冬の寒さが一気にやってきたようだ。風も強く、薄手のコートを羽織って出てきた。
このところ新聞・テレビで中国の話を見ない日はない。”友好国”ロシアのプーチン大統領が北京オリンピックに行くとか、芸能記事を規制するとか、不倫を訴えたテニス選手の安否が依然不透明とか、話題には事欠かない。どの内容もこうして気楽に日々ブログを綴っている身からみると不気味で、国民は不自由そうに見える。
あんなにたくさんの人間を、どうやってどこまで締め付けることができるのかわからないが、3000年の歴史から見たら、中国共産党支配がこの先、100年か200年続いたところで、ほんの一区切りに過ぎないわけで、しばらくはこのままびくともしないだろう。国家というシステムを一旦確立してしまったら、上層部が腐敗しなければうまく存続する。独裁国家はトップが清廉潔白、尊敬できる人間でありさえしたら国民は案外安心して暮らしてしまうかもしれない。
星新一の作品に”マイ国家”というのがある。自分の家のある敷地を独立国家と考える人で、外部との接触は整合性を保っており矛盾はない。自分の家の敷地にしても国の領土にしても、そこを支配する人間は為政者としてさまざまな方法で統治する。恐怖による支配、搾取による支配、教育による支配などが主流のようで、システムとして機能させている国は多い。その方がいいという人もいれば、そんなのはまっぴらだと思う人もいるだろう。
これは家庭レベルでも同じで、そういったシステムの無い家、システムが不要な家、むちゃくちゃ”厳しい家”なと様々あるに違いない。昨今の家庭内での悲劇がどのようなことで生じているのか、到底伺い知ることはできないが、同居人が自分を殺そうとしているなどと考えただけでも恐ろしい。国家間の争いに端を発する戦争はナンセンスだが、家族間の憎しみもナンセンスだ。話し合うことで、殺し合いを避けることもできるだろうからその努力を怠ってはいけない。
それぞれの家のあり方に文句を言ってはいけないのと同じで、それぞれの国体を軽々しく評価してはいけないのだと、あれこれの諍いを見るとつくづく思う。人間社会とはかくも難しい。
まとまりがつかない