一瞬のことだった。
あと、0.01秒何かがズレていたら妻も私も死んでいたかもしれなかった。
親戚との集まりの帰り、首都高横羽線の下り線、大師の料金所を過ぎてから数分のところを走っていたときのこと、突然カランカランという音が聞こえ、次の瞬間、目の前に1メートルぐらいの鉄パイクようなものが、右車線のほうから私の目の前に飛んできた。フロントガラス越しにその物体が見えたが、2車線道路で逃げ場もなく、ハンドルをまっすぐに握ったまま身構えていた。ダメかもしれないと思っていたら、間一髪、その物体の方が少し早く下に落ちて車のフロントグリルにぶつかったようだった。そのまま、路肩に飛んでいって、幸い車の下に巻き込むことはなかった。
高速の路上から緊急電話を高速警察に連絡したのち、閉鎖直後の大黒ふ頭パーキングに誘導され、事故の説明をした。
こういう事故は、補償も出ないか。いままでの私だったら、大損で、大変な不運だと嘆くところだったが、そんなことはない、命に関わることとならずに良かった、運が良かったと心から思えた。
誕生日の夜、寒い高速道路上で、誰かの落とした鉄パイプがフロントガラスをつき破り、妻と私の顔面に飛んできて、二人で即死となっていたらどうなっていただろう。息子に一体いつ連絡が取れるかなどわからないし、留守番させていたナイトとコロは、翌日までほうっておかれただろう。それにこのブログ、どなたにもそのことを告知できないままそれきりだった。
不運を不運というのは簡単なことだけど、死神をやり過ごすことができたことそのことが幸せなのだ。神様が生きていろと言ってくれたのだと、この命を無駄にせず、残りの人生社会の役に立つ生き方を探さなくてはいけない。
九死に一生を得たのだから
ブログを読み進んでいて、とにかく、
びっくり‼️しました。
本当に 間一髪。でしたね。
お怪我がなくて何よりでした。
私たちも、良く高速を走っている時に
過積載のトラックや、荷物を キチンと止めてない車に出会う事がありますが
"あの荷物が 今落ちてきたら私たちは
危ないね"と良く話します。
本当に人事ではありません。
ご無事で良かったです。
本当に神様にお守り頂いた幸運ですね!
あっ神様と言っても何何教というのではなくです。
わたくしも何回か命拾いや怪我から逃れていて、そういう神様の存在を想うようになりました。
ご夫婦ともお怪我もなく助かって本当に良かったですね°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
時間の差
感じますね
ご無事で本当に良かった
残念なことであるのはそうなんですが、こんなことがなければ、考え方を変えることはできませんでした。
何が飛んでくるかわからないので、タクシーはなるべく他の車の後ろは走らないそうです。走行車線をのんびり走っていたのに、こんなことが起こっておどろきました。さらには、自動車事故は自分の力ではリカバリーが不能であるということで、怖いと知りました。
この書き方だと、”では亡くなった人はどうなの?”と言われてしまうのですが、それとこれとは違うだろうと考え、そのまま書きました。
このことは、ただ単に運が良かったということだと思います。”良かった”という言葉があてはまるというのは、私たちにとって本当に”良かったことなのだ”と思います。