赤城山を、市内の中央部を流れる渡良瀬川で眺めてみた。透明な青空にもとで、赤城山を構成している山頂、黒檜山(赤城山の最高峰、1828 m)などが雪雲で覆われていた。その姿に、あたかも関東平野を守るために雪雲に立ち向かうかのような気概を、撮り手は感じた。
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1月30日午前、桐生市にて。
赤城山を、市内の中央部を流れる渡良瀬川で眺めてみた。透明な青空にもとで、赤城山を構成している山頂、黒檜山(赤城山の最高峰、1828 m)などが雪雲で覆われていた。その姿に、あたかも関東平野を守るために雪雲に立ち向かうかのような気概を、撮り手は感じた。
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1月30日午前、桐生市にて。
今年初めての満月は明日の午前4時頃に見られるとのことであるが、昨夕は、満月のときを思わせるほどまでに輝く月が、近くの山から昇った(正午月齢 13.9)。夕焼けの時が過ぎた仄暗い空では、墨で慎ましやかに描かれたかのような波状雲が、月の輝きに趣を添えていた。
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1月27日午後5時過ぎ、桐生市にて。
先々週は、不要不急の外出の自粛を市の広報車が呼びかけていた。それでも、人の往来がほとんどないような時間帯と場所での散策は許されるであろうとして、わたくしは近所の川の堤防で、朝夕の光景をときどき眺めている。この時季、当然のことながら、川を囲む山肌は色彩感に乏しい枯れ木や枯れ葉で覆われている。それでも、天候によっては、自分にとって撮らずにはいられないような光景に出会う。
今朝は(25日)、前日の雪と雨で湿った状態になっていた山肌が、朝日を浴びる光景にレンズを向けた。
日差しを浴びると、暖められた山腹で霧が発生し、それがゆっくりと微風で流れる。
濡れている山肌が、部分的に対峙する尾根から昇る朝日で浮き出る。
中央左奥の山頂は鳴神山(980 m)である。
前日に雪と雨が降ったときならではの朝焼けである(立ちのぼる霧が朝日に染まることを期待して)。
昼間では何の変哲もないように見える、山並みの光景である。
昨日(24日)、今冬の初雪で山肌が覆われる時間帯があった。この風景はその後の雨で消えた。
ちなみに、2018年1月下旬に撮った、朝の雪景色である。
当地において、降雪は多くて年に2、3回ほどである。
一作日(23日)の光景。青空とつるし雲を想わせる雲の組み合わせが印象的であった。
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2021年1月23-25日、桐生市にて。今日の最高気温は15℃であった。
「清風明月は買うを用いず(李白の詩)」との故事成語を聞いたことがある。すなわち、清らかな風や明るい月は、一銭の金を出して買う必要もなく、誰でも思いのままに観賞することができる(合山究著「故事成語」講談社現代新書、1991年)。
ところで、昨日(21日)は上弦の月(月齢7.9)が午後1時過ぎの近所の山から昇った。なお、昨日は3月頃を想わせるような気温のために、昼間の月においては霞がやや強めであった。
午後2時頃の月
そして、午後5時頃に撮った月
青空を背景とする月は、束の間のことながら、自分にとってある種の重圧感を忘れさせる天体である。もっとも、昨年末において月に魅せられ過ぎて道路上で転倒し負傷するとのアクシデントを体験したが、今回はそのようなアクシデントとは無縁であった(苦笑)。
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昨夜は、上弦の月と火星が接近すると予告されていた(午後9時頃撮影)。
火星の明るさは、昨年10月の地球再接近時(マイナス2.6等)くらべて穏やかであった(0等)(国立天文台HP)。
余談ながら、今夜も月と火星が見える。
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撮影、1月21日、桐生市にて、望遠 200 mmで撮影、トリミング。
