ネットワークシステムと撮影機材の進化により、各地から魅力に満ちたライブカメラ映像がインターネットで公開されている。「富士五湖TV」は富士山の周辺30箇所以上のビューポイントにカメラを設置し、これらのポインドでの映像をリアルタイムで公開している。
映像には、雲を生みだす高峰によるものならではの唖然とするほど美しい光景が、しばしば現れる。ここでは、2020年にダウンロードした映像を紹介する。なお、ダウンロードした映像は「富士五湖TV」(または同TVへの紹介リンク)と表記すれば、個人による使用が許されている。
*****
五色沼と呼ばれる湖沼は、全国で幾つぐらいあるのだろうか。蔵王山のお釜も五色沼と呼ばれている。季節や時間帯などに応じて、水面の色が大きく変化するからである。しかし、お釜(御釜)がはっきりと見える機会は多くないと言われている。
9月下旬(土曜日)、わたくしたちは知人に会うために山形市に向かった。東北自動車道での混雑(渋滞)にうんざりした、わたくしたちにとって、蔵王エコーラインは格好のエスケープルートであった。蔵王山の苅田岳駐車場は順番を待つほど混んでいたが、なんとか駐車スペースを見つけることができた。
急いで、わたくしたちは苅田岳を経て、馬の背(外輪山、1,766 m)そして熊野岳(蔵王最高峰、1,827 m)に向かった(片道、徒歩約1時間)。
苅田岳付近の展望所にて
苅田岳レストハウス付近で眺めた熊野岳周辺。稜線に熊野神社(左)と避難小屋(右)に見える。稜線の手前は馬の背である。
苅田岳付近の展望所は観光客でかなり混雑していたが、馬の背や熊野岳まで歩いている人々は少なかった。ところで、馬の背周辺からのお釜の眺めは、苅田岳付近の展望所でのそれと一味違っている。
馬の背で出会った人と共に、午後の日差しを背後から受けてお釜を眺めた。水面の色は日差しや見る位置によっても変化した。奥(中央)は五色岳(中央火口丘、1,672 m)である。
活火山であるが、蔵王山はコマクサなどが咲く花の山である。道沿いには、「高山植物保護のために、立ち入らないでください。」との注意書き板が随所に立てられていた。
馬の背から稜線上の避難小屋(噴火時)に向けて。登山コースに杭が立てられている。杭は霧(ガス)が立ちこめたときのコース案内用にとのこと。杭の数と高さから、蔵王が霧と豪雪の山であることを、わたくしたちは納得させられた。
避難小屋付近から稜線を歩き、熊野神社に着いた。ここで、尾根を縦走してきた宮城県の若者達と出会った。好天に誘われて登ってきたとのことであった。若者達との会話は楽しかった、もっとも、若者達が「谷川岳」をほとんど知らなかったことを意外に思ったが。群馬県人として、わたくしたちは魔の山と言われてきた「谷川岳」がいわゆる全国区の山だと思っていたからだ。
山形県側から吹いてくる強い風は9月の下旬とは思えないほど寒かった。急ぐあまり、ウィンドブレーカーを持たずに登ってきた「お上りさん」(わたくしたち)に対する「山の神」からの罰は厳しかった。
熊野神社付近をはじめとして、稜線での展望は興味深いものであった。寒さを忘れために、わたくしたちは広くて歩き易い稜線を歩き回った。
雁戸山(1,487 m)に至る稜線と背後の山々。
*****
熊野岳での苅田岳(1,747 m)方面を眺める。右端に見えるには苅田岳神社である。
*****
下山では、御釜に近いルートを歩き、五色岳(中央火口丘)などを望遠レンズでクローズアップした。
五色岳(御釜の壁)では、かなりの崩壊が起きている。壁には噴火が繰り返された形跡がはっきりと残っている。そして、人々が歩いた跡(ルート}ができている。
「お釜と称する山上湖は蔵王の至宝とも言うべき存在で、それのために馬ノ背の逍遙は一段と精彩を加える。直径三百六十米、ほぼ円形の湖水で、そのふちの東半分は、削り取ったように断崖になっていて、その崖に横縞が入っている色彩が、何とも言えぬ微妙な美しさを呈している。鉄錆色とでも言うか、それを主調に、いろいろの色が混じっているので、一名五色沼の称がある。お釜の水は妖しく濃い緑色で、噴火口特有の一種凄惨な趣がある。 (深田久弥、日本百名山(蔵王山)、新潮社、1991年)」
終わりの画像は午後4時頃に馬の背付近で撮った。
ドライフラワーのようになったヤマハハコの姿が蔵王での気象条件が厳しいことを物語っている。ところで、左側の地形は火口形成に伴う地面のズレによるものであろうか。