法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

カウンセリング研究会《くりのみ》
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主宰者の《日乗》

カウンセリング研究会《くりのみ》学習会案内

2012年08月18日 22時04分24秒 | 日乗

カウンセリング研究会《くりのみ》の、来年1月までの日程が決定しました。

詳細は、《くりのみ会》のHPでご覧下さい。

http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kurinomi/calendar/calendar.htm

 

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池上彰著『池上彰と考える、仏教って何ですか?』

2012年08月18日 21時35分19秒 | 日乗

《くりのみ会》の伊豆稲取ワークショップで滞在中、毎日新聞の広告が気になって引きずっています。

池上彰著
『池上彰と考える、仏教って何ですか?』
飛鳥新社発行 

紙面によると、「発行忽ち5万部突破!」とあります。

池上彰さんのようなメジャーなお方が仏教に関する本を書いて、大勢の方が仏教に関心を寄せてくれることは歓迎の気分になります。

ただ、紙面にある宣伝の文が、私にはいただけません。

こんな文です。

仏教を知ることは己を知ること。
そして、日本を知ることです。

仏教が追求してきた人間の心のはたらき、心の訓練は、教養として役に立ちます。
仏教の教えこそ、生きていく上での道しるべ、あるいは灯明として活かしていけそうだと獲信できるじょうになりました。

道元さまの『正法眼蔵・現成公案』には、
「仏道をならふといふは 自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり」
の文があります。

また、『正法眼蔵』には、「身心学道」の巻があります。

池上さんの文と道元さまの文を並べてみますと、
池上さんの「知る」と、道元さまの「ならう」
池上さんの「心のはたらき」「心の訓練」「教養として」と、道元さまの「身心学道」

随分、違うように感じてしまいます。

池上さんの、仏教は「知」であり「教養」なのですね。

私が思うには、仏教は「道」であり、「信」であり、「行」であると考えます。

これから、じっくりと、池上さんの著作を読んでみようと思います。

 

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