予防の虚像 健康は自己責任か④ 「ヘルパーはもう来ません」
「『卒業』という言葉がヘルパーさんが打ち切られることだとは、私も母も全く理解していなかったんです。昨年末にヘルパーさんとケアマネジャーさん、地域包括支援センターの方が来られて、そこであと1カ月でおしまいだと言われて初めて分かったんです」
東京都大田区の菅谷郁恵区議(日本共産党)とともに山下令子さん(83、仮名)を訪ねると、出迎えた娘の昭子さん(61、同)がそう語りだしました。
令子さんが初めて介護認定を受けたのは2014年。判定は最も軽い要支援1でした。このときはまだ1人でバスに乗ることも、なんとか歩いて買い物に行くこともできました。
しかしいま、令子さんは一度寝転がらないと立ち上がることができず、どこかにつかまらないと移動もできません。夫が亡くなって以降、アパートに1人暮らしです。
「お台所にお水のペットポトル1本取りに行くのも大変で、どうしようか考えてしまう。階段よりも手すりのない平らな地面を歩く方が怖い。アパートの外には行けません」(令子さん)
昭子さんが週に数回、車で40分ほどかけて様子を見に来ますが、16年から週1度、介護ヘルパーを頼むようになりました。
「1回45分なので十分ではないけど、私も勤めがあるので、ヘルパーさんが来る日は安心感がありました」(昭子さん)

菅谷大田区議と話す令子さん(手前)
突然の打ち切り
ところが17年末、ケアマネらが令子さんを訪ねてきて、「卒業」後のことをしきりに話題にしていきます。
実はこの時期、介護保険制度は要支援1~2を介護保険サービスから市区町村が実施する総合事業に移行させる仕上げの時期に入っていました。14年の介護保険法改定によって15~17年度は経過措置期間とされ、18年度に完全移行とされていたのです。
総合事業は予防が目的で、介護を受けている高齢者にリハビリで自立することを求めます。大田区の場合、原則1年で介護保険を「卒業」し、体操教室などに自力で参加できるようになることが目標とされていました。
ケアマネらの令子さん訪問は、そのことを伝えにきたものでしたが、令子さんも昭子さんも、総合事業のことも、「卒業」が何を意味するのかも分かりませんでした。
そして1年後、令子さんは一度もリハビリを受けることなく、再度のケアマネらの訪問でヘルパーの打ち切りを告げられました。
「何度かリハビリに誘われたけど、週3回の通院だけでも本当に大変。ためらっていたら全く連絡がこなくなった。ヘルパーを打ち切られてからは、介護事業所もケアマネも一度も来ていない。外を歩けないので体操教室などにはとても行けない」(令子さん)
家族にしわ寄せ
ところが安倍政権は、要支援に加え要介護1~2も介護保険から総合事業に移行させようとしています。自民党の有志議員でつくる「明るい社会保障改革研究会」(顧問・加藤勝信元厚労相)は4月10日、要介護認定率の変化に応じて自治体の交付金に差をつけるよう求める提言を発表。介護が必要な人を介護保険から「卒業」させる動きを強めています。
令子さんはいま「娘がいなかったら生きていかれない」と嘆きます。家族介護から社会的介護への転換をうたった介護保険制度が始まって約20年。「予防」の名のもと、家族介護の悲劇が再び現実の姿として現れようとしています。
(おわり)(この連載は北野ひろみ、佐久間亮が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年5月10日付掲載
「卒業」って聞くと、良い意味に聞こえますね。
介護サービス、ヘルパーやデイケアのサービスが受けられなくなるって分かりませんよね。
介護認定にも問題があると思うし、行政によって上乗せサービスしているところもあるようで。
運動で充実を。
「『卒業』という言葉がヘルパーさんが打ち切られることだとは、私も母も全く理解していなかったんです。昨年末にヘルパーさんとケアマネジャーさん、地域包括支援センターの方が来られて、そこであと1カ月でおしまいだと言われて初めて分かったんです」
東京都大田区の菅谷郁恵区議(日本共産党)とともに山下令子さん(83、仮名)を訪ねると、出迎えた娘の昭子さん(61、同)がそう語りだしました。
令子さんが初めて介護認定を受けたのは2014年。判定は最も軽い要支援1でした。このときはまだ1人でバスに乗ることも、なんとか歩いて買い物に行くこともできました。
しかしいま、令子さんは一度寝転がらないと立ち上がることができず、どこかにつかまらないと移動もできません。夫が亡くなって以降、アパートに1人暮らしです。
「お台所にお水のペットポトル1本取りに行くのも大変で、どうしようか考えてしまう。階段よりも手すりのない平らな地面を歩く方が怖い。アパートの外には行けません」(令子さん)
昭子さんが週に数回、車で40分ほどかけて様子を見に来ますが、16年から週1度、介護ヘルパーを頼むようになりました。
「1回45分なので十分ではないけど、私も勤めがあるので、ヘルパーさんが来る日は安心感がありました」(昭子さん)

菅谷大田区議と話す令子さん(手前)
突然の打ち切り
ところが17年末、ケアマネらが令子さんを訪ねてきて、「卒業」後のことをしきりに話題にしていきます。
実はこの時期、介護保険制度は要支援1~2を介護保険サービスから市区町村が実施する総合事業に移行させる仕上げの時期に入っていました。14年の介護保険法改定によって15~17年度は経過措置期間とされ、18年度に完全移行とされていたのです。
総合事業は予防が目的で、介護を受けている高齢者にリハビリで自立することを求めます。大田区の場合、原則1年で介護保険を「卒業」し、体操教室などに自力で参加できるようになることが目標とされていました。
ケアマネらの令子さん訪問は、そのことを伝えにきたものでしたが、令子さんも昭子さんも、総合事業のことも、「卒業」が何を意味するのかも分かりませんでした。
そして1年後、令子さんは一度もリハビリを受けることなく、再度のケアマネらの訪問でヘルパーの打ち切りを告げられました。
「何度かリハビリに誘われたけど、週3回の通院だけでも本当に大変。ためらっていたら全く連絡がこなくなった。ヘルパーを打ち切られてからは、介護事業所もケアマネも一度も来ていない。外を歩けないので体操教室などにはとても行けない」(令子さん)
家族にしわ寄せ
ところが安倍政権は、要支援に加え要介護1~2も介護保険から総合事業に移行させようとしています。自民党の有志議員でつくる「明るい社会保障改革研究会」(顧問・加藤勝信元厚労相)は4月10日、要介護認定率の変化に応じて自治体の交付金に差をつけるよう求める提言を発表。介護が必要な人を介護保険から「卒業」させる動きを強めています。
令子さんはいま「娘がいなかったら生きていかれない」と嘆きます。家族介護から社会的介護への転換をうたった介護保険制度が始まって約20年。「予防」の名のもと、家族介護の悲劇が再び現実の姿として現れようとしています。
(おわり)(この連載は北野ひろみ、佐久間亮が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年5月10日付掲載
「卒業」って聞くと、良い意味に聞こえますね。
介護サービス、ヘルパーやデイケアのサービスが受けられなくなるって分かりませんよね。
介護認定にも問題があると思うし、行政によって上乗せサービスしているところもあるようで。
運動で充実を。