こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

何も分かってなかったのだと分かってきた

2023年04月11日 | 生き方について考える
今日は花粉がずいぶん飛んでいるみたいで、鼻水に加え頭痛もする。
薬で抑えていてもこれほどなのだから放っておいたらどうなってしまうだろう。

駅のホームは今朝も学生であふれていた。
ドア口前に行儀よく列を作って並ぶとあっという間に端まで来てしまう。
列の間のスペースはエアポケットのように空いているが、そこで電車を待とうとする人はほとんどいない。
そんな時、最後の方に乗り込むことになってもしかたないと、そこで待つ私は規律を守ることのできない人間なのか、ただの天邪鬼なのか、閉所恐怖症なだけか。
それはさておき、たびたび称賛される日本人の律儀さというのは、どの程度までが常識的な範囲なのだろう。
現時点でマスクを着用せざるを得ない私としては、何がどこまでいいことなのか、どこからがだめなことなのかの加減がわからない。
こんな歳になれば、いろいろわかるようになると思っていたが、実は何もわかっておらず、40代よりよほどオタオタしている。

学会がもう明後日から始まるというのに、ギアが上がらない。
自分の発表はこれといった結果が出ないままで、ピリッとしたものにはならないままとなった。
座長の仕事は昨日になってやっと抄録を手に入れたところで、これから準備。
他にも積み残しはたくさんあって、今年中、今年度中、いや死ぬまでに全部終わらせることはできるか心配になる。

どうして人生はこんなにも短く、世の中はこんなにも難しいことばかりなのだろう。
歳を取れば桃源郷とまではいかないまでも、子や孫に囲まれた、笑顔あふれる悠々自適の生活が待っていると思っていた。
それなのに、老後の生活には不安が多く、世の中では還暦を過ぎたら終活をすこしずつ始めた方がいいとも言われている。

死んだ父は、亡くなる1年ぐらい前から、長生きが今や最大のリスクだと言っていたが、社会的にある程度成功した人であっても老後は辛かったのだろうか。
それともそれは私たちがもっと大事にしてあげなくてはいけなかったのだろうか。
生きることは難しいという意味がだんだんとわかってきたような気がする。
気づくのが遅過ぎたのかもしれないが、せめて頭のはっきりしているうちに考え始めることができたことをよしとすべきなのかもしれない。
何もわかっていなかった

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2 コメント

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Unknown (kinntilyann)
2023-04-11 15:00:50
こんにちはでございます(^^)/
今日は眠くなりそうです。

お父様のご職業も医師だったのでしょうか。
長生きが最大のリスク。
深い!

迷うことなく救命へ猪突猛進していた時代から、生と死の境目ってどこなんだろ?って皆がそれぞれの立場で自問自答する時代になったと思います。

そうそう。
処方箋を間違えるようになった医師がいました。
インスリンを過剰投与してしまい患者が緊急搬送される事態になって、認知症の可能性に周囲が気が付きました。
法人からも患者からも非常に信頼が厚い医師でしたので、?と思うようなことがあっても、先生もそろそろお年だもんなで認知症なんて誰もちらりとも疑わなかったのでした。

お父様はどんな意味でリスクとおっしゃったのかな。
なんか私も知りたくなった。

良い午後でありますように(^^)/
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Unknown (コロ健)
2023-04-11 20:18:46
うさぎさん、ありがとうございます。

父は在野にありましたが、高名な内科医でした。
その父も、晩年は処方があやふやになって、周りの人のチェックが必要になっていたようです。
その父が、生きる気力を失ってからよく口にしていたのが”長生きが最大のリスク”です。
長生きするほど経済的リスクが増加するという意味だったのだと思っています。
息子の私に甲斐性がなく、そう思ったのかもしれません。

それはさておき、父は、家で、家族に見守られながら亡くなりました。
長年勤めた病院で点滴の針を入れたまま看取られるというようなことではなく、家族がおしゃべりをしている声を聞きながら眠るように旅立ったというので良かったと思います。
私も、延命措置などされないで父のように死にたいと思っています。
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