名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

母校のホームカミングデー

2011年10月16日 | セカンドルーム
母校のホームカミングデーへ行ってきた。
「お帰りなさい!ようこそ、青春のもり、想い出の母校へ」と出迎えられ、校歌を歌ったりしていると、今まで意識しなかった心のふるさとへの想いが募ってくる。
会場は卒業年次毎に分かれており、50年目の席は髪も薄く白髪が目立つが、いたって元気そうな人が多かった。
さすが、20年、30年目の席は働き盛りで生気がみなぎり、その差は歴然としていた。
孔子が、50にして天命を知ると言っていたが、娑婆っ気の多そうな姿を見ていると、50+22でも、天命を悟る境地になっている人は少なそうだ。
式典以外にも色々なイベントがあったが、ミニ講義などを聴いて学生気分にも浸ってきた。
これから仲間と連立って、修善寺温泉に向います。
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二週続きのお上りさん

2011年10月15日 | セカンドルーム
昨夜は名古屋に泊まり、今日のお昼頃に東京駅に着いた。
時間があったので新橋から銀座四丁目を経て、築地まで歩いてきた。
3年振りに訪れた銀座は、ブランドショップが増えビルも建て替えられて、町並みはきれいになっていた。
築地の場外市場へも行ったが、観光客や買い物客で混み合い、銀座のホコ天より賑やかだった。
明日は母校のホームカミングデーに出る予定で、同じ目的で上京する仲間とホテルで落合い、夕食を兼ねて一杯やる予定。
卒業後、節目の年を迎える卒業生を対象に開かれる恒例の行事であるが、50年目を最後に案内は来なくなるので、文字通り最初で最後の出席となる。
式典やイベントに顔を出した後は、当時の仲間たちと修善寺へ一泊旅行に行く予定。
きっと50年来のつのる話で盛り上がることだろう。
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飛騨のきのこ事情

2011年10月14日 | セカンドルーム

 

飛騨地方では、秋のきのこシーズンを迎えたが、どうやら今年は不作になりそうだ。
裏山で原木栽培をしている椎茸は、いまだに1本も姿を見せない。
春に比べて秋の収穫量は少ないが、1本も出ないのは、この10年間で初めてだ。

 

なめこも、原木5本に1本ぐらいの割合で、まばらに出ているだけだ。


食べごろのを選んで採ったが、やっとざるに1杯ほどしかなかった。
例年なら1回でバケツに1杯はあったのに、ずいぶん様子が違う。

 毎日新聞より


新聞の地方版によると、高山公設卸売市場でマツタケやマイタケ、シメジなど天然キノコの競りが行われたが、入荷量が昨年の4分の1以下と少なく、マツタケが昨年の2倍以上で、1キロ当たり4万5000円とのことだ。
きのこ料理を提供する飲食店や宿泊施設は、異常な高値と品不足に音を上げている。
原因は今夏前半の長雨と、後半の残暑によって、菌が育たなかったとのことだ。
収穫も例年より10日ほど遅いということなので、淡い期待を持って、もう少し待つしかない。
異常気象の影響が、飛騨の山里にも忍び寄ってきた。

 

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秋の一日を十二ヶ岳で

2011年10月13日 | セカンドルーム

 

今朝はうす曇りで風もなく、いつものような空気の冷たさは感じなかった。
好天も昨日までで、天気は下り坂のようだ。


昨日登った十二ヶ岳は眺望の良い山で、山頂から12座の山(乗鞍岳、御岳、白山、薬師岳、黒部五郎、笠が岳、槍ヶ岳、北穂高岳、西穂、奥穂、前穂、焼岳)が見えることから名付けられたと言われている。
残念ながもやがかかって、山なみの向こうにシルエットのような僅かな形が見えるだけであった。


紅葉も山頂付近はいくらか色付いていたが、錦に染まった周りの山々を見渡せるのは、1週間ほど先のようだ。


広葉樹林の登山道は木漏れ日が気持ち良く、落ち葉の季節になると、ふかふかの絨毯を敷いて迎えてくれる。

 


この山は、麓に住む人たちと深く結びついた暮らしの山で、山中には古い祠や鳥居なども残っている。


山頂には笹山神社が祀られ、農業や養蚕の繁栄を守り、雨乞いの神様として旱魃の時には雨乞い神事が行われていた。

 


東に少し下ったところにブナ林が残っているが、このあたりでも巨木を目にするのは珍しい。

 

