許すなロックアウト解雇① 日本IBMの労働者たち
作家 田島 一さん
「巨象」の栄光どこにいった
猛烈な暑さに見舞われ始めていた7月13日。私は東京地裁の法廷で、日本IBMにより「ロックアウト解雇」された田中純さん(45)の陳述に耳を傾けていた。
田中さんは裁判長にまっすぐ目を向け、解雇の不当を主張し、夫人と4歳になったばかりの娘さんの3人家族で、「雇用保険の給付と貯蓄を切り崩しながら、何とかやりくりして暮らしている」実態も吐露していた。
無念背負う覚悟
緊張した様子の細身の田中さんの後姿からは、仕事への誇りもずたずたにし、人格そのものまで否定する会社への怒り、家庭をどう守っていくのかという不安、そして同時に、JMIU(全日本金属情報機器労働組合)日本IBM支部の中央執行委員として、過去に同様の手口で職場を追われた多くの労働者の無念を背負う強い覚悟が感じとれた。
ロータスで知られた表計算システムやグループウェアなど応用ソフトの顧客対応を担当する、エンジニアの田中さんと私が初めて会ったのは、今年の1月末、東京・港区赤坂にある労組の事務所を訪ねたときだった。十数人の組合員の方が参加する、「PBC・PIP、賃金減額リストラ対策集会」の場を取材させていただいたのである。
いま労働者を震憾させている「ロックアウト解雇」は、PBCと呼ばれる成果主義の「人事業績評価制度」とPIPなる「業績改善プログラム」により組み立てられている。狙いを定めた労働者への低評価に始まり、減給・降格・退職勧奨から解雇に至る巧妙な道筋のシナリオに沿って、田中さんの放出は強行されたのである。
業績の評価といっても相対的で、たとえば所属のグループ全員が大きな成果を上げた場合でも、必ず低位の者が生ずるし、誰と比べられているかも分からず不透明なものだ。ちなみに2005年に、当時の日本IBM会長、北城恪太郎氏は経営者向けのセミナーの場で、評価は「上司が気分で決めている」と本音を漏らして物議をかもした。
すさまじい状況
PBCの低評価者に会社は、PIPによる改善目標の設定を課すのだが、達成できそうにないノルマを受け容れさせるのが「お決まり」のパターンで、「改善の機会を与えたがだめだった」と、退職への引導を渡すのが最終目的なのである。
その日の日本IBM支部の対策集会は、IT技術者の労組にふさわしく、大阪などの会場ともつなぐ「インターネット会議」でおこなわれていた。過重な働きが原因のメンタル面の症状で苦しむ方の参加もあり、苛烈な攻撃にどう対処していくか、仲間を思いやりながらの真剣な論議が交わされていたのだった。
次々と耳にする荒涼たる職場の状況は、私の想像以上にすさまじかった。日本企業が目標にして追いかけ、「巨象」とまで言われたかつての栄光はどこに行ったのだろう。企業は社員あってこそ成り立つものなのに、有能な人材を間断なくはじき出すさまは、たそがれの光景としか私の目には映らなかった。
(つづく、5回連載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年10月15日付掲載
達成できそうにないノルマを受け容れさせるのが「お決まり」のパターンで、「改善の機会を与えたがだめだった」と、退職への引導を渡すのが最終目的。
退職強要されるのは無能な人材ではない。その判定基準は恣意的とも言える。
作家 田島 一さん
「巨象」の栄光どこにいった
猛烈な暑さに見舞われ始めていた7月13日。私は東京地裁の法廷で、日本IBMにより「ロックアウト解雇」された田中純さん(45)の陳述に耳を傾けていた。
田中さんは裁判長にまっすぐ目を向け、解雇の不当を主張し、夫人と4歳になったばかりの娘さんの3人家族で、「雇用保険の給付と貯蓄を切り崩しながら、何とかやりくりして暮らしている」実態も吐露していた。
無念背負う覚悟
緊張した様子の細身の田中さんの後姿からは、仕事への誇りもずたずたにし、人格そのものまで否定する会社への怒り、家庭をどう守っていくのかという不安、そして同時に、JMIU(全日本金属情報機器労働組合)日本IBM支部の中央執行委員として、過去に同様の手口で職場を追われた多くの労働者の無念を背負う強い覚悟が感じとれた。
ロータスで知られた表計算システムやグループウェアなど応用ソフトの顧客対応を担当する、エンジニアの田中さんと私が初めて会ったのは、今年の1月末、東京・港区赤坂にある労組の事務所を訪ねたときだった。十数人の組合員の方が参加する、「PBC・PIP、賃金減額リストラ対策集会」の場を取材させていただいたのである。
いま労働者を震憾させている「ロックアウト解雇」は、PBCと呼ばれる成果主義の「人事業績評価制度」とPIPなる「業績改善プログラム」により組み立てられている。狙いを定めた労働者への低評価に始まり、減給・降格・退職勧奨から解雇に至る巧妙な道筋のシナリオに沿って、田中さんの放出は強行されたのである。
業績の評価といっても相対的で、たとえば所属のグループ全員が大きな成果を上げた場合でも、必ず低位の者が生ずるし、誰と比べられているかも分からず不透明なものだ。ちなみに2005年に、当時の日本IBM会長、北城恪太郎氏は経営者向けのセミナーの場で、評価は「上司が気分で決めている」と本音を漏らして物議をかもした。
すさまじい状況
PBCの低評価者に会社は、PIPによる改善目標の設定を課すのだが、達成できそうにないノルマを受け容れさせるのが「お決まり」のパターンで、「改善の機会を与えたがだめだった」と、退職への引導を渡すのが最終目的なのである。
その日の日本IBM支部の対策集会は、IT技術者の労組にふさわしく、大阪などの会場ともつなぐ「インターネット会議」でおこなわれていた。過重な働きが原因のメンタル面の症状で苦しむ方の参加もあり、苛烈な攻撃にどう対処していくか、仲間を思いやりながらの真剣な論議が交わされていたのだった。
次々と耳にする荒涼たる職場の状況は、私の想像以上にすさまじかった。日本企業が目標にして追いかけ、「巨象」とまで言われたかつての栄光はどこに行ったのだろう。企業は社員あってこそ成り立つものなのに、有能な人材を間断なくはじき出すさまは、たそがれの光景としか私の目には映らなかった。
(つづく、5回連載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年10月15日付掲載
達成できそうにないノルマを受け容れさせるのが「お決まり」のパターンで、「改善の機会を与えたがだめだった」と、退職への引導を渡すのが最終目的。
退職強要されるのは無能な人材ではない。その判定基準は恣意的とも言える。