こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

京都に来て鎌倉を考えた(一)

2022年04月16日 | 通勤・交通・旅行
 せっかく神戸まで来たのと結婚記念日ということもあり、妻と京都で落ち合い観光することに。大河ドラマで鎌倉殿の13人をやっていることもあって、自分の住む鎌倉の歴史を今一度見直しているところで京都と鎌倉の違いを考えようと思った。だが、一日中出歩いてろくに考える暇がなかった。それは明日以降にするとして、今日訪れたところを忘れないうちに。

瑠璃光院
そうだ京都に行こうの春の特別公開


原谷苑


わら天神


修学院離宮


明日帰ります

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あなたの新天地の具合はいかが?

2022年04月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 学会二日目。今日も天気は今ひとつ、というか日本中天気はあまり良くないみたいだが、駅前のホテルから駅前の学会場までの往復であり、会場に入ってしまったら外の天気も関係ない。普段と同じ時間に目は覚めて、ホテルの部屋に蟄居していても仕方がないから、朝一番で学会場に入った。

 学会場内では互いにマスクをしているため、向こうから声をかけてもらわないと、相手がなかなかわからない。リモート参加の人も多くて、会場に来ているのは参加者の半分くらいだろうか。誰かの顔を見たいと思ったら、その人の発表を聞きにいくとか、ポスターを見にいくとかしなくてはならない。でも、行ったら、オンライン参加、だったなんてこともある。

 どこかで会った人たちがいると思ったら、以前、私がオンラインで病理指導を行なったカンボジアの病理医のグループだった。引率の先生に聞いたら、ファンドを募って研修が実現したという。カンボジアには病理医はまだ十数名しかおらず、パイオニアたちだ。頑張っている人はどこにでもいる。

 かつて指導したことのある(かつて若手だった)先生の話を聞くのも面白い。いつの間にか講演だので立派に話をしているのを聴いていると、この人が今喋っていることの少しは私の伝えたことが含まれているのではないかと思うと少し誇らしい。

 新年度早々に開催された学会ということもあって、職場の変わった人も多い。所属が変わって、楽しげにしている人を見ると、もう6年も前の春に異動した時の私はどんなだったかと思う。それでもその時はいろいろ思うところもあったけれど、結局こうして今まだなんとか生きているわけで、その時々のいろいろな思いというのはそう大したものではないようだ。

 話してみてこれはちょっとどうかと思う人もいる。あきらかにやる気のない人、プロとして力不足の人、そういう人は見たらすぐわかるので、接触するとこちらの方も困ってしまう。この先しばらくこの人と付き合わなくてはいけないのかと思うとうんざりする。

 私は異動も昇任もなく、静かな年度替り。このままでいるというのもそれなりに努力が必要なわけで、今いるところからの情報発信をコツコツとでもやっていこうと思う。
勉強ばかりしているとあれこれ考えられない

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久しぶりにネクタイ締めて・・・第111会日本病理学会総会

2022年04月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 神戸三ノ宮の夜は前に来た時と比べずいぶん寂しかった。新橋新宿を歩かなくなった私ような人間が比較の対象もないのにどうのこうの言ったところで詮無いことだが、コロナ禍の影響というのはやっぱりみんながマスクをしているのでよくわかる。泊まったホテルは来てみたら、6年前に病理診断講習会で講師として来た時に使ったところだった。閑散としたロビーでやる気のなさそうなフロント係の顔をみて、あの時の楽しく平和だった飲み会を思い出す。

 今日から神戸で第111回日本病理学会総会が始まった。初日は朝9時前から出番がありそこそこ早起きした。ホテルを出る時、なんだか忘れ物があるのだが、それが何だかわからない。カバンは持ったし、スマホも持った。ポートライナーにはアップルウォッチがあったら乗れる。うーん、なんだろう・・・。

 と、しばし考えていたら、それがネクタイだと気がついた。このところ、研究会レベルではノーネクタイでやっていたのでその感覚がなかった。去年の病理学会でも出番があってネクタイを締めていたが、もう一年も前の話ですっかり忘れていた。あれから、いつネクタイをしめたかな、なんて思いながら自宅から忘れずに持ってきていたネクタイ締めて出た。

 座長とプレゼンテーションは無難にこなした。プレゼンをやっていてネタ切れ感が強く、そろそろ第一線から退こうかと思った。午後になって私と同世代の先生の立派な講演を聞いたら、彼がまだまだ前に歩を進めているのがよくわかった。私もぼんやりするのはまだ早いかと考えなおし、もう少し頑張ろうと思った。

