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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『白い病』と『マクロプロスの処方箋』ーチャペックの2つの戯曲

2022年12月11日 22時34分09秒 | 〃 (外国文学)
 いま映画を見に行けないし、政治や国際情勢の話をきちんと考える余裕もないけれど、本を読む時間はあるので本の話を書くことにする。いつもなら年末にはミステリーを読みふけるのだが、今年はそうもいかないから短い本を読むことにしている。ここでよく書いているカレル・チャペックの戯曲が2つ、阿部賢一訳で岩波文庫から出ている。それをこの機会に読んでみた。
(『白い病』)
 まず『白い病』(1937)。何というかあまりにも現在の世界に適合した内容で怖くなってくる。2020年に翻訳が出版されて、ちょうどコロナ禍ということで注目された。それから2年後、世界はウクライナ戦争で一変してしまった。この戯曲は中国から始まった恐るべき「チェン氏病」のパンデミックに襲われた世界を描いている。白い斑点が皮膚に出来るので、ハンセン病と見なされたが、50歳以上の人間が罹りやすく致死率が高い。そこへ有力者の枢密顧問官ジーゲリアス博士を貧しい医者が訪れる。

 貧民街で働くガレーン博士が特効薬を発明したというのである。当初は無視されたが、何とか大学病院の一棟だけで治療を許される。そして、どうやらその薬は本当に効くらしいのである。ただガレーン博士はこの薬の作り方を公開しなかった。彼の診療所を訪れる貧しい患者には与えるが、金持ちは診察しない。金持ちには権力があるので、戦争をなくすために力を尽くして欲しいというのである。戦争を止めない限り、恐るべき病の特効薬は世界に公開しないというのである。折しも同国では独裁者がパンデミックを利用して隣国に攻め入る。当初は優勢を伝えられたが、実は苦戦しているらしい。

 1937年という年代を考えると、これは基本的には反ファシズム文学だと言える。実際に初演時には登場人物の名前がドイツ名を連想させるとして、名前を変えるようにドイツ大使から要求されたという。それはクリューク男爵という名前で、当時のドイツ大使クリュッペに近かった。公演ではスウェーデン語のオラフ・クローグに変えられたという。僕はこの名前にドイツのクルップ財閥を想起したが、ガレーン博士は「白い病」を発病したクリューク男爵に対して武器の製造を止めるように求め、聞き入れるまで治療はしないというのである。果たして究極の問いに直面した人々はどう行動するだろうか。

 「白い病」は「ペスト」(黒死病)と対比されている。世界にはびこる戦争、ファシズムの恐怖を象徴するものでもあるだろう。しかし、そのような政治的暗喩からではなく、「病の文学」として読んだのはスーザン・ソンタグだったという。アメリカのラディカルな批評家だったソンタグは、長くガンをわずらい闘病の中で『隠喩としての病い』を書いた人である。翻訳刊行の2020年には思いも寄らなかったが、現在のウクライナ戦争を思うと独裁者はプーチンをも思わせる。一方で、医者が貧乏人のみ治療して、金持ちには戦争を止めない限り治療薬を与えないというガレーン博士の奇策は「医の倫理」に反しないのだろうか。

 いろんな読み方が出来る戯曲で、残念なことにと言うべきだろうが、時代遅れの古典になっていない。設定はもちろんずいぶん古いけれど、突きつける問いの重さは現在も生きている。亡命中のトーマス・マンが称賛の手紙をチャペックに送ったという。余りにも皮肉なラストも衝撃的。少しセリフを変えて、どこかで上演して欲しい気がする。
(『マクロプロスの処方箋』)
 『マクロプロスの処方箋』(1922)は、有名な最初の戯曲『ロボット』(1920)に続くものである。1918年に独立を達成したばかりの新生チェコスロヴァキア共和国の文化的リーダーとして、チャペックが大活躍していた時代である。自分たちの劇場で、自分たちの言語による創作劇を上演するというのは、重要な文化的意義を持っていただろう。しかし、チャペックの戯曲はナショナリズムを煽るようなものではなく、一貫して全人類的課題を追求している。最初の『ロボット』など、これでロボットという言葉が世界で定着してしまったぐらいである。

 『マクロプロスの処方箋』のテーマは「不老不死」である。100年続く裁判がどう転ぶか、その最終段階で現れた謎のオペラ歌手は一体何者か。時代を越えて多くの男を虜にしてきた300歳の美女、というトンデモ設定を上手に生かして、果たして不老不死は幸福なのかという問いを発する。『ロボット』『白い病』に比べると、僕は少しストーリーに混乱があると思ったが、ちょうど100年前に「人生100年時代」を問いかける戯曲を書いていたチャペックの恐るべき先見性に驚いてしまう。この戯曲の公演を見た有名な作曲家ヤナーチェクが1925年に『マクロプロス事件』というオペラにしている。その意味でも注目すべき作品である。
 (カレル・チャペック)
 カレル・チャペックという人は恐ろしいほど引き出しが多い人である。テーマ的にも、手法的にも実に多彩な作品を残している。小説、戯曲、評論、エッセイ、紀行、時事コラムなど多くの分野に渡って後世に残る仕事をなしとげた。劇作家としての活躍も非常に重大なものがあったと、この2作を読んで改めて認識した次第である。
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