紅葉と周りの山なみを借景に、山頂レストランを開店して、どん兵衛とコンビニお握りと、食後は熱いコーヒーにクッキーと豪華レストラン並みのランチを楽しんだ。


下山後は麓の恵比須の湯に寄って、体が茶色に染まりそうになるまでつかって、汗と疲れを流してきた。


十二ヶ岳を振り返り、山も温泉も独り占めにした秋の一日を噛み締めながら帰途についた。

 

 

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十二ヶ岳登山

2011年10月12日 | セカンドルーム
今朝も朝霧に覆われて、山日よりを約束してくれた。
霧の晴れるのを待って、馴染みの山、十二ヶ岳を目指して登り始めた。
落ち葉のシーズンには未だ早く、木漏れ日が心地よかった。
紅葉は一部で始まっていたが、全山が錦に染まるのは一週間ほど先になりそうだ。
山頂から見える筈の十二の高い山はモヤに隠れて見えなかた。
山頂レストランを開店して晴れるのを待ったが、時間切れまで姿を見せてくれなかった。期待していた眺望と紅葉は残念ながら次に持ち越すことになってしまった。
これから麓の恵比須の湯に入って汗を流して来ます。
十五時三十分 携帯で投稿
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田んぼの後片付け

2011年10月11日 | セカンドルーム

 

 

昨日収穫した籾は艶やかな黄金色をしているが、籾摺りをすると茶色っぽい玄米になり、精米によって透明感のある白米になる。
籾摺り機や精米機を持っている農家もあるが、このあたりはコイン精米所で籾摺りと精米をする人が多い。
籾は何年も保存が出来るが、白米は劣化するのが早いので、必要な都度精米をして、いつもおいしいご飯を食べている。

 


今日も天気に恵まれて、田んぼの後片付けがはかどった。
猪除けの囲いに使っていたトタンを置き場にしまい、杭や紐なども片付けた。
切り藁も満遍なく田に撒いて、来年の田起こしに備えた。


隣の田んぼのおじいさんも、わが田を横切って干草を運んでいた。
藁は牛舎に使うので、その代わりに田んぼへは大量の干草を入れている。


運搬車に山のように積んだ干草が、不安定な小道で今にも倒れそうであったが、巧みに操って運んでいった。


干草を刻んで田に漉き込めば、土壌改良や肥料の効果があり、丈夫な稲も育つので、昔から行われている。
80歳を過ぎたおじいさんは、体のあちこちが痛いので、農作業はもう止めると言っていたが、それとは裏腹に来年の準備をしている。
後を継ぐ人もいないし、先祖伝来の田畑を荒地にするのが忍びなく、足腰の痛みを我慢して続けるのだろうか。


にわか百姓も、ぼつぼつ来年は手仕舞いをと思いながらも、夕暮れまで来年の仕込をしてしまった。

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米作り最後の嬉しい作業

2011年10月10日 | セカンドルーム

 

早朝に名古屋を出て高山に向かった。
今日は稲こきの予定日で、田んぼの地主兼師匠との打ち合わせで、午後1時からはじめることになっている。
幸い秋の高山祭りの渋滞に巻き込まれることもなく、10時前には家に着き、余裕を持って準備が出来た。


好天に恵まれて、十分に乾いた稲束は黄金色に輝いていた。
師匠が来る前に、収穫の一番嬉しいシーンはVサインでいこうと、セルフでパチリ!


軽トラにハーベスターを積んで師匠がやってきたので、早速稲こきが始まった。


ハサから稲束を外して機械に送り込むと、稲から籾を外し、藁くずやごみを風で吹き飛ばして、籾だけを袋に詰めていく。
藁は必要な分だけを確保して、残りは備え付けのカッターで刻んで横から吐き出される。
途中でやらせてもらったが、手をはさまないように気をつけながら、速いペースで送り込むのは経験が必要だ。


次の予定がある師匠は、手早く脱穀を終え機械を掃除して、風のように去っていった。


ハサを解体して、作業道具や丸太の片付けは終わったが、一部の囲いの撤去と畦のマルチ外しは明日へ持ち越した。

 


何とか日暮れに間にあい、ずっしりと重い籾袋を担ぐときは、思わず笑みがこぼれた。
雑草や害虫、天候不順など何かと悩まされた米作りであったが、この一瞬ですべての苦労がどこかへ吹っ飛んでしまった。

 

