Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

久保建英の記憶

2022-04-07 22:50:41 | ワールドサッカー
まだ若い選手ですが、マジョルカMF久保建英選手の記憶ネタです。久保は小学生の頃からバルセロナの育成組織で育った若き才能で、今でも見せるファウルタックルを受けても怪我をせずに逃れられる技術はこの頃からの蓄積でしょう。その後、スペインで下部組織にも外国人枠ができることになったので、帰国してFC東京の下部組織に移籍してきました。

久保は15歳のときに、当時J3リーグに加入していた、FC東京のU-23チームでJ3にデビューします。これは当時は快挙と捉えられ、会場となった駒沢陸上競技場はJ3では異例の4000人を超える観衆が集まったほどです。もっとも、それまでの最年少記録を持っていた森本はJ1(当時東京V)だったので、これと比較する意味はどうかと思っていたのも確かです。

久保といえばトップ下で、キックの種類の豊富さで華麗にさばくゲームメーカーです。セットプレーのキッカーとしても多彩な技を見せるので、A代表入りした当時は、代表最年少ゴールの期待を何度も集めていました。A代表では、何度も惜しいところまでは行ったものの、クロスバーに当たったりと不運続きで、代表最年少ゴールはなりませんでした。

それでも、あの若さでスペインリーグの1部でプレーできるのは立派です。FC東京では1年半プレーし、一時的には横浜FMにレンタルで移籍しましたが、バルセロナにとってはライバルになるRマドリードから完全移籍のオファーを受けて移籍しました。もっとも、まだRマドリードのトップチームではプレーできず、ビジャレアル、ヘタフェ、マジョルカへレンタル移籍を繰り返しています。

スペインリーグ1部は立派ではあるのですが、A代表となると森保監督の4-3-3のシステムにフィットしにくい選手でもあります。ボランチはできないですし、サイドのFWに置くとウイング的に仕掛けるという意味では物足りなさもあります。彼を生かすには4-2-3-1にしてトップ下を置くしかなく、戦術を取るか久保建英を取るかとなれば答えは前者になるでしょう。

しかし、将来的には彼が代表の中心選手になって欲しいものです。可能性は十分で、怪我もあまりしないので、こんなビッグネームのプレーを代表で見られる幸運を感じながら、できるだけスタンドで彼を見たいものです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« FC東京戦プレビュー | トップ | 日本をカタールへ導く(三笘薫) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ワールドサッカー」カテゴリの最新記事