間もなく、この曹洞宗別格地、鳳仙寺(ほうせんじ)から鐘の音が響いてきます。
桐生城は「山城跡」として保存されています。
撮影:12月29日、桐生市にて
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今年も拙ブログを読んでいただきありがとうございました。 来年も自分なりのペースで記事を投稿したいと思っています。よろしくお願いいたします。
こつなぎ(Kotsunagi567) (「こつなぎ」は近くの山(鳴神山)の登山口付近の渓流にかかる小さな橋の名を引用しています)
間もなく、この曹洞宗別格地、鳳仙寺(ほうせんじ)から鐘の音が響いてきます。
桐生城は「山城跡」として保存されています。
撮影:12月29日、桐生市にて
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今年も拙ブログを読んでいただきありがとうございました。 来年も自分なりのペースで記事を投稿したいと思っています。よろしくお願いいたします。
こつなぎ(Kotsunagi567) (「こつなぎ」は近くの山(鳴神山)の登山口付近の渓流にかかる小さな橋の名を引用しています)
赤城山の上空や山腹ではさまざまな形の雲が発生する。この山が関東平野と日本海側まで続く山岳地帯との境界に位置しているからだ。平野から流れてくる気流は赤城山に沿って上昇する。一方、山岳地帯方向からの気流は赤城山を越えると下降する。どちらの気流にとっても、赤城山は気流の温度を著しく変化させるエネルギー障壁である。結果として、気流の温度は一気に10℃以上も変化する。 冷房が一般的でなかった頃、赤城山はわたくしたちにとって近場の避暑地であった。余談ながら、富士山は海方向からの気流が急激に4000メートル以上も上昇することにおいて、雲を生み出す「奇跡の山」である。
さて、今月上旬、帯状の雲が赤城山の上空で水平に伸びる景色が現れた。市内から見る赤城山の姿は上底と下底が長い台形状である。だからこそ、このような帯状の雲が生まれたに違いない。
最高峰の黒檜山(1828メートル、外輪山)には灰色の雲がかかろうとしていた。中央は長七郎山と地蔵岳(無線中継アンテナ、中央火口丘(ドーム))である。
雲の有様とともに赤城山が雪を被っていなかったことに、わたくしは感慨を覚えた。かつて、12月中旬に無雪状態の地蔵岳などの山頂を歩いたことがあるからだ。
帯状の雲は一種の波状雲に分類されるが、これに加えて新たな波状雲が伸びてきた。上昇気流に新たな乱れが生じたためであろう。
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画像は市内の別の場所で撮ったものである。彩りが残っている里山の奥に、山頂部が霧氷か雪を被っている赤城山・黒檜山、そして笠雲に見える厚い雲。今月の上旬ならではの風景である。
今年も今日を含めて2日間。原稿を書きながら眺めると、数本の飛行機雲が上空に伸びている。来年は巳年(へびどし)であるぞと強調するかのように。
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12月上旬、9時頃、桐生市にて。
このところ、夜間での冷え込みが厳しいために、山城跡は枯木立に囲まれるようになった。それでも、東側の山並みを越えて届く日射しが照らし出すと、枯木立もこの時季ならではの彩りを帯びている。この日、夜明けとともに山城跡はもや(靄)に包まれた。そして、靄は低い冬の日射しで淡い色に染まった。
枯木立は、東側の山並みを越えて届く日射しでライトアップされた瞬間、「冬紅葉」に変化した。赤色を帯びた靄が色フィルターとなって、青色系の太陽光が木立まで届かなかったためである。
枯木立がライトアップされる瞬間を待って..... 朝日に染まった靄の左奥には、鳴神山(980 m)
「束の間の冬紅葉」 部分的に残っている枯葉による彩りは鮮烈であった。
日射しが山腹まで届くと、この彩りは消えた。
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「冬紅葉」 木の種類により、また風当たりや日当たりの加減によって、冬になっても残っている紅葉を「冬紅葉」「残る紅葉」という(花の大歳時記、角川書店)。
