若い頃は乱読などといってずいぶん本を読み散らかしていたが、この年になると闇雲に読めばいいというものではないと思うようになってきた。ドストエフスキーを読んで、人生のなんたるかを考えたものだが、今、そのうちのなにがどのぐらい残っているのかわからない。ただ、あの頃はドストエフスキーを読む気力があったが最近は少々軽めの本を読むことが多くなってしまった。というよりは、軽めの本しか読む気にならない。
本を読むにはそれなりの気構えが必要だ。心がつよくて充実しているときに楽しんで読むことができる本というのがあるが、逆に、心がよわっているときに読むと、すとんと腑に落ちる本もある。心がつよいときに、心がよわっているときに読むような本を手に取ることはなかなかない。
最近では毎日心があがったりさがったりするものだから、本は何冊か同時に読むようになった。
心がつよかった昨日手に取った本でも、今日は仕事でがっくりきて読む気が失せてしまうことがある。そうすると、そのままその本は放っておいて、読書そのものをしなくなってしまう。
だから、心がよわっているときのための本も用意しておく。こういう本は、一気に読まなくてもいい、また、心がよわったら、すなわちまた何かあったとき手にとって読み返せばいい、そんなつもりでいたら十分だろう。
読書は心を豊かにしてくれるが、うっかり読んで心が折れてしまうこともある。
だから、本を選ぶ時は注意を要する。
ただ、これからはなるべく人生を肯定するような、ポジティブな本を読んでいこうと思う。年を取ると、けっこう心もつかれているものだ。