時に、昼間の月を仰ぎ見ることがあってよいだろう。振り返えると、現役の頃は昼間に月をしみじみと眺めるほど、気持ちに余裕がなかった。今日は、そんな過去を思い出しながら、月の出のときから間もない時間帯に、青空に浮かぶ船の如くに見える、月齢(正午)5.9の月にレンズを向けた。なお、月の出の時刻は午前11時(群馬)であった。
午後1時頃の月
強い北風が吹いたため、雲ひとつ浮かんでいない青空が広がった。
月と太陽の位置
あまりにも明るい時間帯でも存在感を示している月に、思いを込めて。
1月19日、桐生市にて。
浅間山(2542 m)は、自分達の街から真西の方向、約80 kmほど離れた位置にある。深田久弥は、国鉄・信越本線から眺めた浅間山について、「それはいつも膨大な容積で、独占的な形で、曝らけ出しの肌で、そしてその頂きにはいつも薄い雲を吐いていた。汽車の窓からこんなに眼近く、高く、大きく、秘密なげに仰がれる山は、他に例がない。」と述べている(日本百名山、新潮社、1991年)。
ところで、曝らけ出しの肌が雪で真白になると、冬の富士山と見間違えるほどまでに、浅間山は自分達の街からも目立つ存在になる。そして、11月から、夕日は浅間山から遠く離れた八ヶ岳連峰に沈む。
1月に入ると、連峰に沈む直前に、夕日が雪を被った浅間山を照らし出すようになる。ここでアップした画像は、今月13日に撮ったものである。
浅間山が、いわば独占的に真横からの夕日を浴びている。
左端に写っている頂は蓼科山(2530 m、八ヶ岳連峰の最北端、長野県)である。
直近の市街地は、自分達の街、桐生市(中心部)である。
ちなみに、この画像は昨年11 月下旬に撮ったものである。浅間山はシルエットになっている。
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さて、展望台に立つと、それときまで遠方の山らしく霞んで見えていた浅間山が、
夕日をバックライトにしてはっきりと浮かび出てきた。
そして、八ヶ岳連峰の赤岳付近に沈みはじめた夕日が、浅間山などを真横から照らし出した。
夕日が沈むにつれて、浅間山の姿がさらに目立つようになった。
この彩りを帯びた山体は「紅浅間」と形容してよいだろう。ちなみに、夕日に染まる富士山は「紅富士」と言われている。
夕日が沈んだ直後において。山体が雪で覆われているときならではの眺めである。
次第にマジックアワーでの彩りが現れるようになったが、今回はこの画像の撮影を撮った直後に展望台から離れた。
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撮影: 1月13日午後4-5時頃、桐生市菱町、白葉峠付近(300 m)にて。
明るさの異なる3枚のRAW画像によるHDR (High Dynamic Range、ハイダイナミックレンジ)合成。
フィルター類(たとえば、CPL)は使っていない。
余談:自分が使っているデジイチ(キャノン)では、赤色系統の発色が得意なようである。
今日は突然にも冷たい雨が降り出した。そして、この雨は今夜から明朝にかけて雪に変化するかもとの予報が出されている。それにしても、新年になってから、朝夕の気温が異常に低い状態が続いている。昨日、当地の最低気温は-6℃であった。このようなとき、東の山並みから太陽が昇り始めると、わたくしは凍えながらも待っていましたと呟く。撮影準備をしてあるカメラを持ちながらである。
木漏れ日として、朝日が尾根から庭に届くと、シャクナゲ(筑紫石楠花)の葉が輝きはじめる。このシャクナゲでは、いわゆる西洋シャクナゲとは異なって、葉の表皮が革質であり光沢をもっている。
厳冬であることを体現しているシャクナゲ(逆光条件にて)。
シャクナゲは、大きな蕾をつけながらも、葉を巻いたり、葉を下側に垂らしたりして、低温状態に耐える。
蕾は昨年8月末までに形成された。この時季に蕾ができないと、今春での花は期待できない。
そして、朝日の方向で、直視することはできない光景にレンズを向ける。
太陽の回りに、淡い色の暈ができている。冷たく重い空気とそれに含まれる水(氷)の微粒子によるもであろうか。
尾根の上空に薄い雲が漂い始めると、太陽の下側に虹のようなものが見えるようになった。
HDR画像にて。
小心者(わたくし)は、これらの光景を思いだして、
束の間に過ぎないが、朝夕に検温しながら恐れているコロナ感染症のことを忘れることにする。
