週1回、スクール・カウンセラーとして出かけている公立A小学校のPTA・広報委員会からアンケートが届いた。
「子どもの頃に、将来なってみたい職業は?」とのことであった。
少し考えてから、「大型船の船長」とアンケートに記入して、担当のY先生に提出した。
ご覧になったY先生との会話。
Y先生「鈴木先生、ピッタリです」
鈴 木「そのですか?本当に?」
Y先生「鈴木先生は、制服が良く似合うと思います。船長さんの制服はピッタリです」
鈴 木「嬉しいですね。でも、お世辞でしょう」
Y先生「そんなことありません。背も高いし制服がお似合いですよ」
実は、Y先生にはお話しなかったのですが、中学校を卒業する時、鳥羽商船高校(?)を受験しようとしたことがあります。
担任のT先生は、当初「成績は大丈夫だから」と励ましてくれました。
ところが、しばらくすると、T先生と母親が相談して私の夢は潰されてしまいました。
実は、父親が船乗り(日本丸の機関士?)で若死にをしていることと、私が一人子であったために祖父と母親の猛反対に担任も同調したようでした。
大人の意見に反発するだけのエネルギーもなく、普通高校に進学したことが懐かしく思い出されます。
もし、鳥羽商船高校(?)に入学できていたら、船長さんになれたかどうか分かりませんが、随分違った人生になっていましたねー。
世界各地の海を航海していたのか?、海運不況に直面していたのか?
アンケートに触発されて、昔を思い出しました。
お恥ずかしい昔話に、コメント感謝です。
マア、他人様に迷惑をかけるような話題ではないので、酒のつまみに笑ってください。
子どもの頃って良いですね-。自分のことながら可愛いものです。
自分の能力も考えないで、一時は真剣でしたから。
たぶんこのような大志(?)の背景には、次のことがあったのでしょう。
明治・大正時代だと思います。
母方の叔父に、外国航路の船長がいました。
その叔父のエピソードとして、横浜の岸壁に本船を接岸させるのに曳舟等を使わず、本船を操舵して直接に接岸させる技術をもっていたそうです。
(本当かな?)
そうそう、母方は飯田姓ですが、この叔父は親戚に養子に出され松本姓でした。
「松本船長が横浜港に入港する時は、日本中の船長が見物に集まったものだ」と幼少の頃、繰り返し聞かされていました。
エピソードの真偽がどれほどのものか分かりませんが、伊豆の河津町見高に大きな石塔のお墓が残っています。
また、母の実家には、髭をたくわえた大きな肖像写真がありました。
幼少の頃の記憶です。
母方の祖父母が健在の頃は、よく出かけていましたが、この半世紀近くは全く足を運んでいません。
今度帰省しましたら、一度、尋ねて見ましょう。
見者マンボーさんのコメントに触発され、昔を思い出しています
ありがとうございます。