兵庫革新懇が講演会「言論と報道の自由」 読者の声で果たさせよう
兵庫革新懇主催の講演会「言論と報道の自由を守る」が十八日、神戸市長田区のピフレホールで開かれ、370人が参加しました。
ヴァリオリン演奏 西村恵一&平野有希
オープニングにヴァイオリン演奏がありました。
演奏 ヴァイオリニスト 西村恵一 平野有希
曲目 作曲者
タンゴ アルベニス
ガボツト ゴセツク
ムーンリバー マンシーニ
チャルダッシュ モンティ

司会 小山乃里子 posted by (C)きんちゃん
司会は、ラジオパーソナリティの小山乃里子さん。

主催者あいさつ 前哲夫 posted by (C)きんちゃん
前哲夫兵庫革新懇代表世話人が、戦争法と並行して、国民の知る権利、言論と報道の自由への抑圧が強まっており、これを許してはならない。その闘いの一環としてこの講演会を開催したと、開会のあいさつ。
【講師紹介】
島洋子 しま・ようこ 琉球新報社東京報道部長。
1967年・沖縄県生まれ。1991年琉球新報社入社。融経部、社会部・中部支社宜野湾市担当、経済部、政治部などを経て現職。米軍基地が沖縄経済の発展を阻害している側面を明らかにした連載「ひずみの構造―基地と沖縄経済」で、2011年「平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞」を受賞。
鈴木健二 すずき・けんじ 城西大学大学院客員教授
1942年生まれ。東京大学大学院博士課程修了、社会学博士。毎日新聞ワシントン特派員、政治部副部長、諭説副委員長などを経て、成険大学教授兼アジア太平洋研究センター所長。途中、ハーバード大学客員研究員、2013年から現職。
著書『フィリピン革命を食った人びと』『デジタルは「国民=国家」を溶かす』『地方テレビ局は生き残れるか』『ナショナリズムとメディア』『日米「危機」と報道』など多数。
最近刊『戦争と新聞』、『寒椿 水田三喜男伝』

島洋子講演_01 posted by (C)きんちゃん
最初に島洋子琉球新報社東京支社報道部長が「沖縄からの報告」を行い、沖縄の経済は決して基地に依存しているわけではない。辺野古基地建設反対のオール沖縄の勢力が勝利していることについて、もともと新基地反対が沖縄県民の声であったことなどを紹介。県民の声を報道している琉球新報や沖縄タイムスをつぶしてしまえ、などという自民党内部の暴言は許されるものではないと強調しました。
【島洋子講演(音声)】
【レジメ】
「沖縄でいま何が起きているか」
琉球新報東京報道部 島洋子
1)沖縄はいま
①沖縄でいま何が起こっているか。
②オール沖縄の闘い
2)沖縄をめぐる2つの神話
①「沖縄は基地で食っている」という神話
②「海兵隊は抑止力」という神話
3)オスプレイ
4)集団的自衛権、安保法制と沖縄そして日本

