里村専精師の「浄土真宗にようこそ」No78をお届けします。
「願生」という言葉は、世親から始って親鸞へと繋がっています。
同じ仏道の課題が連続しているのです。
それは、如来本願に委ねられた偉大な求道の歩みのことです。
四、五世紀に確立した学びが、一貫して世界の人間に同じ課題を投げ掛けています。
七祖たちの伝承は、同じ如来の行の継承です。
そして世親の「願生」こそ、求道の極みだと言えるでしょう。
親鸞は、こういう歴史継承を大切に見つめた人でした。
世親の「願生偈」には、「パリナーマ」という言葉が「回向」と書かれています。
翻訳の違いなのでしょうが、ただそのように済ますことのできないものを秘めていいます。
親鸞の時代では、この言葉は気付かれていませんでしたが…。
世親菩薩の「パリナーマ」という言葉は、もともと「転」という言葉です。
さて、「パリナーマ」は、どう受け止められるべきなでしょうか。
「転」なのか「回向」なのか、随分問題を孕んでいます。
菩提流支三蔵が訳した「回向」は、世親の「無量寿経」との出遇いの実際を物語っています。
これが「転」だと意識の問題だけになりますが、
「回向」だと世親菩薩の存在の全体にかかるものになります。
ということは世親菩薩ご自身も、
「無量寿経」で新たな転身を遂げられたと見ることも出来そうです。
すくなくとも「願生偈」において、親鸞は世親の「願生」という転身を大切に見つめています。
それは確かに「転」なのですが、またそのまま「他力回向」に帰入されている姿でもあります。
おなじ「パリナーマ」という言葉ですが…、
翻訳の違いのようでありながら、世親その人の「無量寿経」の世界との深い呼応が見られます。
これが世親菩薩の事業でありながら、七祖としての同一の如来行推進の事業でもあります。
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