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ビルの谷間の秋祭り

2011年10月09日 | セカンドルーム

昨夜東京から名古屋に戻って、秋祭りが行われている氏神様の神明社に駆けつけた。
ちょうど、町内を練り歩いた山車3台が、提灯を灯して神社へ向かうところであった。


わが町内には、戦災で奇跡的に生き残った「唐子車」が祭りの主役で、数少ない氏子に支えられている。
郊外へ引っ越した人が参加したり、ボランティアの手を借りたりしているが、年々担い手が少なくなっていく。
長い間家を離れていて、祭りに参加することがなく、肩身の狭い思いをしていたが、娘一家が同居した頃からは、その一端を担ってくれるようになった。
娘一家は近くへ引越しをしたが、今年も総出で祭りを楽しんでいた。

 

長崎出身の婿ちゃんは山車のからくり唐子人形を操り、孫娘はそれぞれ鼓と小太鼓を打ち、娘ははっぴを着て綱を引いていた。

 


神社の神事が終わった山車は、ビルの谷間を縫って進み、9時過ぎに山車庫に納まって、宵祭りはお開きとなった。
飛騨の山里の村祭りも、ビルの谷間の秋祭りも、少ない人たちで辛くも支えられているが、いつまで持ち堪えられることだろう。

↓昨日撮った写真です。

浅草界隈とスカイツリー

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東京でスカイツリー見物

2011年10月08日 | セカンドルーム
学生時代の仲間の集まりで東京へ来ている。
会場の隅田川河畔にあるアサヒビールのレストランからは、完成間近かなスカイツリーを眺めることが出来た。
関東在住者で毎年開いている会に初めて出席したので、初対面のような人もいたが、同窓のよしみで歓談に花が咲き、楽しいひと時を過ごすことが出来た。
隅田堤を散策し、浅草観音にも参拝してきた。
川沿いの景観は一変していたが、浅草界隈はそれ程の変化はなかった。
仲見世は相変わらず人込みで、まっすぐに歩けなかった。
とんぼ返りの慌ただしい東京見物であったが、僅かながらも土地勘が残っていて、地下鉄の乗換えも迷う事なく目的地に着くことが出来た。
激しく変わる東京はいつ来ても刺激的だ。

午後五時半 携帯で投稿
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薪ストーブ談義

2011年10月07日 | セカンドルーム

 

先週から暖房を使うようになり、石油ストーブと薪ストーブを併用している。
朝はON・OFFが簡単な石油ストーブを使い、たまに寒い夜は薪ストーブも使っている。
本格的な冬になれば、終日薪ストーブを焚くことになる。
昨日の夕方名古屋へ来たが、途中のせせらぎ街道は、わずかに木々が紅葉して風も冷たかったが、名古屋はぽかぽか陽気で暖房などは想像も出来ない。
そんな暖かさの中で、今日は仲間3人と薪ストーブ談義?をしてきた。
3人ともA新聞社の記者OBで、そのうちの一人が薪ストーブに関する本を書くということで、一ユーザーとして情報提供をしてきた。
これからまとめる本の目次を見せてもらったが、薪ストーブを使っている人も、これから使ってみようという人にも興味深い内容であった。
さすが、もと新聞記者だけあって取材も広範囲で、読んでみたい項目がたくさん並んでいた。
彼の以前書いた「氷壁・ナイロンザイル事件の真実」も根気よく取材を積み重ねた、読み応えのあるドキュメンタリーであったが、今回も単に道具としての薪ストーブを語るだけでなく、エコで健康志向の人たちも興味が持てる内容になるようだ。

1年のうち半年以上も暖房が必要な山里に住み始めた頃は、冬の寒さにも慣れていなかったので、防寒対策が一番の課題であった。
古い民家を断熱材を使って改造すれば一番良いのだが、そこまでは出来ないので、床や壁の隙間を目張りや埋め木をし、石油ストーブで寒さに耐えていた。
冷え込みの強い真冬の寒さは想定外で、設定温度を上げると顔がほてり、温風が吹き付ける割には部屋はそれほど暖まらなかった。
それに、一旦ストーブを消して、部屋戻ってくると、すぐに外気温と同じくらいに下がってしまうのも問題であった。