島洋子講演_02 posted by (C)きんちゃん

島洋子講演_03 posted by (C)きんちゃん
講演の最後に、辺野古新基地反対の集会を報じた「琉球新報」の紙面を紹介。

島洋子講演_04 posted by (C)きんちゃん
開くと、こうなっています。圧倒されますね。

鈴木健二講演_01 posted by (C)きんちゃん
鈴木健二城西大学大学院客員教授は、「新聞報道の歴史と責任」をテーマに講演。明治時代以来の戦争で新聞の果たしてきた役割をくわしく振り返り、日本の新聞が権力に弱く、戦争の報道で伸びてきた事実を指摘。新聞の権力への癒着の要因は多々あり、新聞が社会の公器としての役割を果たすためには読者の声の反映が何よりも重要だと語りました。
【鈴木健二講演(音声)】
【レジメ】
「新聞報道の歴史と責任」
鈴木健二(城西国際大学大学院客員教授)
1.次の3点についてお話しすることにします。
最初は「1918年夏の出来事」
2番目は「日本の新聞の特殊性」
そして最後に「戦争報道と新聞の責任」です。
2.約100年も前の昔話をするのは、実は現在進行していることとそっくりだからです。
その行き着く先が“もの言わぬ新聞吻操られる新聞”“大本営新聞”だった歴史を知っている私たちは、眦(まなじり)を決して新聞を監視していかなければならないと考えます。
3.1918年は大正時代の真ん中、大正デモクラシーの華やいだ年でした。
新聞は政変でも「朝日新聞」(正確には「大阪朝日」)を中心に鋭い筆鋒で活躍し、最も勢いのあったときだったと思います。
新聞の政治関与を警戒した政府は8月末、「朝日」を狙い撃ちして、その息の根を止めにかかります。「白虹事件」です。些細な新聞記事の文言にいちゃもんをつけて「朝日」に鉄槌を下しました。ライバル紙の「毎日新聞」(正確には大阪毎日)は「朝日」の苦境に乗じて、その読者を奪おうとします。昨年夏の慰安婦報道をめぐる“朝日バッシング”でも、「毎日」ではありませんが、別の大新聞が同じような行動に出ました。
4.さらに政府はマスコミ全体を、といっても当時は活字メディアだけですが、締めつけようと本腰を入れて乗り出します。
「朝日」路線を制裁し、小新聞にテコ入れします。これも安倍政権が“朝日バッシング”の後、NHKやテレビ朝日の報道にくちばしを入れ、報道界全体ににらみを利かせようとしたことと同じですね。その結果が、今回の政府・自民党の暴挙に対して、一致して対応できなかった報道につながっていくのです。
5.どうしてマスコミは、こうもひ弱なのか。それは日本の近代新聞の歴史と密接に関係します。
欧米の新聞は今日の言論の自由を獲得するまでに、権力と血みどろな戦いを繰り広げ、多大な犠牲を払ってきました。だから根底において、反権力精神がしみ込んでいます。ところが日本の新聞は、一言でいえば権力の庇護のもとに誕生し成長しました。政府は新聞に、さまざまな便宜を図ってきましたし、資金援助もしました。
6.だから日本の新聞の中心軸には「市民」ではなく「国家」がどっかりと座っています。戦前の新聞は天皇制のなかに「公」の概念を求め、市民の生活より国家の栄光を追求する傾向にありました。加えて戦前の新聞人は上昇志向が強く、機会があれば権力に近づこうとしました。明治時代には“有能な”新聞記者は政府の一本釣りで官僚に取り立てられ、その後は政治家に転出する者が多く出ました。
これは戦後も同じです。たとえば現在でも政府の審議会と称する諮問機関に、信じられないほど大勢の新聞記者が「有識者」として参加しています。
7.では、新聞は戦争をどう報道してきたか。直近ではイラク戦争や湾岸戦争にその実例を見ることが出来ます。
ほとんどが米政府や米軍の情報に基づいて報道していましたから、本当のところは皆目わかりませんでした。誤ったイラク戦争の結果が今日の中東の混乱を招いたことを考えると、報道機関の犯した罪は甚だ重いと言わざるを得ません。軍に頼り、軍に操られるマスコミの戦争報道は、洋の東西を問わず、また今も昔も変わりません。
8.それだけでなく、日本の新聞は戦争によって太った、大きくなったということです。
明治維新以降の日本は1877年の西南戦争をはさんで台湾出兵、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争と、休む間もなく戦争を続けてきました。実は新聞は、戦争のたびに発行部数を伸ばし、組織を拡大していったのです。だから新聞は戦時においては言うまでもなく、平時でも国民を煽り、軍部に媚を売りました。戦争は新聞の糧だったといっても過言ではないと思います。
9.その結果、どうなったか。「大阪朝日」も「大阪毎日」も1924年1月に100万部を突破したと大々的に宣伝しました。
が、新聞は読者が多くなればなるほど、八方美人化します。読者を失いたくないために、機微に触れたことは書かない、代わりに面白い刺激的な記事を掲載するようになります。戦前は在郷軍人会という退役軍人の組織があって、なにかというと「不買運動を起こすぞ」と脅して新聞を沈黙させました。昨年夏、「朝日新聞」の萎縮を狙って、ネット上に罵詈雑言があふれたことを思い出してください。
10.新聞は攻めているときには強いのですが、守りに廻るとこれほど弱いものはありません。
また、単独だと脆弱で、個別攻撃にはもろいものです。そして大勢に流されやすい。だから、新聞は自分の弱点を充分に認識して、常に神経を研ぎ澄ましていなければなりません。戦争の足音には臆病なほど神経過敏でなければなりません。
「まあ、いいや」は絶対に禁物です。それを支援するのは、賢明な読者の眼です。
新聞を厳しくしっかり見つめて、温かく強く育ててください。新聞人のひとりとして、皆様にお願いするしだいです。

鈴木健二講演_02 posted by (C)きんちゃん

閉会あいさつ posted by (C)きんちゃん
宮田元県議が閉会あいさつ。講師の鈴木健二さんの最近刊『戦争と新聞』を紹介しました。

琉球新報紙面 posted by (C)きんちゃん
会場の出口に、辺野古基地の埋め立て承認取り消しを発表する翁長知事の記者会見を報ずる「琉球新報」の紙面が…。
参加者からは、沖縄の現状や新聞の実態について深く知ることができた、などの声が多数寄せられました。また、辺野古基地建設反対の支援募金が13万円余寄せられました。
元気になる講演会でした。
兵庫革新懇主催の講演会「言論と報道の自由を守る」が十八日、神戸市長田区のピフレホールで開かれ、370人が参加しました。
ヴァリオリン演奏 西村恵一&平野有希
オープニングにヴァイオリン演奏がありました。
演奏 ヴァイオリニスト 西村恵一 平野有希
曲目 作曲者
タンゴ アルベニス
ガボツト ゴセツク
ムーンリバー マンシーニ
チャルダッシュ モンティ

