法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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「智もあり涙もある」 金子大栄師のことば

2019年06月25日 23時22分45秒 | 日乗

毎週、水曜日の夜、
本郷三丁目の願海庵で『仏説無量寿経』を読誦しています。
仏道・仏教の学びは、経典読誦が王道だと確信しています。

願海庵で、お仲間とご一緒「経典読誦」は、本当に有り難い時空です。

でも、少しは、理屈・理論の学びもしようと思い、
金子大栄師の『大無量寿経総説』を読み進めています。

第十八願 「唯除五逆」の説明が興味深かったので、引文しました。

ちょっとひとつ思いついた。わたしはときどき思いつきをいうので、
あとでしまったとおもうこともあるのだが。
「唯除五逆」ということは、
父を殺し、母を殺し、羅漢を殺し、仏(ホトケ)の身(カラダ)から血を出し、
和合僧を破る・教団を破るということなんであります。
ですから、これは、教団の破壊者、五逆という教団の破壊者。
唯除五逆のほうは、かたちの上において教団を破壊し、
そして誹謗正法のほうは思想的に仏法を無視するものであるにちがいないんであります。
だから、ひとつにしていえば、仏法を信じないものは除くんだということです。
 
ただ、父を殺し母をすものも除くというてありますことは、
父母というものは自分の生のもとであります。
人生のよって立つところであります。
われわれの魂の故郷というものがあるとするならば、それは父母をおもうということ。
孝行というようなことを別といたしまして、
父母をおもうということ、それがもとなんであります。
そこで清沢先生がね、宗教とはどういうものであるかというと、
一切万法の不思議というものをみれば、
なにかそこに永遠なるものを思慕するという気持になるんではないか。
智もなく涙もないものならば別であるが、
いやしくも智と涙をもっておるものにして、
宗教心をおこさないということは全く迷倒でないか、というとおられます。
その智と涙ということを思い出した。
唯除五逆誹謗正法というのは、
智と涙とのない人間と考えていいんであろう、ね。
人間としての感情というものをもたない。

こんにち非行少年とかなんとかいわれております、ああいう人びとを、
どう考えたらいいかということは、大事な問題でありました、
一口にものをいうことはできません。
けれども一応いえば、その行いをみるというと、いかにも智と涙がない。
いやしくも智と涙があったならば、そうむやみに人のものを盗むとか、
あるいは殺すとかいうことはできないはずでないかということも考えられるようであります。
もうひとついいかえれば、清沢先生流の言葉を使いますれば、
人生に疑問がないということ。
人生に何の疑いがない。
生まれて、食うて、死んで、それでいいじゃないかというようなものでは、
阿弥陀の名前を聞いても、
「それはありがたい」というような感じが出てみようがないじゃないか。
したがって、「諸有衆生」から「住不退転」までの文字をみていきますと、
裏から申しますれば、
智もあり涙もある人間であるならば、
なんとありがたい教えだあるところへいかにゃならんはずである。
それがそういかないということは、
これはもう「除く」、除くよりほかないものである。


子どもが被害者になる傷ましい事件・事故が多発しています。
「智」と「涙」。
大事な眼差しだと思います。

 

コメント
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