「冬紅葉冬の光を集めけり(久保田万太郎)」
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12月下旬、早朝、桐生市にて
今朝は、月が7時18分に下弦のときを迎えた。青空を背景とするまさに半月状態となった天体は、朝日で優しい色に染まった絹綿のような雲に見え隠れした。
弦を下に傾け始めた月齢21.9の月。月の入り(群馬)、11時42分であったが、今回は西側の山林に沈む姿を見届けなかった。
今朝は、周囲の山並みの上にに浮かぶ靄(もや)が朝日に染まった。
気象用語において、「靄(もや)」と「霧」は空気中に浮かぶ水蒸気が細かい粒となって浮かんでいる状態を表わす。両者は見通せる距離(水平視程)によって区別される。距離が1キロメートル未満の場合は「霧」、1キロメートル以上の場合は「靄」と呼ぶ。 霞(かすみ)は、空気中に小さなちりや煙などがたくさん浮かんでいるために白っぽく見える状態であり、気象用語ではないとのこと (参考:気象庁HP)。
23日午前7時頃、桐生市にて
今朝は明朝に下弦となる月にレンズを向けた。月は赤城山方向から流れてきた白雲に見え隠れていた。当地では、今月になってからほとんど雨が降らない天気が続いている。そのためか、市内を流れる川(一級河川)での水量も減っている。節水との呼びかけが始まることを、内心わたくしは恐れているが.....
9時頃にて
赤城山は雪雲で包まれている。今朝は雲の流れがはやかった。
庭では、シャクナゲ(ツクシシャクナゲ、筑紫石楠花)のツボミが膨らみはじめている。これから迎える本格的な寒さに耐えほしい。
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昨日は市のホール(桐生文化会館)で「狂言(大蔵流山本会)」を楽しんだ。狂言の演目が終わってから、山本東次郎氏(人間国宝、文化功労者顕彰)と葛西聖司氏(アナウンサー、古典芸能解説者、NHKを経て)による対談に耳を傾けた。山本氏は演目「重喜(じゅうき)」でシテを演じ、僅かの時間で着替えをされて対談をはじめた。同氏は古典芸能「狂言」と「能」とのつながり、対比、狂言の面白さなどについて、狂言師ならでのユーモアを交えて分かりやすく語った。対談(30分間)では、見せる方向に応じて輝きが変化する扇をご自身でデザインされたなど、80歳台後半とは思えない様子での語りに、わたくしは時を忘れて引き込まれた。
演目と対談の余韻に浸りながら会場付近で眺めた、空模様と赤城山のシルエット(16時頃)
文化会館と雲が切れている部分での夕焼け
12月21日、22日、桐生市にて。
一昨夜(15日)、2024年最後の満月が近くの山から昇った。月の出(群馬)は16時3分とされたいたが、山からのそれは17時10分頃であった。山の木々をシルエットとして昇る月はあの遠く離れた天体がと思うほど大きく見える。それは目の錯覚によると言われているが、錯覚がなぜ起こるかについては、まだはっきりとした説明がついていない(国立天文台HP、質問コーナー)
尾根方向が明るくなり月が現れたとき、その大きさと月面の色が満月のときならではものとして、わたくしはシャッターボタンを押した。
17時21分頃にて
月面の色も北風による寒さに耐えた甲斐があったと思うほど美しく見えた。17時22分頃にて
間もなく月の出は終わる。17時24分頃にて
この日、近天文学上で満月(望)月となる瞬間は18時2分であった。しかし、暖をとりながら月の出の撮れ具合をパソコンで確認するために、その瞬間での撮影は止めた。
18時20分頃の月。月の縁がギザギザしているのは、山の近くで気流が乱れているためである。それでも、昇ったばかりの月はその場に長く留まってほしいと思うほど魅力的であった。
月の色と輝きの変化を追って。天頂近くで輝く月。その輝きがわたくしには眩しかった。20時30分頃にて
月の近くでは、衝(しょう)*のときを迎えていた木星がマイナス2.8等の明るさで輝いていた。
この画像は広角(40 mm)で撮った。高感度(ISO 感度 6000)とかなりの絞り( F 値 20) で、月から光芒が出ることを狙ったが.....