やはり石油ストーブは、都会型の断熱性の優れた住宅向けの器具であると思い、薪ストーブを使うようになった。
それ以降は、心地の良い暖かさが部屋全体を包み、真冬でもシャツ1枚で過ごせるほどの快適さで、窓の雪を楽しむ余裕も出てきた。
人には原始の血が流れているようで、炎が激しく上がるときは気持ちが昂ぶり、オキがちろちろと燃えるときは心も和むような温もりを感じる。
長い冬を支えてくれる道具は、人の手を借りないとうまく動いてくれないが、面倒を見てやれば期待以上の働きをしてくれる。
そんなことを考えながら、クーラーの利いた地下鉄に乗って帰ってきた。

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山里の生き物が変わっていく

2011年10月06日 | セカンドルーム

 

昨日から降っていた雨は、庭にたくさんの栗を置き土産にして去っていった。
今頃の雨や風は木の実をいっせいに落とすので、雨上がりが楽しみであったが、今は動物と競ってまで拾うことも無くなった。
去年のクルミや堅くなった栗の実が残っているが、保存食にするよりは、旬の味覚をその時に楽しむだけ方が良さそうだ。


田も稲束も濡れてしまったが、籾の中まで滲み込まないので、数日秋晴れが続けば大丈夫だろう。

昨日のテレビのニュースで、スズメバチに刺されお年寄りが死亡したと伝えていた。
ハチの大群に襲われて、数十ヶ所も刺されたショック死とのことだ。
以前、手の甲を刺されて、瞬く間に肩の辺りまで腫れ上がり、その痛かったことは忘れない。

毎年家の軒下や天井裏に巣をかけていたが、どう云う訳か今年は来なかった。
近所の家でも、新しい巣は見当たらない。
スズメバチの好物のミツバチが、少なくなってしまったのが原因なのだろうか。

ひと夏に何度も出遭うマムシも、今年は一度も見かけなかった。
近所の人に聞いても、今のところ見た人はいない。
怖いマムシはいない方が良いが、バランスが崩れて野ネズミやモグラが増えるほうがもっと困る。
スズメもめっきり減って、実った稲田に群がったり、ハサ干しの籾を食べに来ることがないので、キラキラテープや模擬カラスでで防ぐ風景も、山里から消えてしまった。
スズメがいなくなったせいか、カメムシや蛾の類が増えたのも気がかりだ。
昆虫や動物たちの世界でも、少子化が進んでいるのか、棲み難い環境になってしまったのかは分からないが、ここ数年の山里の変化は大きい。
ありふれたスズメやマムシが、人間のせいで絶滅したり、希少動物に指定されないことを願いたい。

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高山市丹生川特産の宿儺かぼちゃ

2011年10月05日 | セカンドルーム

 

朝から厚い雲に覆われていたが、午後になって本格的な雨降りとなった。
昨日までの青空が信じられないような天気の変わりようだが、集落の稲刈りもほぼ終わったところなので一安心できる。
ただ、ハサ干し中の稲束にとって影響はあるが、長雨でもなさそうなので、気にするほどのことはない。


近所の人から、大きな宿儺(すくな)かぼちゃをいただいた。
長さが50センチで重さが3キロほどもあるので、両脇に抱えてやっと持ち帰った。

皮も薄くて甘みが強いので、砂糖を加えることもなく、そのままチンして食べてもおいしい。


とても食べ切れないので、適当な大きさに切って、ジップパックなどに小分けして冷凍すれば、おいしさや新鮮さが保たれる。
高山市丹生川で長く作られていたかぼちゃであるが、品種改良などの手が加えられていないので収量が少なく、市場に出回ることはなかった。
ヘチマのような独特の形と、栗に似たホクホクとした食感と甘みが好まれて、地元のスーパーや朝市に並ぶようになった。
地元の生産者は、栽培法や料理法などを研究して、ほうれん草やトマトに次ぐ特産品に育てようと、熱心に取り組んでいる。

 両面宿儺像(千光寺所蔵)


両面宿儺は「日本書紀」にも登場する伝説上の英雄で、飛騨から美濃を治めていたと言われる。
仁徳天皇と戦って討伐されてしまうが、今でも地元の人々には農耕の指導者として敬われ、毎年「宿儺まつり」も開催されている。
丹生川町の千光寺を開山したとも伝えられ、寺宝館には円空作の両面宿儺像が展示されている。
朝廷側からは逆賊とされていたが、かぼちゃに化身して、再び飛騨の英雄として蘇ってきた。

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冬の足音が聞こえ始めた

2011年10月04日 | セカンドルーム

 

 

