こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

わたしのブログのスタイルは

2021年08月11日 | 電脳化社会
 昨日に続いて今日も大変暑くなるということで、熱中症には気をつけたい。といっても、外を歩くことはほとんどないので大丈夫だろうが、寝ている間も気をつけなくてはいけないというのだから大変だ。クーラーの風のせいで、喉が荒れていて時々咳が出る。電車の中でそんなことになるとこのご時世、周りの人に気持ち悪く思われているだろうことは容易に想像がつき、いたたまれなくなるが、席を移動するわけにもいかずおかしな時代になったものだ。それに、新型コロナウイルスにいつの間にかどこかで感染していた可能性も否定はできないわけで、難しい。とにかく日々緊張を強いられているのは私だけではないはずだ。

 私がよく読ませていただいているブログがいくつかある。なかでも日々思うこと、例えばブログはあくまで自分のため、なんてことをさらりと書いておられる方のブログ、政治・社会について幅広く書いておられる作家さんのブログはほぼ毎日読ませていただいている(ちなみに、どちらのブログにもあしあと機能の様なものがなく、自分が行ったことを知らせることができず残念)。私もこの方達のように丁寧(政治家や役人の言うそれとは違う)に、話題と言葉を選びたいと思っているのだけど、どうもうまくいかない。とくに、話題となると私なんかはごく狭い、すなわち自分の目の届く範囲でのことを書くばかりだし、最近のコロナ禍で他の人との接触が極端に減ってしまい、その傾向に余計拍車がかかっている。

 そこで、今日のエントリーは、その作家さんの真似をしてオリンピックに絡めて東アジア情勢について書こうと思ったのだが、浅薄な知識のためあっさり挫折した。そこで、さらりと書いておられる方の真似をしようと思い、この”ブログスタイル”、なんてことを思いついたのだが、結局こんな風に字数は多くなってしまい、その上、内容もベトベトしていて重いものとなってしまった(まあ、重みのある文章を書きたいと考えているので悪くはないが)。なかなかうまくいかないものだ。かといって、このエントリーが自分(コロ健)のスタイルなのかと言われるとそれにも自信が持てない。

 それでも不思議なもので、どんなに古いエントリーでも、読み返すと”ああ、こんなこと考えていたな、こんなことあったな”と思い出すことができる。ブログでは自分の社会記号(本名、住所、職場)は消しているが、自分自身では”あの頃はこうだったなあ”と辿ることができる。読み返して恥ずかしくなることも多々ある。考え方とか、テーマは少しずつ変わっているかもしれないが、私の文章のスタイル、すなわち文体とか視点は変わらず比較的安定している。これが私のブログスタイルかと思うこともある。先日、作家さんのブログに取り上げていただき、内容が少し面白い方に変化してきたと褒めていただいた。励みになる言葉だ。
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