*衝:太陽系の天体が地球から見て太陽のちょうど反対側になる瞬間(月での望(満月)に相当する)。
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15日、桐生市にて、ホワイトバランスは太陽光(昼光色)、RAW → JPEG 変換。
わたくしたちの街(群馬県桐生市)の最高地点は赤城山(あかぎやま)の最高峰、黒檜山(1828 m)である。今週の初めに、山内のライブカメラ映像に促されて、市内を流れる渡良瀬川の河川敷で赤城山を眺めた。黒檜山の山頂は厚い雪雲で包まれ、そこから川に吹き下ろす風(あかぎおろし)は真冬の到来を想わせるほど冷たかった。事実、河川敷に設けられた芝生地でグランドゴルフを楽しんでいた人々はすべて退散し、わたくしだけがその場に残っている状態になった。それでも、この山と雲のフアンである者として、わたくしはいわゆる「孤独のグルメ」を味わうような気分で、赤城山にレンズを向けた。
左から、地蔵岳(1674 m、山頂に電波中継アンテナ)、駒ヶ岳(1685 m、部分的冠雪)、黒檜山(山頂は雲で包まれている)。雪をかぶりはじめた山体と紅葉散るとなっていない里山との対比は、この時期ならでの風物詩である。
青空に浮かぶ雲をアングルに入れて
今日も、ライブカメラ映像によると山内では吹雪いているようである。赤城山が雪雲をストップしているので、わたくしたちの市街地は気温が低いながらも雪を被らない。富士山に次いで裾野が広い山体に敬意の念を抱いて、今週末も河川敷で赤城山を眺めるつもりだ。
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12月上旬、渡良瀬川にて(桐生市)。 今日(12日15時)の天気:晴れ、気温 8℃、西北西の風 4 m、湿度 41%。
土星食がはじまって(カメラ設定時刻:18時22分35秒)
昨夜(8日)、土星が月に隠れる過程を追った。上の画像はその一コマである。国立天文台の発表を引用すると、⚫️ 月はほぼ半月状態である(今日0時27分に上弦)。⚫️ 土星の明るさは1等級である。⚫️ 土星は月の明暗境界線からわずかに暗い部分側に入った線(暗線)で隠される(潜入する)(同天文台HP)。
自分の道具は一眼レフ、望遠レンズ(70ー200 mm )、三脚、リモートシャッターボタンである。これらの道具で、⚫️ 暗線を写し出すために、その部分での地球照(地球からの反射)を浮かび上がらせる。⚫️ 土星の見かけの大きさを比べたいので、月面のクレーターをはっきりと撮る。との目標を設定した。何か目標がないと億劫になる習性の持ち主として(苦笑)。
高感度とスローシャッタースピードで撮れば、地球照についてはそれなりの結果が得られる.。しかし、月面に対しては露出オーバーとなり、クレーターがはっきりとは撮れない。結局、試してみなければとの気分で月にレンズを向けた。
日中に浮かんでいた雲は消え去り、月が明るく輝き、南西の方向では金星が輝いていた。ところが、月の輝きに妨げられて、肝心の土星や月面での地球照が肉眼では見えなかった。潜入開始時刻(東京では18時19分)が迫っているので、幾分か焦りを感じながら選んだ設定条件で撮ってみると、土星がはっきりと、地球照はそれなりに、そしてクレーターもはっきりと、カメラのデスプレイに現れた。「感想」聞かれるならば、これで記事がアップできると答えるかも.....。
土星が潜入する前にて
カメラ設定時刻:18時18分18秒
潜入がはじまるときに(土星食の開始)、潜入の開始から終了まで約1分間。
カメラ設定時刻:18時22分27秒
土星が再び現れた後にて(矢印はおおよその潜入・出現経路。潜入開始から45分後、月がより傾いていた)
カメラ設定時刻:19時07分42秒。土星の存在をはっきりとさせるために、撮影での感度を高くした(ISO感度 2500)。そのために月面については露出オーバーとなっている。
上の画像をトリミングで拡大すると、土星のリングが微かながら視認できる。ガリレオが1616年にリングの存在を明らかにしたときの喜びを共感できたような気分にて....
