社会的弱者(しゃかいてき じゃくしゃ、英: socially vulnerable)とは、一社会集団の成員でありながら、大多数の他者との比較において、著しく不利な、あるいは不利益な境遇に立たされる者(個人あるいは集団)のこと(Wikipedia)。
とか、
障害者・高齢者・女性・子供や,低所得層・不熟練労働者・零細な農漁民など,社会の中で弱い立場にある人(Weblio辞書)。
と説明されている。
私の2つ下のダウン症の弟もおそらく社会的弱者に含まれてしまうだろう。他人が助けなければ、今のこの社会では生きづらいかもしれないが、弱者と呼ばれることには抵抗がある。不自由なだけで、弱くはないから。
社会的弱者に対する差別はあってはならない。
理由は簡単だ。社会は健常者のスタンダードにあわせて動いているだけで、健常者以外の人はそれに合わせるのが大変なだけだから。
健常者以外の人というのは、病人も含まれる。人間だれしも年老い、病を得て死ぬ。その経過においては差が生じることはあるだろうけど、差別されることがあってはならない。
病気の自分と障害者のどこが違うというのだろう。障害者の家族をもって泣きながら過ごしたという人の手記が新聞に載っている。自分の子供がそうであったらどうだったろうと考える。この先、孫にそういう子ができたらどうしようと考える。私も同じように涙するだろうか。
正解はないかもしれないが