが、なかなかそれが見つからない。

上手に生きているなと思える調子のいい時、というのはある。
だが、好不調があっては生き方が上手だとはいえないし、ただ単にそれはただ単に”上機嫌”ということにすぎない。

難しいものだ。

うなされて目が覚めた・・・11月13日
なんであんな夢を見たのだろう。
病理学会の会場のようなところで

医療への文句にキリがないのはどうしてだろう・・・12月7日
昨晩は外科の腫瘍切除手術が長引いて、迅速診断の依頼を受けていた私たち病理診断科も遅くまでお付き合いした。
病理はこぢんまりしていて、病理医が運ばれてきた検体を処理するためにあれこれ指示して、手を動かして、臨床検査技師がこれを補助する。
一方、手術室の方は外科医のほかに麻酔科も看護師もいるし、外科は術者、外回りといて、大変な人数だ。
考えてみると一人の命を救うために、短時間とはいえ、その一人を囲んで数え切れないほどの人間が関わるのだから医療とはお金がかかっても仕方ない。
医療は人件費がほとんどと言われる所以だ。

男のジレンマとドメスティックバイオレンス・・・12月13日
女性の社会進出はすなわち男性の既得権益を奪うことだ。
人手が足りなくてアップアップしていても、自分の仕事が取られるのは耐えられない。
20年位前、某大企業に勤務していた友人が、年下の女性の上司のもとで働くことになったと

そんな医療への不満が多いのはどうしてだろう。

ウクライナ 暗殺 コロとのお別れ
ボツでもそれなりに

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