 私が総務幹事を務めている研究会主催のセッションが終わったのは20時半過ぎ。外に出たら雨。どのみち宴会もできないのでホテルに戻って、昨晩夜食に買った、チーズと(昨晩の残りの半分の)ワインとナッツで夕食とすることにして、それらをつまみながらこのエントリーを書いた。
明日も雨か

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あんなものぜんぶ嘘だと大嘘をつく・・・垂れ流される情報を鵜呑みにするな

2022年04月13日 | 日本のこと、世界のこと
 鵜という鳥は魚を噛まずに丸呑みする。そんな鵜の習性から、意味をよく考えずにそのまま受け入れることを鵜呑みにするという。他人の言うことをなんでも鵜呑みにしていたら大変なことになる。

 ロシアのプーチン大統領のロシア国内での支持率は80%を超えているそうだ。インターネットの内容に制限がかかっている上、テレビでロシア国営放送ばかり見ていたらそうなってしまうのもむべなるかな。そうかといって、NHKにしてもロシア側からの報道は、ウクライナ、欧米からのそれらと比べると少ない。ロシアの言い分を見聞きして勘違いする人が出てくることを危惧してのことだろうか。マスメディアで流される各種の情報を何も疑うことなく盲目的に信じてしまう、すなわち鵜呑みする人はたくさんいるし、そういう人たちがそんなものを見てロシアに肩入れしてしまったら、欧米の一員として行動している日本としてはたしかに困る。

 一事が万事、物事には裏と表があり、それぞれの立場の人により見方、捉え方はまったく異なる。そして、他人の書いたことや言ったことというのはある立場から見れば正しくても、別の立場からすれば大嘘にもなる。プーチン大統領は4月12日ウクライナの首都キーウ近郊ブチャの民間人殺害は「フェイク(偽情報)」と主張した、さらに(ウクライナでの)悲劇に選択肢はなかったとも。こちらからだと、欧米の垂れ流す情報はすべて嘘だと大嘘をついているように見える一方で、彼の見ている世界のなかでは、自身の言っていることそのすべてが真実だ。

 そんなプーチン大統領を今世紀最悪の虐殺者にしたのは、ある意味ロシア国民である。プロパガンダに少しずつ慣らされいつの間にか独裁者に仕立て上げていた。これは何もよその国や地域の問題ではない。日本だって、ときどき長期政権が現れることがあるのだから油断はできない。

 世界の平和が危機に瀕している今こそ世界の一人一人が自らの力で物事を考えなくてはいけないところに差し掛かっている。幸い日本の情報統制は今のところそれほど厳しいものではない。その分、インターネットでさまざまな意見を読み、情報を集めることができる。誰かが押しつけてくる情報を鵜呑みにしてばかりいるうちにいつの間にか何も知ることのできない世の中なっていたなんてことにならないようにしたい。
いよいよ病理学会

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平和とは人間とは何かを考え続ける

2022年04月12日 | 日本のこと、世界のこと
 ロシアによるウクライナ侵攻の苛烈さは増すばかりで、すでに数万人の命が失われたという報道もあるし、ついにはサリンと思われる毒ガスを使ったとも。ウクライナ一国でロシアの侵略を防ぎきることは不可能なのは自明だし、経済制裁にどれほどの効果があるのかもわからない。ロシアにしても、この先のことをいろいろ考え、そのあたりの評論家が日々述べているようなことよりもよほど高度な作戦を練っているに違いない。ロシアの横暴をこのまま放置することは世界秩序そのものへの脅威であるとわかってるいるものの、自らの軍隊を提供してまでウクライナを助けることはどの国にもできない。そんなロシアといういじめっ子への憤りは増すばかりだが、ウクライナへのいじめを傍観者としてみているという状況を、私はどのように考え、どのように行動したらいいのかわからず、気持ちは落ち込む。

 人間社会はどこまでいっても、つまるところ個人同士の争いだ。個人を守るために家族を作り、家族は一族となりそれが集まって国となる。国同士の争いとして、ロシアによるウクライナ侵攻がある。マクロレベルではテレビ画面に映る小さな地図に赤や斜線でロシアの勢力範囲が示されている一方で、ミクロレベルでは一人一人の命を守る戦いがある。私たち一般の人間が目を向け、我が身に置き換えて考えなくてはならないのは、こういう戦いについてではないだろうか。