余談ながら、能のワキ役として著名であった方(人間国宝)が、その役を演じるとその時代に入り込めた気分になるとTV番組で語っていた。
12月8日18時過ぎ(北風と今月下旬並の気温)、桐生市にて、望遠 200 mm(APS-C換算 320 mm)。
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次回の土星食は2025年2月1日(白昼での現象)、夜に土星食が観測できるチャンスは2037年とのこと。
他の惑星食、例えば、天王星食と皆既月食とのダブル食については、この記事をご覧ください。
今日は青空に大きな綿雲(積雲)が随所に浮かび、冷たい北風が吹いている。雲が夕日に染まる光景を想像しながらも、暗くなる頃には消え去ってほしいとの勝手な思いに、わたくしは駆られている。18時過ぎからはじまる月と土星によるイベントの観客になりたいからだ。
アップした画像は近くの散策路(桐生川)で撮った残照の光景である。17時頃に落日の位置を占めている雲が見惚れるほど輝いた。また、関東平野を隔てて遠方の位置にある山々(奥秩父連山)が夕日を浴びている姿も印象的であった。
落日が終わって。この後、上空の大きな積雲が消え去った。
12月上旬、桐生市にて。
雨が降った翌朝に晴れると、市街周辺の山々が霧で包まれる。この時は霧が立ち昇る風景を撮りながら、桐生川ダム湖にわたくしは向かった。ダム湖でも同様の現象が見られるからだ。
ダム湖は市街地よりも遅れて日差しを浴びはじめる。ダム湖に到着したときは、日差しが湖面や周囲の山々の湖面側に届いていなかった。日差しが湖面に届くと濃い霧が発生し、その霧は霧雲に変化した。霧雲は層雲としてダム湖の堰堤方向に流れはじめた。
自分以外にこの撮影ポイントで霧の発生を待っているカメラーパーソンはいなかった。これから現れる風景は自分にとって、言葉を借りると「孤独のグルメ」であった。
鏡面状態の湖面には、上空の空模様が映り込んだ。ときには、太陽とその周りに発生した彩雲が映り込むこともあった。
上流側にも見逃したくない風景が現れた。余談:タイトル画像はダム湖の上流で撮ったモミジの映り込みである。
自然林と人工林に混成による晩秋の彩りに惹かれているので、翌々日にもわたくしはダム湖に向かった。
再び、「孤独のグルメ」を味わって
11月下旬9時頃、桐生市梅田町にて。桐生川ダム湖は梅田湖と名付けられている。岸辺には公園がある(水洗トイレ完備)。公園では、ロウバイ(蝋梅)とミツマタが花を開く。
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添付した画像は、ダム湖から帰るときに下流で撮った。
昨夜は細い月(正午月齢 4.9)の月と金星が接近した(国立天文台HP)。日没直後は突発的に上空が雲で覆われたために、夕焼けが残る状態ではこのイベントを追跡できなかった。しかし、暗くなってから厚い雲が去ったので、両者が接近している場面にレンズを向けた。
金星の明るさはマイナス四等星クラスあった。そこで、点光源としての金星と明るい地球照で構成されるファンタジーのようなものを表現したいとの遊び心が、わたくしに芽生えた。
カメラで点光源を撮ると光源から四方に光の発生、すなわち光芒(光条)が現れる。撮影での条件設定によるが。この現象はレンズでの光の回折とカメラの絞り機構で生まれる(富士フィルムHP)。そして、光芒の発生は夜景撮影や太陽光などの点光源を美しく見せるために多用されている。
金星などの惑星の撮影において、この手法が用いられた例(遊び?)はネット検索においてほどんどヒットしない。
