こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

”幸せ”をネット社会に求めるということ

2021年08月12日 | 電脳化社会
 季節がまた少し前に進んだようで、しばらく長雨となるらしい。秋の長雨というわけではないそうだが、まとまった雨量となる予想で、災害が起こる可能性もある。気候が極端になったのはたまたまなのかもしれないし、地球温暖化のせいなのかもしれない。ただ、何でもかんでもガンガン燃やして温室効果ガスを増やすというのは色々な意味で止めた方がいいだろう。

 今朝、NHKでLGBTsの人についてのドキュメンタリーをやっていた。人の持つ多様性を認める時の障害となるのは”こうあるべき”という固定観念だ。それぞれの人は自分とは何者かということを自身で決定する自由を持っているが、その自由は社会システムという中でどこまで許容されるのか。社会規範の範囲とはどこまでのことを指すのかまだまだ不明だ。

 自分とは何者なのかを知りたい、すなわち自己同一性を求めるのは、何歳になっても果てることのない欲求だ。自分というものは変わらずそこに存在する一方で、絶えず変化する。自分を表現することは困難な作業だが、今ではブログとかSNSで発信し、自身で心を文字に変換したり、反応を見たりすることが容易になった。

 この様にして自己の心の表現の場が飛躍的に広がった現代だが、それぞれの人はどれだけ解放されただろう。”幸せ”を求めることにすら疑問が生じる。果たして人間は”幸せ”でなくてはいけないのだろうか。”幸せ”であったとしても、それが誰かから何かを搾取して成立するものであったならばそれは真の意味で”幸せ”とはいえないのではないか。”不幸せ”の上に”幸せ”は存在し得ないと私は思う。各種のSNS、ブログはネット上の他者との差別化を前提としている。差別化には多少なりとも”不幸せ”の要素が含まれている。私自身、こうした考え方、生活、世界観を有しているということをここに書き連ねることで”幸せ”だと単純に考えてはいけない、そんなことを考える。
はしゃいでばかりでは

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