司会 小山乃里子 posted by (C)きんちゃん
司会は、ラジオパーソナリティの小山乃里子さん。

主催者あいさつ 前哲夫 posted by (C)きんちゃん
前哲夫兵庫革新懇代表世話人が、戦争法と並行して、国民の知る権利、言論と報道の自由への抑圧が強まっており、これを許してはならない。その闘いの一環としてこの講演会を開催したと、開会のあいさつ。
【講師紹介】
島洋子 しま・ようこ 琉球新報社東京報道部長。
1967年・沖縄県生まれ。1991年琉球新報社入社。融経部、社会部・中部支社宜野湾市担当、経済部、政治部などを経て現職。米軍基地が沖縄経済の発展を阻害している側面を明らかにした連載「ひずみの構造―基地と沖縄経済」で、2011年「平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞」を受賞。
鈴木健二 すずき・けんじ 城西大学大学院客員教授
1942年生まれ。東京大学大学院博士課程修了、社会学博士。毎日新聞ワシントン特派員、政治部副部長、諭説副委員長などを経て、成険大学教授兼アジア太平洋研究センター所長。途中、ハーバード大学客員研究員、2013年から現職。
著書『フィリピン革命を食った人びと』『デジタルは「国民=国家」を溶かす』『地方テレビ局は生き残れるか』『ナショナリズムとメディア』『日米「危機」と報道』など多数。
最近刊『戦争と新聞』、『寒椿 水田三喜男伝』

島洋子講演_01 posted by (C)きんちゃん
最初に島洋子琉球新報社東京支社報道部長が「沖縄からの報告」を行い、沖縄の経済は決して基地に依存しているわけではない。辺野古基地建設反対のオール沖縄の勢力が勝利していることについて、もともと新基地反対が沖縄県民の声であったことなどを紹介。県民の声を報道している琉球新報や沖縄タイムスをつぶしてしまえ、などという自民党内部の暴言は許されるものではないと強調しました。
【島洋子講演(音声)】
【レジメ】
「沖縄でいま何が起きているか」
琉球新報東京報道部 島洋子
1)沖縄はいま
①沖縄でいま何が起こっているか。
②オール沖縄の闘い
2)沖縄をめぐる2つの神話
①「沖縄は基地で食っている」という神話
②「海兵隊は抑止力」という神話
3)オスプレイ
4)集団的自衛権、安保法制と沖縄そして日本

