Kobby loves 埼玉&レッズ

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田中マルクス闘莉王、現役引退

2019-12-01 21:03:46 | 他チーム
今日は浦和とも縁のあった、京都DF田中マルクス闘莉王選手の現役引退が発表されていました。闘将と呼ばれ、負傷で出場が厳しい試合でもがちがちにテーピングを巻いて出てくれた伝説の名選手も、ついに去るときが来ました。ブラジル生まれの闘莉王ですが、千葉県の渋谷幕張高校にサッカーの助っ人として留学しています。当時は「目を開けてヘディングができない」という弱点もあり、高校時代で克服して広島でプロになります。

もっとも、当時は外国人枠だった彼は、広島から「君のために外国人枠は使えない」と通告を受け、2003年にJ2の水戸へレンタル移籍することになります。この水戸時代がスターダムにのし上がるきっかけで、当時の水戸では4-3-3の3ボランチを組んでいましたが、その布陣は闘莉王が流れの中でも上がっていいという自由度を与えるためでした。

水戸での活躍で他チームからオファーが来る選手になり、翌2004年に浦和を新天地に選びます。浦和を選んだ理由に「初優勝を飾るときの選手になりたい」と語っていました。浦和では3バックの中央が彼のポジションになり、ストッパーがアルパイとネネだった時代に英語、ポルトガル語、日本語の3か国語で指示を出すという難しい役割も担います。

闘莉王の良さはもちろん高さを生かした守備ですが、FWに回しても点が取れたという強みも持っていました。FWで起用された京都時代に14得点でチーム得点王にもなったほどで、浦和時代にもトップ下で起用されてハットトリックという試合もありました。高さを生かしたヘディングシュートが彼の武器ですが、ポストプレーをさせるとあまり上手くなかった記憶もあります。

彼のキャリアで輝くのは、やはり2010年南アフリカW杯ベスト16の活躍でしょう。当時、親善試合のコートジボワール戦で相手エース、ドログバを負傷させたというありがたくない目立ち方もした彼ですが、当時の岡田監督が中央のDFが体の強さで負けてしまっては意味がないと判断したらしく、CBは中澤と闘莉王で決まりだった時期です。代表キャップ43試合は彼の実力を考えるともっと多くてもいい印象もありますが、2010年という一生に一度のチャンスを生かしました。

そんな闘莉王ですが、さいたま市内に彼の名を冠したフットサルコートを持っています。今は元浦和FW桜井直人氏が指導しますが、今後は闘莉王本人が指導することもあるかもしれません。心と体の両方が強かった、いい選手だったと振り返ります。

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武蔵丘陵森林公園のカエデ園

2019-12-01 17:14:33 | 埼玉
毎年恒例にしている紅葉狩りは、写真の武蔵丘陵森林公園まで出かけていました。紅葉の名所はいろいろありますが、ここ森林公園は「カエデ見本園」といういろんな種類のカエデが丘一か所にまとめて植えられているので、これが一斉に紅葉する時期は燃えるような赤色に染まります。この日はこれを見るために朝しっかり起きて、電車で1時間の滑川町まで行きましたが、これだけの風景を見て来られて満足しています。

撮ってきた写真を貼っておきます。



































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