 この時代にこんなことがあるとは信じらないと訴えた医師、幸せを奪われたことを嘆き悲しんだ婦人、そんな人たちの声はどのような経過で起こることになったのか、そこへ至ったプロセスの中で何かできなかったのだろうか。平和に暮らしていた人が平和を奪われたのはなぜかと考えたところで、その平和そのものが正しいものであるかもわからず、その答えは分からない。それでも考え続けることを諦めてはいけない。

 今地球上は国同士、民族同士の諍いが絶えない。いっそのこと、仮想敵として強力な兵器を持つ宇宙人でもを想定したらアメリカと中国ですら結束するかもしれない。それでもいつまでたっても宇宙人が攻めてこなければやがては飽きてまた互いに喧嘩を始めるに違いない。ロシアの核ミサイルは世界中を向いていて、核攻撃を受けたと判断したら、即座に撃ち返して人類は滅亡するという。その時はその時だが、ソ連以来のそんなシステムによって殺されると考えると諦めきれない思いもする。それとも死ぬときは一瞬なのでそんなことには気が付かないだろうか。
未来を残そう

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自分のやりたかった仕事ではないと不満を持つ前に考えること

2022年04月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 新学期というのに電車が遅れ、駅のホームには通勤、通学の人が溢れていた。真新しい服に身を包んだ人も多く見受けられ、若さと活気が感じられた。そんな新人の人たちは与えられた場所で与えられたことを全うすることをまずは第一と考え頑張って欲しい。実は、これ、おととい、寝落ちして書ききることのできなかったテーマ。

 私の息抜き・気分転換であるガーデニングとか料理、必要にかられて行う大工仕事をやっていて、最近わかってきたのは準備と後片付けの大切さ。準備と後片付けの時間を合わせたら、実際に手を動かしている時間と同じかそれ以上かかることもある。というのも準備といっても、計画・立案、予算設定に買い出し、当日の道具出し、後片付けも用具の洗浄、整理、清掃などなど、やらなくてはならないことは数え切れないほどある。

 実際の作業、寄せ植え、料理、日曜大工、そんなことをやっと始めてみると、案外あれこれお考えることはなく、準備の段階で大まかに考えていた通り黙々と手を動かす。そんなある時、どんな仕事・作業であってもまずはこういうことから覚えなくてはいけないということに気がついた。

 見て盗め

 と、先輩職人が後輩に向かっていうことを不親切、今風に言えば放置プレイ、のような言い方をするが、そんなことはない、ひたすら準備、ひたすら後片付けをやらされたからといって、そこから学ぶことは山ほどある。妻にそのことを話したら、

 そうよ、職人さんだったらそうするうちに仕事の段取りを覚えるでしょう。今やらされているのはなんのための準備で、片付けたら作業がどう終わるかを見届けられるでしょ。お料理だってそうよ、皿洗いだったら、お客さんが残したソース、ワインの味を勉強できるし。なんでも準備と片付けは大切なのよ。

 と、あっさり言われた。さすがは職人さんと仕事で関わっていた経験のある人の言うことは違うと感心した。

 新社会人の人で、

 これは自分のやりたかったことではない

 と、不満に思う人はいるかもしれない。でも、そういう先輩、上司の深謀遠慮を知っておくといいだろう。まあ、そんな若い人がこんなおじさんのエントリーを読んでくれることはないだろうから、むしろ私の世代の人間の目に触れて、考えてくれるきっかけとなってくれたら嬉しい。

 このご時世、見て盗めばかりでは心の折れてしまう人も 少なくないだろうから、準備、片付けでまずは段取りを覚えるということが大切だよ、などと一言二言は話してあげることは必要かもしれない。飲み込みの早い人であれば半年か一年でそれなりのことをするようになるだろう。ただ、そこから本人に任せてみると、そこからこそが試行錯誤と苦労の連続だということは教えようもなく、あとは本人次第ということになる。
勉強ー診療ー勉強

