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ウーベ・バインの記憶

2019-08-25 21:51:49 | 浦和レッズ
今日はどうしてもネタがないので、困ったときの昔話で、1994年から1996年まで浦和に在籍した名ゲームメーカー、ウーベ・バイン氏の思い出です。5月の広島戦の日に埼スタに来ていて、元気な姿を見ることができました。バインは1990年イタリアW杯での西ドイツ代表MFで、当時は「こんなにいい選手が浦和に来るんだ?」と思ったほどの選手でした。

プレー面でもいい動きを見せてくれました。彼のポジションはトップ下が定番で、当時のオジェック監督がカウンターからバインに入れて、そこからのスルーパスで福田、岡野の2トップを走らせるシンプルなサッカーがうまく機能しました。当時の浦和では、岡野が倒されてPKになり、それを福田が決めるのが一つの必勝パターンでした。

もちろん、バイン自身もパスを出して終わりのゲームメーカーではなく、ボールを出してからゴール前に詰めている動きもできるMFでした。そのため、バイン自身のゴール数も多く、1995年シーズンでは福田の32点に次ぐ17得点を挙げる活躍を見せました。この、福田、岡野、バインのトライアングルで浦和は優勝の望みも残す、当時の戦力を考えたら健闘を見せることになります。

福田とバインの会話はシンプルでした。「お前は右足でもらいたいか左足でもらいたいか」とのバインの質問に、福田は「スペースでもらいたい」と要望したところ、バインは「そうか」と特徴を理解しました。それが、福田にとってもバインにとっても、輝いた1995年につながった一つの要因でしょう。

もっとも、相手も研究してきて、バインにマンツーマンでマークにつけてくる相手もいました。忘れられないのは1996年の雨の鹿島戦で、途中出場のバインのパスが脅威とみた鹿島ベンチが、バインに本田泰人をマンツーマンでつけて消したこともあります。当時の浦和は、まだそれを打ち破れるほどの力はなく、この首位攻防戦を敗れ優勝の望みは消えました。

バインは引退してもうまく、2003年の福田の引退試合で絶妙なスルーパスを出してスタンドを驚かせました。福田が「あまりにもいいパスだった」と力みすぎて外しましたが、バインという選手はいい選手だったと、改めて確認できたプレーでした。
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