くりのみ会のお仲間の河◇さんからメールをいただいた。
ご無沙汰しております。昨日ブラジルから帰ってきました。
今日だったらパリに足止めだった!!しかも今日は台風のため仕事はお休み。
時差をゆっくりとれということでしょうか?
マドリッドの報告をする前にブラジルから帰ってきてしまいましたが、
いつもIOSCOの総会に行く度に感じることは、
世界中から来た方との出会いが私を豊かにしてくれているということです。
言葉はもちろん、その背景にある歴史も文化も違う人たちと話をすると、
何でもアリなんだということを痛感します。
また、日本に来たことのある人たちからは「日本は素晴らしい。
日本はとても礼儀正しいし、秩序がある。」と。
私たちにとっては当たり前なことが、実は当たり前でなかったことを教えてもらえます。
いつもIOSCOの総会に行く度に感じることは、
世界中から来た方との出会いが私を豊かにしてくれているということです。
言葉はもちろん、その背景にある歴史も文化も違う人たちと話をすると、
何でもアリなんだということを痛感します。
また、日本に来たことのある人たちからは「日本は素晴らしい。
日本はとても礼儀正しいし、秩序がある。」と。
私たちにとっては当たり前なことが、実は当たり前でなかったことを教えてもらえます。
その一方、小学校で行われている、
これから行われるであろう英語教育の方向性に疑問も抱きます。
言葉はあくまでアイテムであり、大切なのはやはり人間性。
「自分はいったい誰なのか。」
それを問いかける教育がまずあって、初めて英語教育が生きてくるのではないのでしょうか。
片言の語学力で自分を表現し合うだけで、親近感がわいてくる経験をすると、
自ずから語学に対するモティベーションがアップするような気がします。
教わることに重点が置かれがちな日本の教育ですが、
子どもたちには自分自身で考える時間をあげたいな、と思いました。
これから行われるであろう英語教育の方向性に疑問も抱きます。
言葉はあくまでアイテムであり、大切なのはやはり人間性。
「自分はいったい誰なのか。」
それを問いかける教育がまずあって、初めて英語教育が生きてくるのではないのでしょうか。
片言の語学力で自分を表現し合うだけで、親近感がわいてくる経験をすると、
自ずから語学に対するモティベーションがアップするような気がします。
教わることに重点が置かれがちな日本の教育ですが、
子どもたちには自分自身で考える時間をあげたいな、と思いました。
今月のくりのみ会には参加したかったのですが、土曜日に娘と鎌倉の薪能
を見に行くため、翌日日曜日は鎌倉でノンビリしようと思います。皆さまによ
ろしくお伝えください。
河◇さんは、ご主人のお仕事の関係でスイスで生活したこともある国際感覚が豊かなご婦人です。
また、スクールカウンセラーとしてもご活躍中です。
さて、英語教育ですが、ボクが退職してから学校現場で始まりました。
ですから、英語教育については直接経験は持ち合わせていません。
ただ、スクールカウンセラーとして2区4校に出かけた時、
外国人講師の方の授業を何回か参観したこともあります。
ボクは、ハナから文科省がすすめる小学校の英語教育教育には反対でした。
ですから、河◇さんの意見に大賛成です。
小学校教育の眼目は、豊かな人間性の育成だと考えます。
英語が喋れることは、そんなにたいしたことはありません。
応援のクリックよろしく。
河◇さんは、ご主人のお仕事の関係でスイスで生活したこともある国際感覚が豊かなご婦人です。
また、スクールカウンセラーとしてもご活躍中です。
さて、英語教育ですが、ボクが退職してから学校現場で始まりました。
ですから、英語教育については直接経験は持ち合わせていません。
ただ、スクールカウンセラーとして2区4校に出かけた時、
外国人講師の方の授業を何回か参観したこともあります。
ボクは、ハナから文科省がすすめる小学校の英語教育教育には反対でした。
ですから、河◇さんの意見に大賛成です。
小学校教育の眼目は、豊かな人間性の育成だと考えます。
英語が喋れることは、そんなにたいしたことはありません。