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1月11日早朝、桐生市にて。
どうしたことであろうか。北関東(群馬)では元旦から、いわゆるお湿りが全くない天候が続いている。しかし、朝夕において散策を躊躇するほどの寒さに、わたくしはいささか閉口している。近所の川の堤防上では、心臓発作のようなことでも起こりそうだと恐れるくらい、空気が冷たい。
しかし、そのようなときに限って、マジックアワーでの彩りは魅力的である。凍える指でシャッターボタンを押すとき、カメラのディスプレイーに現れる色彩は、寒さに耐えながら足もとが暗くなるまで撮り続けていたいほどまでに印象的である。
今日のマジックアワーでは、淡い赤紫色を帯びた光景が北東の方向に現れた。
多分、この光景は冷却されて重くなった空気が山並みの上空で停滞しているために現れたのであろう。事実、風が吹いているときは、このような現象が見られない。
夕日が沈んだ方向でのグラデーションでは。
1月10日午後5時頃、桐生川とその周辺にて。
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朝日新聞「折々のことば」(鷲田 清一)(2021年(令和3年)1月1日、1面)の引用。
あるいは進みあるいは退き、自分の意のままに光と影を分けることはすばらしかった。 シュテファン・ツヴァイク
オーストリアの作家の回想録「昨日の世界 II」(原田義人訳)から。
彼はいろんな国に招かれると、学生時代に戻ったかのようにまずはひとりで、街をうろついた。
その時間は、自ら動き回って光と影の稜線をその眼で確かめる時間であったという。
何が自分にほんとうに必要か、その判断の基準を自分のうちにもつこと。
この「自由」なしに人は「真に生きた」と言えないと。
わたくしは、近くの川で夕景を眺めることが好きだ。真冬の色彩感に乏しい川沿いの風景が、そのときの天候に応じて、色彩感に富む印象的な光景に変わるからである。日が沈むにしたがい、そこにある自然物や人工物が美しいシルエットとして、夕焼けの舞台に登場する。
日が沈んだ直後にて(絶対に撮り損ないたくない場面であった)。
キャンパスは間もなく大学入学共通テストの会場になる。
望遠レンズを向けているとき、突然、通りがかりの人から尋ねられた。あの稜線はどこの山々のものですかと。
「100 km以上の離れた奥秩父連山のものであり、稜線の向こう側は山梨県などになる」との答えに、その人は唖然した表情でうなずいた。広い関東平野を囲む山並みの一端が、これほどまでにはっきりと見えることに、何か不思議な感じを抱いたのかも知れない。
1月4日夕刻、桐生川にて。
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朝日新聞「折々のことば」(鷲田 清一)(2021年(令和3年)1月5日、1面)の引用。
歴史は「誰かが何かをなすべきである」と提案する人よりも、むしろ「何かをしている人を必要とするのです。 カレル・チャベック
時代の課題を指摘する時は雄弁なのに、いざ誰がその実行にあたるかとなると想像力もとたんに貧弱になると、チェコの作家は言う。「問題はそんなに単純ではない」とまた指摘を重ねるのだが、必要なのはそれぞれの生きる場所で、課題を一つ一つ具体的に解決してゆく覚悟だろう。 「カレル・チャベックの闘争」(田才益夫訳編)から。
元旦から静かな天候が続いている。夕刻になると、近くの桐生川の堤防では、人々が夕日を浴びながら散策している。今日も沈みつつある夕日がこのときならではの魅力的な光景を生み出していた。
夕日(実像)と水面に映る夕日との共演。
上空に浮かぶ雲が夕日に染まりはじめた。
振り返ると。昨年最後の満月は左側の山頂付近(300 m)から昇った。
昨年末、桐生市の市街地が、NHKTV(G)番組 「鶴瓶の家族に乾杯(特別編)(12月29日)」で紹介された(余談まで)。
1月4日夕刻、桐生川にて(桐生市)。
謹 賀 新 年
本年もよろしくお願いいたします
2021年(令和3年)元旦
静かな日の出のときを迎えました。
対峙する山並みから昇る朝日で、照らし出されて。
朝日を浴びる庭のシャクナゲ(ツクシシャクナゲ、筑紫石楠花)
撮影、1月1日、桐生市にて。