今朝の冷え込みは強く、寝床から出るのが辛かった。
窓に取り付けてある温度計が、午前7時で5℃を切っていた。
外は放射冷却で朝霧に包まれ、厚手の上着が必要なほどの寒さだ。

 

薄っすらと霜が降りていたが、太陽がさし始めると、湯気となって消えていく。


霧が晴れたら、抜けるような青空が広がり、太陽が眩しかった。


昨日は穂高連峰に雪が降ったとのことだが、乗鞍岳も積もったのだろうか。
先週、薪ストーブの煙突や内部を掃除して、薪も窓の下に積み上げておいた。


朝晩は時々燃やしていたが、これから家にいる時は、終日暖房が必要になりそうだ。


裏山で、きのこ栽培のほだ木の手入れしていたら、マッチの頭ほどのなめこが出ていた。
数日の冷え込みで、眠っていたきのこ菌が目を覚ましてくれたようだ。


なめこより早く出る筈の椎茸は、未だその兆しが無かった。
ほだ木を木槌で叩いたり、水を散布して刺激を与えると発生すると教わったが、確かに水は効果があったが、叩くほうは判らない。
水を運び上げるのが大変なので、そこは天の神頼みにして、まわりの草をとり枯葉や枯れ枝を取り除いて、収穫がし易いように整えておいた。
まだ先かと思っていた冬の足音が、山里へも聞こえ始めた。

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隣の田んぼで稲こきが始まった

2011年10月03日 | セカンドルーム

 

今日も風が冷たくて寒かったが、風を避けて陽だまりに居れば、ぽかぽかと暖かだった。
田んぼの囲いはまだ外してないので、ユキはドッグランのつもりで駆け回り、飽きると草むらで寝そべっている。
ハサ干し中の稲束も乾燥が進み、籾殻をむいて1粒噛んでみたら、かなり硬くなっていた。
このあたりお年寄りは、干す日数や含水率でなく、米粒を噛んだときの硬さ加減で、稲こき(脱穀)のタイミングを決めている。
まだその技は会得してないので、師匠の指示待ちをするしかない。


隣のおじいさんの田んぼでは、脱穀機を使って稲こきが始まった。
稲束を脱穀機のテーブルに乗せて送っていくと、藁から籾をかき取り、未熟の籾や藁くずを吹き飛ばして、良い籾だけを袋に詰めていく。


30年以上も使っているとのことだが、年代物にしては良く動いている。
それ以前は、爪の付いたドラムの回転で脱穀をする、足踏み式の稲こき機を使っていた。
籾には藁くずや塵が混じるので、唐箕(とうみ)を使い、風を送って選り分けていた。
脱穀機は、二つの作業を同時にこなし、藁も刻んで田にばら撒いてくれるので、ずいぶん効率がいい。
脱穀の後は籾摺りで、籾殻を取れば玄米になる。
この作業も、以前は臼を水車や人力で回して籾殻を取っていたが、今はJAのライスセンターの巨大な籾摺り機や精米機で、日常使う米に加工される。
今日も稲の乾燥日和で、あと1週間もすれば待望の稲こきが出来そうだ。

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命を育くむ田んぼ

2011年10月02日 | セカンドルーム

 

今日は風が北西に変わって、外を歩くと肌に冷たく感じた。
枯れススキが風になびき、緑の山が少しずつ色づいていく。


湿気を含んだ南の風は、太陽の光を借りないと稲束が乾かないが、乾燥した北の風は水分を早く抜いてくれる。


ひと夏の饗宴を楽しんだ田んぼから、虫たちも次々と消えて、今は元の静けさに戻っている。
取り入れが終わって、イナゴやカメムシがいなくなり、カエルやイモリも冬眠の準備を始めた。

命の営みから取り残されたはぐれカマキリは、冷たい北風に身を晒し、子孫を残すこともなく命を閉じる。
たくさんの命を育んだ田んぼも、間もなく降る雪の下で静かに春を待つ。

 

今日の朝食は、燻製器で作ったロースハムとタコの燻製を使った。
料理というほどではないが、生野菜とタコ燻は意外に相性が良く、ハムエッグは定番料理だが、厚切りハムはうまかった。


タコ燻は、中は軟らかくて外は歯ごたえもあり、おつまみに持って来いだが、まさか朝からいっぱいとはいかない。


ハムも色や形は良くないが、発色剤など添加物は使わないので、安心して食べられる。
北風が吹き始めて、燻製作りの好機を迎えたので、次は生ハムにトライしてみたい。

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