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寄せ植えはウクライナカラーで

2022年04月10日 | ガーデニング・菜園・花・緑
 昨日のエントリーは大失敗。以前から温めていたテーマで書き始めたのだがいつの間にか寝落ちしていて、日付の変わる少し前に目が覚めたらタイトルと全く違う話になっていてびっくり、あわててタイトルをそのエントリーに沿ったものに変えたりだの、いったん削除扱いにしたりだので大忙しだった。タイトルとお内容が違ったり、読み直したらタイトルが変わっていたりとかで、いつも拙ブログを読んでいただいている方には大変申し訳ないことをしてしまいました。お詫びします。
 今日で桜も終わりと、レンバイ(鎌倉市農協連即売所)まで妻と花見がてらに鎌倉散歩。ソメイヨシノはほぼ終わりかけていたけれど、かわりに八重桜が咲き出していた。
 考えることはみな同じのようで、段葛を歩いたら大変な人出。来年も無事この桜を見ることはできることを祈る。この時代、明日のことすら予想できない。
 家に帰ってからは日曜大工。相当根を詰めてやって、一仕事終えたところで、寄せ植え作り。今年の夏の寄せ植えはウクライナカラー。
 こんなことしたところでどうなると言われるかもしれない、だが、鎌倉にもウクライナからの戦争難民の方が来るそうなので、散歩の途中にでもこの寄せ植えを見てウクライナカラーであることに気がつき元気を出してもらえたらと思う。この寄せ植え鉢が満開になる頃にはロシアによるウクライナ侵略が終わっていることを祈る。
今日は大忙しでした

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やっと週末に辿り着いた

2022年04月09日 | 鎌倉暮らし
 やっとのことで週末にたどり着けた。今週は診断に苦労する症例が多かった上、年度初めで色々あり忙しかった。頭は痺れかかって、気分転換したかったところで嬉しかった。でも、ウクライナからの映像にあった、

 なぜ幸せに暮らしていたのに、こんなことにならなくてはいけないの?

と嘆き悲しんでいた私と同年配の女性の姿を思い出す。ウクライナでも多くの人が春の訪れを楽しみにしていただろうし、こんなふうに花を楽しむつもりだったのではないかと思うと心は晴れない。

 日本でも、ウクライナ問題で心休まる暇なく忙しく働いている方たちがいる。そんな人たちには申し訳ないと思いながら、心身共にリフレッシュさせてもらったのだけど、残念ながら、鎌倉は一日中強風で、土いじりはほとんどできず、日曜大工の真似事をして過ごした。
 街の方から、右翼だろうか、風のせいで時々途切れてよく聞こえないのだが、ロシアがどうの、ウクライナがナントカいう大声が聞こえてきた。ここぞとばかり、ロシアのことを非難しているのだろうか、昔、飯倉のソ連大使館前での街宣車の声を思い出した。
 電鋸を使ったり、ホームセンターで借りたサンダーを使ったりしているうちに日が傾いていた。せっかくのいい天気でもったいないと、妻と散歩に出かけた。
急な坂をのぼると、山にはまだ桜が残っていて、遠くには鎌倉湾が見える。
 山を越えて建長寺に抜けた。夕方の静かな境内を歩いていると、満開の山桜が見えた。
 建長寺を抜けて、北鎌倉の知人の家をのぞいた。
 ちょうど、フラットコーテッドレトリバーつながりで知り合った人で、ちょうど散歩に出かける時で、しばしモフモフさせてもらった。少し一緒に歩いて、別れた後、段葛の桜を見に行ったら、すごい人出だった。
明日は風が止んでくれるか

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融通のきかない使えないと思う人と対する時

2022年04月08日 | 人間関係
 2022年4月、世界中でもっとも融通のきかない使えない人物と思われているのはロシアのプーチン大統領を措いて他にいないだろう。一週間ほどで終わるだろうと思われていたウクライナへの侵略行為は泥沼化の様相を呈し、一般市民の残虐行為や殺戮までも明らかになってきているが、終わりはなかなか見えてこない。プーチン大統領の始めたことなので、一度あげた拳を下すことのできるのはプーチン大統領以外にいない。誰もがプーチン大統領に停戦を決断してほしいと思っているが、なかなかそうはいかない。つくづく融通のきかない使えない人物だが、他人というのはいつも自分の思惑通りに動いてくれるわけではない。

 仕事でも、思いもよらないところから、それこそ思いもよらない形で横やりが入ることはしばしばある。上司がこちらの期待しているような指導力を発揮してくれなかったり、部下や同僚が思い通りに動いてくれなかったりというのは、ある意味職場のありふれた日常風景だ。そんな”自分にとって都合よく動いてくれない融通のきかない使えない人"に対して不満を持つのは簡単だ。でも、そんな時果たして自分の考えは正しいか、相手は何を考えているのか考えたか、と立ち止まってみる必要がある。

