先週後半は学会出張だった。
それなりに多くの知識・情報を仕込むこと、人脈を再確認することができて有意義だった。
学会の持つ、権威主義、アカデミアとの彼方彼方の格差、そういったことに対し、不満や疑問を持つことよりも、会員すべてに開かれた民主的な場であることを維持している学祭の場から逃げることなく、肯定的に捉えることは必要だ。
もう40年以上も前の作品になるが、タクシードライバーという映画がある。
マーティンスコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演、ヒロインはジョディー・フォスターという、なんだかとてつもないメンバーで、テロへとかきたてられる主人公の心の闇が描かれた名作で、カンヌ映画祭のグランプリを受賞している。
中学生の時だったと思うが文化祭で上映されたのを、体育館でパイプ椅子に座って観て以来、人生の中で忘れることのできない映画の一つとなった。
今回の岸田首相への爆弾テロ事件を知って、あの映画を即座に思い出した。
日本にも昔からテロ、暗殺はあって、多くの人が命を落としてきた。
それらはけっして許されるものではなかったが、一応、理由というか動機らしきものはあった。
あの犯人についても、動機や社会的背景について、理由をつけていくのだろうが、他人が理解できる合理的(と思われる)理由のようなものは永遠に闇の中にあるままだろうし、そもそも理由なんてないかもしれない。
そして、今後も同じような、理由の無い事件がすぐにでも起こる可能性はあって、防ごうと思ってもきりがない。
なぜ、こんな社会になってしまったのかを個人的なレベルの視点から考えることはできないが、社会の視点から考えることはできる。
人を殺してはいけないという倫理観の欠如、怪しい人物が歩いていたのにそれへの声かけができなかった社会環境、日本式選挙スタイルと警備体制の限界、その他種々雑多な要因がある。
一つ一つを検証して潰していくことは困難だし、そもそも後戻りもできない。
それより今、まともな人間にとって大事なことは、そんなことを考えてしまう人間が身近にいるということを知っておくことだ。
日本という国が維持してきた倫理観とか社会的安全性という幻想はもはや失われ、人間同士の関わり合いというものが変容してしまったということを認識しなくてはならない。
一般民間人でも、テロや通り魔の対象になる危険性はあり、それは今目の前で起こるかもしれないという危機感を持っていなくてはならない時代になってきた。
幻想は捨てよう
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