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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「警察日記」と「卒業」

2012年12月23日 01時06分56秒 |  〃  (旧作日本映画)
 フィルムセンターの日活映画100年特集で「警察日記」を再見。1955年久松静児監督作品。ベストテン6位。僕の生まれた年の作品で、学生の頃見ているけど久しぶり。前から見直したいと言う気はあったが、特に「週刊文春」12月13日号で小林信彦「本音を申せば」で取り上げられていて是非見たくなった。週刊誌はほとんど買わないが、この号はミステリーベストテン発表と衆院選全選挙区当落予測というのがあったので買った。小林信彦はずいぶん読んでいて、喜劇人の評価は一番信用している。ただし、「本音を申せば」で、女優はB型に限るなどと変なことを言いだしたのでガッカリした。

 「警察日記」は会津の警察署で起こる様々な事件を描いた人情文芸映画。原作は戦前に農民作家として知られた伊藤永之介。戦前に豊田四郎監督で映画化された「」「うぐいす」の原作者でもある。ミステリーで言うモジュラー型の警察もので、警察を舞台に様々な事件が同時多発的に起こる。殺人などの事件は起こらないのでミステリー的要素はないが、地方を舞台に様々な人間模様を描く。きだみのる(山田吉彦)原作、渋谷実監督「気違い」(「」とは村落のことで被差別ではない。原作は八王子近郊の農村地区に住んで書いたルポ「気違い周遊紀行」)、杉浦明平原作、山本薩夫監督「台風騒動記」などより風刺的、社会批判的要素が少なく、人情ものになる。
(「警察日記」)
 配役がすごい。三島雅夫署長のもと警察官は森繁久弥、三国連太郎、十朱久雄、殿山泰司、宍戸錠(新人デビュー作、豊頬手術以前で初めは誰だか判らない)など。周旋屋に杉村春子、料亭のおかみに沢村貞子、狂った元校長先生に東野英治郎、他伊藤雄之助、左朴全、三木のり平、飯田蝶子、小田切み((黒澤「生きる」)など。森繁、三国以外は日本映画の名脇役総出演である。その中でも、極めつけは子役の二木てるみ。49年生まれだから、6歳。この子役は有名で、もちろん知識としては知っているが、こんなに可愛かったか。ほんとに泣かせる。すごい。森繁や三国は他にすごいのがいくらもあるけど、この子役だけは他の映画では見られない。

 事件は貧しさから起こる。子どもを捨てるとか、娘を違法周旋屋の紹介で工場に行かせるとか、無銭飲食とか、そんな事件ばっかり。それを扱う警官はソーシャルワーカーである。そこに出身の通産大臣(今の経済産業大臣)が里帰りする。その歓迎もしなくては。周旋屋の事件では、警察に対して、労働基準監督署や職業安定所が自分の方の事件だとクレームを付けてくる。愛知県から来た労働基準監督官がすぐに顔を出すから、この町には労基署やハローワークがあるらしい。何だか記憶の中では、小さな派出所のようなイメージだったが、けっこう本格的な町の警察なのである。そういう町の高度成長以前の様子が、今見ると新鮮で芸達者も楽しめる

 この映画を前に見たときは、スピードの遅さ、警察にみなぎる「人情」の押しつけ、泣かせる演出などが不満だった。もう古い映画のように思った記憶がある。改革すべき日本を象徴するような映画に思えた。今見ると確かにリズムは遅いのだが、これはこれで歴史的証言だと思った。、役者の演技も貴重で非常に興味深い。「人情」に昔ほど否定的感情を持たなくなったのである。名作だと思う。久松静児監督は、戦前以来各社で文芸ものや喜劇を撮った。永井荷風原作の「渡り鳥いつ帰る」や壺井栄原作の「女の暦」、駅前シリーズの何本かなどがあるが、「警察日記」がベスト。森繁主演で戸川幸夫原作の「地の涯に生きるもの」もある。

 その後で、アメリカ映画「卒業」(1967)を見た。「午前10時の映画祭」である。ダスティン・ホフマンが結婚式に乗り込んでキャサリン・ロスと逃げてしまう、あの映画。もちろんこれも前に見ていて、何十年ぶりかの再見。いやあ、リズムが「警察日記」と違う。カラーだし、勢いがあって、セックスや車もある。これを見た当時は「アメリカン・ニュー・シネマ」と言われる一群の映画があり、これもそういう「若者の反乱」「現代アメリカへの反抗」映画とされた。サイモン&ガーファンクルの曲を使ったのも新鮮と言われた。「サウンド・オブ・サイレンス」や「スカボロ・フェア」、「ミセス・ロビンソン」は有名だが、僕がすごく好きな「四月になれば彼女は」も使われていたのを忘れていた。
(「卒業」)
 しかし、内容的には、これは何なんだ。今見れば、壮絶な「ストーカー映画」である。ただし、暴力はない、メールを何千も送るとかもない。でも彼女の大学のそばに移り住んで追い回す。彼女の母親と結ばれるのも、かなり不自然。ただし、初めてのホテル場面や、結婚式の場所をどうやって知ったのかなどのディテイルがきちんと描かれていたのには感心した。そういうところは全部忘れてた。アメリカの恵まれた階層の空虚な生き方への風刺もよく出ている。あんな親に囲まれていたら、頭がおかしくなる。今の若い人が見たらどう思うのだろうか。日本では大塚博堂の「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」なんて歌まで作られた。

 元カノの結婚式に乗り込んで復縁を迫るなんて、今考えると迷惑千万。「キモイ」としか言えない。それが勇気ある行為や誠実さに見えたのは、「結婚が親同士の見栄や都合で決められるもの」という要素が残っていた時代だからだ。本人が乗り気でない結婚だから、「僕の方がもっと君のことが好きだ」と言っても、見てておかしな感じがしない。でも、今は女性が望まない結婚を周りの圧力でするということはほとんどない。振られたのは家の都合ではなく、女の気持ちが本当に変わってしまったわけだ。しつこくすれば、ますます嫌われる。結婚式には乗りこまない方がいい

 彼女の親と前に付き合っていたってなんで皆知ってしまうんだろう。これは「特殊アメリカ的」ではないだろうか。アン・バンクロフトの母親が黙っていて、「娘には秘密にこれからも会って」という展開の方が日本ではありそうだ。ダスティン・ホフマンは大学卒業したばかりという設定で21歳だけど、実際の年齢は1937年生まれの30歳。母親役のアン・バンクロフトは1931年生まれで、なんと36歳。娘のキャサリン・ロスは1940年生まれで27歳。この俳優の実年齢を見れば、ダスティン・ホフマンはどっちと結ばれても、また両方と付き合っても全然おかしくも何ともない。これもビックリである。
コメント (1)
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