 どんな理由(動機)でこんなことをするのか。ウクライナ人に対するロシアのジェノサイドは許されないことであるけれど、そもそもなぜ、プーチン大統領とロシアはあそこまで追い込まれていたのか、話し合いで防ぐことはできなかったのかと考える必要はある。地政学的、民族的、歴史的な問題が輻輳しているので、極東の島国の一市民にその背景を知ることは難しい。ウクライナとロシアの問題では、多数の人の命が残酷な方法で失われてしまった今となっては議論を振り出しに戻ることはもはやできないことはとても残念だ。

 翻って、私の今いるところのことを考えると、相手のことを単に融通のきかない使えない人として片付けるのではなく、話し合いで解決しなくてはいけないことは多い。私自身、その力量に依って立った行動をしているか否か、地位を恃みとした行動をとっていないか、自分自身が融通のきかない使えない人間になっていないか、と考えてことに当たらなくてはならない。少なくとも年長者として、そういったことに十分注意して周囲の、自分が勝手に”融通のきかない使えない人”というレッテルを貼っている人たちと付き合っていきたい。

わかっちゃいるけど難しい

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人になにかを伝えるときは内容もさることながら話し方も大事

2022年04月07日 | 日々思うこと、考えること
 裏山の山桜はほぼ散って、向こうの方の山の桜も少しずつ消えてきた。鶴岡八幡宮への参道である段葛の桜はまだ頑張っていて今週末までは花見を楽しむことができそうだ。そんな春本番の楽しい気分も、次々と明らかになるウクライナの惨状の報道により雲散霧消してしまう。ウクライナの人たちの苦難とこちらの平穏な生活のあまりの違いに罪悪感を持ってしまうものの、私にできることなどほとんどない。税金の一部でもがウクライナの戦争難民支援に使われるだろうと、っせと仕事に精を出すのが関の山だ。

 先週、友人の教授相手に今度の病理学会のワークショップでの私の講演の予演会を行わせてもらった時に録音しておいた講評を聞き直した。一週間経って改めて聞いてみると、その時は”ふんふん、そうだよね”などと思ったものの、すぐに忘れていたことに気づいた。どれも的を得た指摘で大変役に立た、早速手直しした。さらに、ディスカッション中の自分の声を聞くことをできたのは瓢箪から駒ともいうべきことだった。

 人と話している時、話している人の声の質、抑揚、張りはもとより、無意識のうちに細かな震え、喉の渇き具合まで聞き取り、その内容を総合的に理解している。対面で話すと身振り手振りさらには目力に惑わされて、何を話していたのかわらかなくなってしまうこともあるのに、声だけを聞いているとそのようなことはない。

 録音を聞いてまず感じたのは私の緊張した声。少し高いのは気になるものの、よく通ると言われる自分の声はあまり嫌いではない。そんな自分の声が、ディスカッションをするうち、友人に突っ込まれるたびに震えているということに気がついた。

  おいおい、緊張しているよ

 声を聞くうち、緊張感に加え、口渇感も伝わってくる。何より情けなく感じたのは攻撃的な声となっていたこと。攻撃は最大の防御とばかり、友人の指摘に対し明らかに防御しようとしていたのが伝わってきた。こんなことを本番でやったら赤っ恥以外のなにものでもないのに、これまでこんなことを幾度となくやってきたに違いない。遅まきながらそのようなことの無いように話し方を改めよう。内容さえよければというわけではなく、話し方が大事だ。

 世の中には”話の上手い人”というのが多い。政治家詐欺師宗教家、職業として話す機会の多い先生とか○○師などと呼ばれる人の中には、世間の全てを理解しているかのように、聞く人の前にその風景を見事に出現させることのできる人がいる。その風景が独裁国家の指導者やインチキ宗教の教祖、詐欺商法のセールスマンの話術によって見せられるものだったとしたら、それは悲劇を招く。そのようなことにならないよう、普段から自分なりの行動規範、考える規範というものを確認しておかなくてはいけないだろう。
いわれるがままにならない

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おとといTwitterを開いて考えたこと

2022年04月06日 | 日本のこと、世界のこと
 季節はすっかり春となり花壇の花は咲き乱れ気分は上々、といきたいところだが、学会の準備は滞っているし、ルーチンワークでも難しい症例ばかり続いている。そして何よりウクライナでの虐殺のことも頭を離れず、人間としての自分自身の立ち位置は不明瞭となり、そのあたりをさまよっているようだ。ずいぶん年を重ねてきたとはいえまだしばらくは続きそうなこの生を謳歌していいのか、未来への夢を持っていいのか、苦しむ人がいる一方でそんなことを考えていいのか。だが、幸せな人がいる一方でそうでない人がいるということも人類の歴史だ。

