こどものとも年少版1999年12月号は、スズキコージ作『かくれんぼ』。この絵本が、
私たち親子にとっての、最初のスズキコージ作品です。娘が3歳3ヶ月の時でした。
お話はとってもシンプル。カンちゃん(男)、クンちゃん(女)、レンちゃん(女)、ボンちゃん(男)、
カボちゃん(女)の5人が、じゃんけんで鬼を決めー鬼はカボちゃんー、残りの4人を探していく、
ただの「かくれんぼ」のお話です。ページの中に一箇所づつ窓が開いていて、しかけ絵本になっています。
最後の一人ボンちゃんが、なかなか見つからない以外は、とくに盛り上がるところもなし。
でも、その代わりに、絵の方は、余白というものがいっさいないほど、あらゆる色とあらゆる線で
埋め尽くされています。まさに「スズキワールド」ですね。
スズキコージさんの絵本を見たのは、初めてなものですから、「その時」親の私はびっくりし、
娘はこわがってさえいました。親だったら、誰だって「そんな場所でかくれんぼなんかしたら、
誰かにさらわれちゃうよ」と思わずにはいられないような場所が、表紙から、裏表紙にまで、
びっしり描かれています。
とても怪しげなおばあさんや、怪獣のかたちをしている噴水、きこり、荷車、町なかで楽器を演奏する人、
牛のようにも見える角のある犬(犬のように見える牛かも)などなど。
今思えば、最後の場面で、この「牛犬」にこどもたちが乗っている様は、 『ウシバス』ですね。
単純な名前の付け方にもなんか意味があるのかな?と思っていましたが、全然意味なんかなくって、
かくれんぼの話だから、カンちゃん、クンちゃん、とどんどん決めていったのだろうなあと、今は
思っています。(「こどものとも50周年ブログ」のエッセイで『エンソくんきしゃにのる』の話を読みましたから)
何回か読んでいるうちに、しかけのしくみが娘にもわかってきたので、おそるおそる、窓を開けて
みるようにはなったけれど・・楽しんでいたのかどうかはちょっと思い出せません。きっと今だったら、
「あんな場所で、みんなでかくれんぼしてみたい」と、言うような気はしていますが。
今日2月28日がスズキコージさんのお誕生日、と絵本カレンダーが教えてくれたので、
懐かしい絵本を探してみました。
今日は『ぐりとぐらのいちねんかん』についての、思い出の話です。
← 写真では実際の大きさはわかりませんが、
縦26cm・横32cmくらいある、大きい絵本です。
お話は、題名のとおり、ぐりとぐらの1月から12月までの「暮らしぶり」を、
見開き1ページ(左側が絵、右側にリズミカルな文)で綴っていったもの。
ぐりとぐらの他に、うさぎのギックやりすたちも登場します。
丁寧に描き込まれた、季節ごとの、ぐりとぐらの部屋の中を見るだけでも
楽しい本です。(もちろん、外の景色も素敵です)
山猫編集長が12月7日付の記事で、「この絵本が、どうして大判でなければ
いけないのか?」について、非常に興味深い考察を書いてらっしゃいました。
私は、なるほどと思いながらも、大判であるのは、こういうわけにちがいない、と
納得していた理由=『エピソード』をコメント欄に残しました。
その『エピソード』はコメント欄だけではもったいないなぁ、と返事に書いてくれた、
編集長の言葉に気をよくして(?)、自分のブログでUPしようかなあと思いながら、
でも、なんとなくそれだけでは、動機的に「弱い」気がして、迷っていたのでした。
さて、絵本関係のブログではないのですが、とても心の残る記事に出会いました。
ライ麦クラッカーを焼く家族 というタイトルで、hinataさん が、
デンマークで、ある工場を訪れた際のことを書いた記事です。その内容と、
コメント欄でのやり取りを通して、私は肩の力がすっと抜けていくのを感じ、
自分の気持ちが安定していくのがわかりました。(このところの嫌な事件の
連続で、気持ちが尖ってきていたのだと思います)
私が、『エピソード』をここに書くことで、誰かの気持ちがほっとしたり、
誰かがにやっとしてくれたり、『ぐりとぐらのいちねんかん』、そういう
「使いみち」もあったんだあと、思ってくれたらいいなあ、と思い、
「すこし弱かった動機」が【書こう!】という気持ちに変わっていきました。
長い前置きになってしまいましたが、2つの(お二方の)コメントに
後押しされて、ここからの本文を書き出すことができるのだ、ということを、
まず記しておきたかったのでした。
その『エピソード』とは、娘が保育園の年長組だった時の、担任の先生の
お話なんですが。20代の若い先生で、年長組を受け持つのは初めてだったようです。
仮にますみ先生と呼ぶことにします。ますみ先生が他の先生と違っていたのは、
家から、先生自身の絵本を持って来て、お部屋に置いてくれたこと。
(もちろん、保育園にも年長組さんの教室のすぐ隣に、絵本の棚があり、
好きに読むことができましたが。)
ますみ先生の持ってきた絵本は、エリック・カールあり、飯野和好さんの
