毎田周一師の言葉
■南無すること、跪くこと、己を空しうすることは、やがてこの発展的世界の内面的自覚である。これを南无阿彌陀佛といふ、念仏といふ。それ故に念仏者は、発展的創造的に働くものでなければならない。念仏はそれ故に消極的退嬰的ではないのである。
「毎田周一全集 第五巻」より
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