 勤務先の病院では広報活動の一環としてTwitterに投稿している。一昨年、相当数(月2本のペース)投稿したら投稿数トップで院長表彰というのを受けたがあるとき勢いが途絶えて止めていた。年度が改まるからと仕切り直しで投稿を再開し、その1本目が先日掲載された。自分の投稿を読んでみようと、おととい久しぶりにTwitterを開けて、いくつかの投稿を読んでみたら、どれもこれも下らないことばかりで暗澹たる気持ちとなった。
 そこで私に見えたのは、かつて、といっても2、3年前までは、いいことを言っていた政治家などの世のなかの流れについていけず、そのままの立ち位置で、ある意味”喚いている”だけの存在となっている姿だった。

 いつの間にかこの国にはオピニオンリーダーがいなくなっている

それは、もう絶望ともいえる感覚だった。いま、この国の抱えている問題の本質とは何かを真剣に考え、話し合おうとする人はどれほどいるのか。この国には、国防、貧困、ジェンダーその他もろもろのことを自由に語り合える空気は無い。

 もちろん、政治家や官僚、企業トップにはそれぞれそういったことに取り組み、改善する能力を持っている有能な人はたくさんいる。だが、日本のこと、世界のことを俯瞰的な立場から考え論ずることのできる人というのは明らかに足りない。

 TwitterはSNS発達の強力な推進力となってきたことは間違いないし、現時点でもその速報性、わかりやすさは絶大な力を持っている。だが、140字だかそこいらで自らの思いを伝えることができると、世間の多くの人は考えるようになってしまっている。自らの発言はあくまでも一方通行のものであることを忘れ、自分勝手なことになっていることに人々は気がついていない。久しぶりに開いたのがアメリカの大富豪がTwitter社の大株主となり、さらに取締役にもなったというタイミングであり、Twitterについて考えるのにはちょうどよかった。

 問題はSNSの利用法云々というよりは、日本からいつの間にかオピニオンリーダーがいなくなってしまったということだ。腕のいい解説者、それなりの理念を持った企業経営者などは、情報の多い今の時代いくらでもいる。しかし、自らの考えに依って立つ知識人というのはいない。仮にいたとしても、現代のSNSによる超大量情報化時代においてはそれらの知識人はやがて商品化され、大衆社会へと迎合・平準化させられ最後には吸収されてしまう。このことは、日本だけの問題ではなく世界共通の問題で、人類にとって今は冬の時代と言える。

”多様性”に絡め取られるな!

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ワークショップまで残すところあと10日

2022年04月05日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 スッキリした晴れ。しばらくこの好天が続くとのこと。数日来の雨続きで庭の草花はたっぷり水を吸って元気いっぱいだ。ビオラの間に植えておいたチューリップがどんどん咲き出し、今から週末が楽しみだ。だが、ロシアによって蹂躙されるウクライナを思うと暗い気持ちになる。プーチン大統領はロシアをソ連に戻し世界で最も嫌われる国とし、ロシア人をスターリンの末裔として世界で最も恐れられる民族としたいのだろう。このことが世界にとって、さらには善良なロシア人にとって最悪の展開であることは間違いない。
 さて、来週の14日から第111回日本病理学会総会がはじまる、私の出番としてはワークショップでの講演とか座長があっていずれも初日に集中しており、あれこれ忙しくなりそう。

 ところで、シンポジウムとかワークショップというが、一体どんなことをどんな形式での発表を思い浮かべるだろう。それぞれを一言で表すとシンポジウムは”公開討論会”、ワークショップは”参加者が主体性をもって参加するイベント”のこととなり、ワークショップで講演する場合、私があるテーマについて主体性を持って講演するセッション、ということとなる。そして私の専門領域はとてもニッチで、そのニッチなことを聞きに来る人が相手のセッションだ。ニッチな領域とはいっても病気で困っている患者さん、さらには診断に難渋する病理医、臨床医は必ずいるので私のようなものでも必要とされて御座敷がかかる(学会なのでもちろん無償)。

