法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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主宰者の《日乗》

ワークショップ

2009年07月02日 21時53分39秒 | 日乗

最近、「カウンセリング」という言葉、「ワークショップ」という言葉がいろいろの場面で使われるようになった。
正直のところ、あまりにも軽々しく使われているのが、本当に残念である。

我が国最初のワークショップは、1953年(昭和28)茨城県大甕で「第一回大甕カウンセリングショップ」である。

友田不二男先生を中心に、遠藤勉先生、佐治守男先生、村瀬孝雄先生をはじめとして、日本のカウンセリングの土台を作られ先生方が集まり、10日間にも缶詰で討論会が開かれたそうだ。

このワークショップに参加した先生が集まり、(財団法人)日本カウンセリングセンター(会長友田不二男)が設立された。

その後、日本各地で夏・冬カウンセリングワークショップが開催され、教育現場の先生方を中心に大勢の方々が参集されたそうだ。

 

話はとぶ。
先日、『蓮如上人御一代聞書』を読んだ。
本書は、蓮如上人の日常・座談を弟子たちが録したものである。

こんな言葉が、目にとまった。


「仏法は、一人いて悦(ヨロコ)ぶ法なり。一人いてさえ、とうときに、二人よりあわば、いかほどありがたかるべき。仏法をば、ただ、より合い、より合い、談合(ダンゴウ)申せ」

「仏法談合のとき物を申さぬは、信なきゆえなり。わが心にたくみ案じて申すべきように思えり。よそなる物をたずねいだすようなり。心うれしきことは、そのままなるものなり。寒なれば寒、熱なれば熱と、そのままの心通りをいうなり。仏法の座敷にて物を申さぬことは、不信の色なり。また、油断ということも、信のうえのことなるべし。細々同行(サイサイドウギョウ)により合い、讃嘆申さば、油断はあるまじきの由に候う」

「仏法談合のとき物をものを申さぬは、信のなきゆえなり」

 

「談合」という言葉は、「土建工事の談合」「談合請負人」等、負のイメージもあるが、本来の意味は、「はなしあうこと」「談じ合い」「相談」だそうだ。

 

蓮如上人の時代に、すでに「ワークショップ(談合)」が行われたいたと思う。

 

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