妻と蕎麦屋に入った。結婚前からたまに行っていた店で、うどん党だった私を蕎麦好きに転向させてくれた都内の老舗だ。酒を出さないという張り紙があり、検温機がついた手指洗浄用アルコール噴霧器が置いてあり、店員のチェックを受けてから席を案内された。振り返ってみたら、この店に最後に来たのはコロナ前。あっという間に1年半がすぎていた。一瞬のことのようだが、妻も私も、すべての事物が1年半歳をとったということだけは確かだったし、実際様々なことが変わった。
隣の席の客が食べ終わった後、店員がアルコール消毒をしている。都心の店ということもあってか、個食の人が多い。私たちも黙食に努める。”個食を孤食と書くことについてどう考えるか?”という話をしようかと思ったが、バカバカしいのでやめて、黙々と食べた。すすって食べるのもなんだかはばかられ、思わずつゆをたっぷりつけてしまった。この先、食事のマナーも徐々に変化していくだろう。それにしても、何も話さずに食べるというのは味気ないものだ。
コロナ禍で世界は変革の時を迎えた。人流(こんな言葉の出現自体異様だ!)抑制、人との接触抑制、これに反する業態、行動は反社会的な行為となってしまった。不要不急、要不要、そんな言葉が全ての人に対して突きつけられた。旧態然としたことにしがみついている人は追い込まれ、退場する人もいる。ポストコロナ時代はこれまでの社会全体のことを見直す時だ。
効率化を目指してやってきたことの歪みが図らずも露呈したわけで、そうしたことをどうやって乗り越え、どうしたら人類全体が幸せになれるかを考えなくてはいけない。様々なシミュレーションを行って、それぞれに対応する策を作る必要がある。まずは、COVID-19以上の強力な生物兵器が作出されたときに、これに対応できる体制を作ることだと思う。
それほど期待していない