 その講演だが、私が主体性をもって行うことができるかというとよくわからない。ただ、話す内容はモデレーターが考えたお題に沿ってさえいたら自由で同じセッションの他の発表者と打ち合わせをするわけでもない。そんなわけで適当に見繕って講演スライドを作ったら大作になってしまった。ちなみに私のお題は腎臓について、ほかは心臓、脈管、膵臓、性線。てんでんバラバラのようでいて共通項があるのだからモデレーターはすごいと感心する。
 準備は少し早く進んでいてこれまでえ2度ほど予演会をやったが、大幅に時間オーバー。大幅にカットしてしなくてはならなくなった。いよいよあと10日を切って、少し頑張るモードに切り替えることにしたいのだが、なにせ病理の画像というと臓器すなわち内蔵の写真が出てくるので電車の中などでは行うことができない。
毎度のことで

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ロシアはプロパガンダをやめ、一刻も早い停戦実現を

2022年04月04日 | 日本のこと、世界のこと
 花散らしの雨は昨日より一層強く、寒さもあっていつものベランダからの写真は撮り損ねた(このため写真はまたもや比企ヶ谷の妙本寺)。雨は一日中降り続けるとの予報。桜もあらかた散ってしまうだろうが、花を惜しむこともまた桜の楽しみ方ではある。近づいて枝を見ると新芽が出始めていてつい先日まで眠っていた木々が季節の移り変わりとともに目覚めるということの不思議さを実感する。花冷えは今日までで明日からは暖かくなり、5月の連休過ぎまでの気持ちの良い季節が始まるようだ。
 ウクライナは首都のある北部キーウ州を奪還したとのことだが、これはロシア軍が撤退(転進?)したせいなので、軍事的にウクライナが優位に立ったということではないだろう。それよりも北部地方に化学兵器、生物兵器を使用するためにロシア軍を引き上げさせたなんてことでなければいいがと危惧する。
 
 NHKほかテレビ各局では解放された街に横たわる遺体が放映されている。モザイク越しとはいえ、つい数ヶ月前までは平和に暮らしていた人々が殺戮されたという事実がそこにある。誰が見てもロシア軍による虐殺行為だが、ロシアではこれをウクライナ軍に行為と主張しているそうだ。東部の戦線ではロシア軍が地元住民を”救助”しているという映像もあった。実際にその場に行って、殺戮を目撃したわけではないのでなんともいえないが、ロシアの歴史・・・権力者による拷問、虐殺、シベリア送り・・・を思うとその言い分を信じることは容易ではない。いずれにせよ国内外いずれに対してもプロパガンダはもうやめて、とにかく戦闘だけはよしてほしい。”司直の判断を受ける勇気を”を言い換え、”国際社会の判断を受け入れる勇気を”といってもロシアには通じないだろうが、停戦が1日も早く実現することを祈るばかりだ。

 朝日の朝刊には、今回の岸田政権の動きについても報じられていた。今後の日露関係をどうしていくかということで、逡巡があったようだが、結局は欧米諸国と足並みをそろえて経済制裁を行い、防弾チョッキを送った。日本はG7の一員であるということを世界に向けて示し、少なくとも中国よりも世界に貢献する国であると認識されただろう。しかしながら、多くの日本人が、日露間の平和条約締結への道がほぼ閉ざされ、北方領土が話し合いで返還されることはないと実感しただろうし、北海道の防衛を真剣に考えることにもなった。
 
 それにしてもロシアは、国連総会で自国を支持する国がベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、シリアだけだったことを、国民に向けてどう説明するのだろう。四面楚歌であることなど都合が悪いからこれも報道されないのかもしれないが、”まとも”な知性を有する人であれば国際社会による自国の評価を知りたいに違いないはずだ。

 ロシアによるウクライナ侵攻は、ウクライナの人に深刻な人道的被害をもたらしているが、同時に世界中の少なくない数の人の心を蝕んでいる。西欧諸国は来月ロシアが出すという勝利宣言後の戦後処理に向けて動き出すだろうが、それまでまだ1ヶ月もある。無差別爆撃が行われるたびに人が死に、遺体の下に隠された地雷によってさらに殺傷される人もいる。ロシアがこの地上にもたらしたのは地獄の風景以外のなにものでもない。繰り返しになるが、一日、いや一刻も早く停戦、終戦を実現してほしい。
英雄になど誰もなれない