島洋子講演_02 posted by (C)きんちゃん

島洋子講演_03 posted by (C)きんちゃん
講演の最後に、辺野古新基地反対の集会を報じた「琉球新報」の紙面を紹介。

島洋子講演_04 posted by (C)きんちゃん
開くと、こうなっています。圧倒されますね。

鈴木健二講演_01 posted by (C)きんちゃん
鈴木健二城西大学大学院客員教授は、「新聞報道の歴史と責任」をテーマに講演。明治時代以来の戦争で新聞の果たしてきた役割をくわしく振り返り、日本の新聞が権力に弱く、戦争の報道で伸びてきた事実を指摘。新聞の権力への癒着の要因は多々あり、新聞が社会の公器としての役割を果たすためには読者の声の反映が何よりも重要だと語りました。
【鈴木健二講演(音声)】
【レジメ】
「新聞報道の歴史と責任」
鈴木健二(城西国際大学大学院客員教授)
1.次の3点についてお話しすることにします。
最初は「1918年夏の出来事」
2番目は「日本の新聞の特殊性」
そして最後に「戦争報道と新聞の責任」です。
2.約100年も前の昔話をするのは、実は現在進行していることとそっくりだからです。
その行き着く先が“もの言わぬ新聞吻操られる新聞”“大本営新聞”だった歴史を知っている私たちは、眦(まなじり)を決して新聞を監視していかなければならないと考えます。
3.1918年は大正時代の真ん中、大正デモクラシーの華やいだ年でした。
新聞は政変でも「朝日新聞」(正確には「大阪朝日」)を中心に鋭い筆鋒で活躍し、最も勢いのあったときだったと思います。
新聞の政治関与を警戒した政府は8月末、「朝日」を狙い撃ちして、その息の根を止めにかかります。「白虹事件」です。些細な新聞記事の文言にいちゃもんをつけて「朝日」に鉄槌を下しました。ライバル紙の「毎日新聞」(正確には大阪毎日)は「朝日」の苦境に乗じて、その読者を奪おうとします。昨年夏の慰安婦報道をめぐる“朝日バッシング”でも、「毎日」ではありませんが、別の大新聞が同じような行動に出ました。
4.さらに政府はマスコミ全体を、といっても当時は活字メディアだけですが、締めつけようと本腰を入れて乗り出します。
「朝日」路線を制裁し、小新聞にテコ入れします。これも安倍政権が“朝日バッシング”の後、NHKやテレビ朝日の報道にくちばしを入れ、報道界全体ににらみを利かせようとしたことと同じですね。その結果が、今回の政府・自民党の暴挙に対して、一致して対応できなかった報道につながっていくのです。
5.どうしてマスコミは、こうもひ弱なのか。それは日本の近代新聞の歴史と密接に関係します。
欧米の新聞は今日の言論の自由を獲得するまでに、権力と血みどろな戦いを繰り広げ、多大な犠牲を払ってきました。だから根底において、反権力精神がしみ込んでいます。ところが日本の新聞は、一言でいえば権力の庇護のもとに誕生し成長しました。政府は新聞に、さまざまな便宜を図ってきましたし、資金援助もしました。
6.だから日本の新聞の中心軸には「市民」ではなく「国家」がどっかりと座っています。戦前の新聞は天皇制のなかに「公」の概念を求め、市民の生活より国家の栄光を追求する傾向にありました。加えて戦前の新聞人は上昇志向が強く、機会があれば権力に近づこうとしました。明治時代には“有能な”新聞記者は政府の一本釣りで官僚に取り立てられ、その後は政治家に転出する者が多く出ました。
これは戦後も同じです。たとえば現在でも政府の審議会と称する諮問機関に、信じられないほど大勢の新聞記者が「有識者」として参加しています。
7.では、新聞は戦争をどう報道してきたか。直近ではイラク戦争や湾岸戦争にその実例を見ることが出来ます。
ほとんどが米政府や米軍の情報に基づいて報道していましたから、本当のところは皆目わかりませんでした。誤ったイラク戦争の結果が今日の中東の混乱を招いたことを考えると、報道機関の犯した罪は甚だ重いと言わざるを得ません。軍に頼り、軍に操られるマスコミの戦争報道は、洋の東西を問わず、また今も昔も変わりません。
8.それだけでなく、日本の新聞は戦争によって太った、大きくなったということです。
明治維新以降の日本は1877年の西南戦争をはさんで台湾出兵、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争と、休む間もなく戦争を続けてきました。実は新聞は、戦争のたびに発行部数を伸ばし、組織を拡大していったのです。だから新聞は戦時においては言うまでもなく、平時でも国民を煽り、軍部に媚を売りました。戦争は新聞の糧だったといっても過言ではないと思います。
9.その結果、どうなったか。「大阪朝日」も「大阪毎日」も1924年1月に100万部を突破したと大々的に宣伝しました。
が、新聞は読者が多くなればなるほど、八方美人化します。読者を失いたくないために、機微に触れたことは書かない、代わりに面白い刺激的な記事を掲載するようになります。戦前は在郷軍人会という退役軍人の組織があって、なにかというと「不買運動を起こすぞ」と脅して新聞を沈黙させました。昨年夏、「朝日新聞」の萎縮を狙って、ネット上に罵詈雑言があふれたことを思い出してください。
10.新聞は攻めているときには強いのですが、守りに廻るとこれほど弱いものはありません。
また、単独だと脆弱で、個別攻撃にはもろいものです。そして大勢に流されやすい。だから、新聞は自分の弱点を充分に認識して、常に神経を研ぎ澄ましていなければなりません。戦争の足音には臆病なほど神経過敏でなければなりません。
「まあ、いいや」は絶対に禁物です。それを支援するのは、賢明な読者の眼です。
新聞を厳しくしっかり見つめて、温かく強く育ててください。新聞人のひとりとして、皆様にお願いするしだいです。

鈴木健二講演_02 posted by (C)きんちゃん

閉会あいさつ posted by (C)きんちゃん
宮田元県議が閉会あいさつ。講師の鈴木健二さんの最近刊『戦争と新聞』を紹介しました。

琉球新報紙面 posted by (C)きんちゃん
会場の出口に、辺野古基地の埋め立て承認取り消しを発表する翁長知事の記者会見を報ずる「琉球新報」の紙面が…。
参加者からは、沖縄の現状や新聞の実態について深く知ることができた、などの声が多数寄せられました。また、辺野古基地建設反対の支援募金が13万円余寄せられました。
元気になる講演会でした。