縄文タイムカプセル 北海道の世界文化遺産② 垣ノ島遺跡 亡き子への思い
函館市の垣ノ島遺跡で発掘された、小さな足形が付いた粘土板。ひもでつるされていたような穴があります。(写真)
墓の副葬品です。亡くなった子どもの足形をとり、母親が亡くなったときに一緒に埋葬したと考えられています。
発掘調査に携わってきた学芸員、坪井睦美さん(67)は「子への親の思いは、縄文人も現代人同じ」と語ります。約9000年前に定住した人々は墓地を住居地域から少し離れた所につくりました。その後も約6000年にわたって住み続けます。
彼らは、海がよく見える場所に高さ約2メートル、長さ約500メートルのコの字形になった盛り土を残しています。土器や魚、動物の骨、石器などが埋められています。入り口と、祭壇と思われる場所が東西の線上にあり、海や太陽を意識していたことを伝えます。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年8月23日付掲載
約9000年前に定住した人々は墓地を住居地域から少し離れた所につくった。
入り口と、祭壇と思われる場所が東西の線上にあり、海や太陽を意識していた。
世界的も宗教と言われるものが誕生するはるか以前に…
函館市の垣ノ島遺跡で発掘された、小さな足形が付いた粘土板。ひもでつるされていたような穴があります。(写真)
墓の副葬品です。亡くなった子どもの足形をとり、母親が亡くなったときに一緒に埋葬したと考えられています。
発掘調査に携わってきた学芸員、坪井睦美さん(67)は「子への親の思いは、縄文人も現代人同じ」と語ります。約9000年前に定住した人々は墓地を住居地域から少し離れた所につくりました。その後も約6000年にわたって住み続けます。
彼らは、海がよく見える場所に高さ約2メートル、長さ約500メートルのコの字形になった盛り土を残しています。土器や魚、動物の骨、石器などが埋められています。入り口と、祭壇と思われる場所が東西の線上にあり、海や太陽を意識していたことを伝えます。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年8月23日付掲載
約9000年前に定住した人々は墓地を住居地域から少し離れた所につくった。
入り口と、祭壇と思われる場所が東西の線上にあり、海や太陽を意識していた。
世界的も宗教と言われるものが誕生するはるか以前に…