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今日の鎌倉、あいにくの花散らしの雨

2022年04月03日 | 鎌倉暮らし
 鎌倉は朝からずっと雨。昼前に買い物に出かけたら、中心部に向かう道路は大渋滞。こんな天気だったがやってきた人は花見を楽しむことはできただろうか。
 新型コロナウイルスのこともウクライナ侵攻のことも考えていると元気がなくなってしまうので、ここ数日の鎌倉の桜の写真。
 金曜日の夜、帰ってきたら段葛がライトアップされていた。鶴岡八幡宮の本殿の後ろの山まで明るく照らされている。NHKが全国の桜の名所を巡っていたので、最終日は鎌倉かと思いながら家に帰ったら、案の定そうだった。11時少し前にはコブクロが舞殿で桜という歌を歌っていた。当然といえば当然かもしれないが窓を開けても歌声は聞こえてこなかった。
 これは昨日の鶴岡八幡宮の源平池の源氏池。今日は見に行かなかったが、花散らしの雨で花筏となっているだろう。
 昨日の朝の三の鳥居の前。昨日の昼、娘の社会人デビューと私の分子病理専門医認定ということで、和田塚のイタリアン、Dottorino Kamakura
で食事をしに出たが、その時はもっとすごい人出となっていた。今日はどうだっっただろう。

 段葛を経て和田塚へ。
 シェフはイタリア人。このレストラン最近人気急上昇。
 以前は別のところでスタンドのようなところでやっていて、そちらの店のことを妻はよく知っていたそうで、まさかこんな立派なお店になっているとは、と驚いていた。
 最後は美味しいピザとデザート。妻と娘と三人でゆっくり食事した。イタリアン激戦区鎌倉のサクセスストーリーだった。
 昨日の朝は、本覚寺を抜けて比企ヶ谷へ。
 比企ヶ谷の奥には花の美しい妙本寺。
 日蓮聖人像

 紅葉の新緑も美しい。人混みを避けて裏道を歩いた。
 フラットコーテッドッレトリバーのナイトとよく来た赤い橋の上の桜もよく咲いていた。
 萩寺として有名な宝戒寺。
 頼朝の墓近く、大倉幕府奥法華堂跡の桜並木。右奥に頼朝の墓。
鎌倉の桜の名所といえば、鎌倉ハイランドの桜並木を忘れてはいけない。
 買い物帰りに、写真を。さあ、明日からまた頑張ろう。
夢は見つかったか

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戦争という異常によって正当化される狂気・・・2022年3月の読書記録

2022年04月02日 | 読書、映画、音楽、美術
 『海と毒薬』は先の大戦中に行われた生体解剖を題材とした話だった。解剖を行った医師たちに狂気はなく、それは淡々と行われていた。戦争という状況は人を狂気に導いているにも関わらず、それが狂った行為どころか正当なものであるとする。今、ウクライナで行われているロシア人による殺戮行為は狂気の沙汰としか表現のできない異常な状態であるにも関わらず終息の気配すらない。さらに異常なのは、ロシアが核兵器を世界中に打ち込む可能性があるということだろう。いまや狂人に億単位の人間の命が握られている。
 ジェンダー差別がどうのこうのということはとても大切なことなのだが、それも平和な時代にあって初めて問題にされることだ。ウクライナの人たちの絶望の前に、ペンの力が無力であるということは残念としか言いようがない。

読んだ本の数:3
読んだページ数:944
ナイス数:67

わかっているのについ口を突いて出てしまう一言、そんな何気ない一言が人を深く傷つける。人を傷つけるということ以上に、そういう社会を肯定していることについてよく考える必要がある。とはいうものの日常生活で一つ一つの言葉を注意しながら生きるというのは難しいことだが、何歳になってもそれではダメ。かくいう私は来年還暦、駄言を封印して真の大人を目指したい。
読了日:03月31日 著者: 

朝日新聞の書評(それがどのようなものだったかは忘れた)に惹かれて購入したが、今ひとつ。SFというか実験的な小説というかそんなところなのだが、筒井康隆ファンとしては、"これぐらいの作品、筒井だったらあっさり書いていただろう、それも何本も"と思いながら読み進めた。ラストはまったく筒井のそれであって、まあ、これはこれで今の時代の名作となって残るかもしれないが、私には拍子抜け。
読了日:03月31日 著者:エルヴェ ル・テリエ

冒頭の場面、重松清『疾走』のヒロインの少女がトラックにはねられた工業地帯の景色が浮かんだ。遠藤周作は"日本人とは何か"ということをこの作品を通して考えたというが、その試みはどれほど達成されただろうか。日本人とはこうだという枠を設定することは容易だが、そのことに拘泥してしまうと自虐的なものに堕してしまうように思う。たしかに、付和雷同、同調圧力、見て見ぬふり、低い自己肯定感といった伝統的日本人像を否定する気はないが。
読了日:03月10日 著者:遠藤 周作


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