銀座にある泰明小学校の「アルマーニ」の標準服が話題になっています。
保護者負担や学校長の決定プロセスに対する疑問の声が上がっているようですが。
学校長は、「保護者のご判断で…」と記者会見で話された由。
マア、個々のことは置くとして、
これが劣化している日本の現実・教育の現実の象徴のように感じています。
ボクは、根本的には「国語」の劣化の問題だと思います。
ここでいう「国語」とは、教科としての「国語」でも、
上辺の言語ツール・記号的な「国語」ではありません。
日本の歴史、人間道に裏打ちされた「国語」です。
ボクが、教育現場を離れて10年以上になります。
スクールカウンセラーを離れて5年以上になります。
現職の頃から感じていたのですが、
何か流行(ハヤリ)のモノ・ゴトや言葉に飛びつく風潮が濃くなっていました。
それが、あたかも、教育の充実につながるようや錯覚…
今回の泰明小学校の件で、「服育」なることばを聞いて唖然としました。
教育から始まって、知育・体育・美育・食育・保育・愛育…、
「育」の付く熟語はいろいろありますが、
「服育」は、初めて目にしました。
wikiによりますと、
「2004年に大坂の繊維専門商社チクマが提唱、
日本の教育関係者の一部に広がっている」と。
ボクが一番心配なのは、
「国語」が、記号化され、装飾化され、流行化され…、
事実・実態・真実に対する、人間(日本人)の“鈍化”です。
アベ某氏の言葉などに顕著です。
ボクの辞書では、
「積極的平和主義」とは、武器は所持をしない取り組み」なのですが…
和田校長。
昔、お会いした頃は、将来が有望な青年教師だと感じていたのですが、
一途な“教育道” “教師道”を踏み外してしまったようです。