アップした画像は、高い感度( ISO感度 6400 )と遅いシャッタースピード( 1/8秒 )で撮影した結果である(画角:望遠 170 mm 、絞り f 値は 9 )。
輝く宵の明星(金星)(望遠 170 mm、トリミング)
月には薄い雲がかかっていたので、当方の肉眼では地球照が微かに見える程度であった。もちろん、金星からの光芒は見えなかった。これでランドマークが写り込めばと思ったが、欲張るほどの時間的余裕がなかった。間もなく、金星は近くの山に沈んだ。
月齢 4.9 の月 (新月から五日目)(望遠 200 mm、トリミング)
12月5日18時頃、桐生市にて。
晩秋との時期は11月上旬までと聞いているが、当地では先週から日中において初冬とは思えないような天気が続いている。山道には落ち葉が目立つものの、山肌は冬の到来を感じさせない彩りを帯びている。本格的な冬になったときでの反作用(例えば、身を凍えさせる空っ風)を、わたくしは恐れているが。
近くを流れる桐生川の上流にはダム湖が設けられている。そして、山に囲まれているダム湖に漂う静かな雰囲気に、わたくしは魅せらせられている。余談ながら、市街地からダム湖とその先(ふるさとセンター)までバスが運行されている。
昨日(3日)9時頃、山から昇ったばかりの朝日が水面を囲む木々を照らし出すとの構図にレンズを向けた。
日差しと水面からの水蒸気で生まれた光芒とそれによる光景。この光景によってフェルメールの作品を思い浮かべられたことが、わたくしにはうれしかった。
水面を囲む山林は自然林と人工林による混成(ハイブリッド)である。林には、ハイブリッドならではの晩秋の彩りが現れている。
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昨日の夕焼けは稀に見るほど、その彩りが美しかった。17時頃
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12月3日、桐生市にて、撮影でのホワイトバランスはオート(雰囲気優先)
今年、浅間山での初冠雪は先月上旬であったが、自分たちの街から遠望する山体にはほとんど雪が残っていなかった。もっとも、この山を毎日のように眺めていなかったので断言できないが.....。ところで、先週末から市街地を囲む山並みが深い晩秋の色を帯びるようになった。紅葉が残っているうちに浅間山が雪で覆われることを、わたくしは期待した。以前に紅葉の里山の奥に冠雪の浅間山を眺めたときの印象が脳裏に残っているからだ。
先週土曜日(11月30日)、雪雲で覆われたが、午後には全体的に雪を被っている山体がライブカメラ映像に登場した。チャンス到来、わたくしは以前と同じ展望ポイントに立った。しばらくは我慢を強いられたが、15時半ごろ夕日に近い日差しを浴びる「冠雪の浅間山」が目線の先に現れた。
夕日が沈む頃での光景
そして、翌朝はゆっくりと眺めよとばかりに、雪化粧をしたコニーデ形独立峰が展望ポイント付近での紅葉の先で、ファンの到着を待っていた。
今回は青空だけを背景とする単純な構図では終わらなかった。レンズ状の雲と長く伸びる雲が青空に浮かんだ。多分、温度の逆転層が山頂付近に生じたのであろう。ちなみ、浅間山の標高は2560メートルである。山頂で雲のように見えるものは噴煙だろうか。
展望ポイント周辺の常緑樹などが年々高くなっている。数年後には、このポイントも紅葉化しない木々で囲まれるかもしれない。そう思うと、シャッターボタンを押す回数が増えた。
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11月30日、12月1日、桐生市にて。撮影でのホワイトバランスは太陽光(昼光色)。望遠70ー200 mm。