引き続き、広島平和記念公園に入っていきます・・・
【11月20日】
元安川にかかる元安橋です。
橋のたもとにある、レストハウス(観光案内所)も被爆建物で、元の呉服問屋です。
レストハウスの横から、いつもとは反対方向から平和記念公園に入っていきました。
広島原爆資料館です。現在は、東側に新館が建っていて、戦争当時の時代背景や世界の原水爆禁止運動なども紹介しています。今回は時間がなかったので、入ることはできませんでした。
献花に、英語でメッセージがありました。
ぐるっと、またレストハウスのところまで戻ってきて、道をはさんで北側に「原爆の子の像」があります。
この像は2才のときに被爆した佐々木貞子さんが10年後に白血病で亡くなったことをきっかけに、同級生たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と呼びかけ、全国の3200余りの学校や世界9カ国からの寄付などにより、1958年5月5日に完成したもの。
像の高さは9メートルで、その頂上には折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。側面には少年と少女の二体の像が配されています。
像の下におかれた石碑には、「これはぼくらの叫びです。これは私たちの祈りです。世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。内部につるされた鐘には、ノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られています。この鐘と金色の鶴は、2003年に複製されたものです。
「原爆の子の像」の横にはたくさんの折り鶴が掲げられています。
たくさんのメッセージが書かれたものもありました。
これは、かなりの大作ですね・・・。
淡路市の尾崎小学校の「平和宣言文」です。クリックすると、大きい画面で開きます。
学校の生徒だけでなく、一般の職場有志の方も折り鶴をかかげていました。
あと、広島では路面電車を忘れてはいけませんね・・・
【11月20日】
元安川にかかる元安橋です。
橋のたもとにある、レストハウス(観光案内所)も被爆建物で、元の呉服問屋です。
レストハウスの横から、いつもとは反対方向から平和記念公園に入っていきました。
広島原爆資料館です。現在は、東側に新館が建っていて、戦争当時の時代背景や世界の原水爆禁止運動なども紹介しています。今回は時間がなかったので、入ることはできませんでした。
献花に、英語でメッセージがありました。
ぐるっと、またレストハウスのところまで戻ってきて、道をはさんで北側に「原爆の子の像」があります。
この像は2才のときに被爆した佐々木貞子さんが10年後に白血病で亡くなったことをきっかけに、同級生たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と呼びかけ、全国の3200余りの学校や世界9カ国からの寄付などにより、1958年5月5日に完成したもの。
像の高さは9メートルで、その頂上には折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。側面には少年と少女の二体の像が配されています。
像の下におかれた石碑には、「これはぼくらの叫びです。これは私たちの祈りです。世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。内部につるされた鐘には、ノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られています。この鐘と金色の鶴は、2003年に複製されたものです。
「原爆の子の像」の横にはたくさんの折り鶴が掲げられています。
たくさんのメッセージが書かれたものもありました。
これは、かなりの大作ですね・・・。
淡路市の尾崎小学校の「平和宣言文」です。クリックすると、大きい画面で開きます。
学校の生徒だけでなく、一般の職場有志の方も折り鶴をかかげていました。
あと、広島では路面電車を忘れてはいけませんね・・・
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