「ヤマネ肉店」を出て、さて中華で〆るかとなったが、浦安には適当な町中華がない。「珍来」はへんてこなお店に変わっちゃったし、他に思いつく店がない。昔、行徳バイパスに「北国ラーメン」というお店があった。自分史上最高のラーメンで、閉店から30年以上経ってもまだ自分の中でのトップだ。
さて、町中華がないから、カレーで〆るとするか。
昨年、浦安に来た時、目の前を通って、まだ営っていることが分かった、「ゴ . . . 本文を読む
新橋は中央通りを超えて北側に行くと、途端に街の雰囲気が変わる。新橋駅から数十mしか離れてないのに。第一ホテルはその一角にある。今年はコロナが終わりを告げ、総会が通常通り開催された。そのラストを飾る団体の総会で第一ホテルにて行われた。フリーランスは記者会には入れないが、自分はちょっと特別にしてくれて、会報やら会のリリースやら送ってもらっている。総会の案内も送られてきたから、「行っていいんですか?」と . . . 本文を読む
すっかり外でカレーを食べなくなって久しい。でもカレーは大好きだし、本音としては毎日食べたい。「カレーさすらい」は不人気コーナーだが、その中でも未だにアクセスが多いのが、「京王プラザホテル」の回。「ホテルカレーはうまい」と題したものである。で、ホテルカレーって、やっぱり特別なのだ。ふんだんな材料と技術が凝縮したカレーは、ひとつの到達点だと思う。なにしろ、コクが違う。そのコクもいくつかの層を形成するほ . . . 本文を読む
3年くらい前のことだろうか。いや、まだコロナが始まる前だったような気もするから、もっと前のことだ。朝の番組で大阪北新地の小料理屋を紹介していた。一見さんはお断り。料理はおいしく、特に〆のカレーが絶品だという。
その数年後、仙台駅構内で開催されていたレトルトカレーフェアで、手に取ったのが、「玉鬘のバターカレー」。えんじのパッケージに北新地と書かれており、一目でその小料理屋のカレーと分かった。
今 . . . 本文を読む
我が家にはカレーが嫌いな女子がいる。さらに、中辛のカレーを「辛い」という男子もいる。これが我が家のカレー文化だ。
自分が子どもの頃、カレーはご馳走だったし、給食でも人気のメニューだったものだが。
こんな我が家でカレーが食卓に出るのは2カ月に一回。結構、貴重だったりする。フリーランスになり、外で昼ごはんを食べなくなったこともあって、カレーを食べる機会が激減している。だからなのか、家で食べるカレー . . . 本文を読む
「富士屋本店」を出て、「兆楽」へと向かう途中、尿意をもよおした。できたばかりのきれいなビルに入って、トイレを借りたらテナントのインフォメーションが見えて、このビルの上の階にあるという食堂で、世界のカレーが食べられるという。
うわー、見なきゃ良かった。見ちゃったら、行かなきゃなんないじゃん。
そのインフォメーションには、こんなことも書いてあった。
「小宮山雄飛さんコラボレーション」。
どうや . . . 本文を読む
一条もんこさんを初めて見たのは、「dancyu」だったと思う。いろんな意味でかなりのインパクトだったと記憶している。左斜め45°の角度から写される写真の意味深な笑みは妖艶だ。ただ、カレーにまつわる姿勢には感服している。それは彼女が評論家ではなく、真のプレイヤーだから。経歴をみれば、一目瞭然。フレンチ、イタリアン、カレーチェーン、そしてインドに渡り、カレーの修行を実践してきた。タレントの撮影 . . . 本文を読む
今年初の田町は午前中の某社訪問。
ということはこの日もまた、「宗屋」訪問はなし。
11:30に用事終了。
ならば、あの店に行こうか。
「ボンディ」。
カレー激戦区、神保町のカレー屋ランキング(食べログ)で堂々の首位を走り、そして神田カレーグランプリの第一回王者である「ボンディ」が、田町に店舗を構えるのだ。正午を回ると行列が出来るが、今なら間に合うだろう。
田町の欧風カレーは東の「ボン・ . . . 本文を読む
650円の値札の上に400円のシールが貼ってあった。何故、安売りしてるか分からない。JR浜松町駅構内の物産店。賞味期限切れはまだまだだ。
売れないからだろうか。
なんだか、かわいそうになって購入した。
「牛乳カレー」にブレンドされているのが、「シュッポッポ牛乳」という愛称で、地元で親しまれているらしい。シュッポッポとは機関車のこと。カレーのパッケージにその汽車の絵、機関車トーマスにクリソツな . . . 本文を読む
かみさんは給食に鯨が出ていた、最後の世代かも。もちろん、自分も小学生までは鯨が給食に出ていたし、親父は酒の肴によく鯨を食べていた。特においしいと思ったことなどなかったから、気にも留めなかったが、捕鯨が問題になっていることは漫画「美味しんぼ」で知った。
ウチの子どもらは、多分鯨肉を食べたことがないはず。自分も含めて、別に鯨の肉が食卓に出なくても全然いいのだが、ウチの親父の世代はそうは思わなかったと . . . 本文を読む