「あさたろう」シリーズあり、和田誠さんの「これはのみのぴこ」や
「ことばのこばこ」もありました。そんな中の1冊に、『ぐりとぐらの
いちねんかん』もあったのです。
先生はみんなにその絵本を読んだあとに、棚の上の「絵本の場所」には
戻さずに、子供たちがノートに、出席のシールを貼ったりするためのテーブルに、
その月のページを開いて、立てかけておいてくれました。1ヶ月間ずっと同じ
ページがそこに開かれているわけで、日にちのないカレンダーのような役目
でもあったわけです。そして、月が変われば、絵本のページも1枚繰られて、
また、クリップで留められます。同じ絵本を、その時すでに持っていましたが、
保育園の教室で、みんなが使うテーブルに飾られているその絵本は、
なんだか「別のもの」のように見えました。
「あ、こういう使い方、楽しみ方もあるんだ」
送り迎えで、教室に入るたびに、見慣れたぐりとぐらが、そこに居ることを
毎回確かめては、そう思っていたのです。だから、私は、『ぐりとぐらの
いちねんかん』があんなに大きい本なのは広い場所に飾って、1年中、
みんなで楽しむことが(も)、できるためなんだと思っていたのです。
ついでに、ですが。
ますみ先生は、折り紙もとても上手でした。小さい頃から大好きだった
のでしょうね。使い古された、折り紙の本の裏表紙に、明らかに子供の字で、
「〇〇〇〇ますみ」と名前が記されていました。子供たちのリクエストに応えて、
本を見ながら、どんなものも軽々折っていました。
月ごとのテーマにそって、(3月だったらひなまつりとか)折り紙で
作品を作り、その下には、翌年の3月のカレンダーをつけて・・・。
そうやって1年間かけて、1年生になった時から使えるカレンダー作りも
させてくれました。娘が入学した時から、翌年の3月まで、年長組の時に
自分で作ったカレンダーを壁にかけておくことができたわけです。
素敵な試みだと、思いました。
ますみ先生は、素敵な先生でした。
保育園の送り迎えの、ちょっとした時間で「先生のお仕事ぶり」を見るにつけ、
保育園の先生って、「まるでアーティスト」だなあと、感心させられっぱなしでした。
(歌にピアノ、折り紙、工作なんでも、簡単そうに、そしてとても楽しそうに
やってのけるのです)
これが『ぐりとぐらのいちねんかん』についての、『エピソード』であり、
ますみ先生の思い出まで全部ひっくるめて、『ぐりとぐらのいちねんかん』に
対する思い出となっています。
ゆうべ、久しぶりに、家でこの絵本を娘と一緒に読んでみました。
どのページを開いても、そこにはその月、その季節を存分に楽しんでいる、
ぐりとぐらとお友だちがいて、はつらつとした、伸びやかな空気を感じる
ことができます。
季節は動いているし、植物は育ち、子供たちは日に日に、成長を続けて
いるんだよと、あらためて教えられているようでした。
「1年が終わると、また次の1年がすぐに来るから、この本はどこまで
いっても終わらないよね。ぐりとぐらの終わらないいちねんかん、に
すればいいのに」と言った数分後に、娘はもう眠っていました。
穏やかな気持ちが、エアコンで暖められた室内に溶けていって、
私も気持ちよく眠ってしまいました。
今となってはなぜだったのか、そのときの気持ちが
思い出せないのですが。私が、娘のために買った最初の
クリスマスの絵本は、『ぐりとぐらのおきゃくさま』では
なく、この絵本だったのです。たしか、娘が3歳になる前の
クリスマスだったと思います。
『サンタのおもちゃ工場』
たむらしげる作
私の「絵本歴」は、娘の誕生後から始まっているので、
その時点で3年未満、知っている絵本もまだまだ少なかったし、
ゆっくり一人で、書店や図書館に居られる時間もあまり
なかった頃でした。なので、毎月購読していた福音館書店の
雑誌が、ほんとうに楽しみでした。
『こどものとも0.1.2』を購読しはじめてから、
ちょうど1年くらいたっていて、年齢的にはすこし早かった
けれど、『かたつむりタクシー』(1998年7月号)という作品
から、『年少版こどものとも』を買うようになりました。その
『かたつむりタクシー』の作者が、たむらしげるさんで、
その年少版を、親子ともども愛読していたので、そういう
「刷り込み」が『サンタのおもちゃ工場』に繋がったのかも
しれません。
お話は、ルネくんという男の子が、ロボットの運転する、
お迎えのロケットに乗って、サンタクロースの住む
「ほっきょく」へ行き、そこに「おもちゃ工場」を作る
お手伝いをするというものです。なぜ、ルネくんが
「選ばれて」手伝いに行くのかというと、とても雪だるま
づくりが上手だから。
ロボットと、しろくまと、ルネくんとで、たくさんの
雪だるまをつくり、それにサンタさんが呪文を唱えると、
その雪だるまたちは動き始めます。なぜそんなにたくさんの
雪だるまが必要かというと、彼らが「工場」を作り、そして、
その「工場」の中で、子供たちのためのプレゼントを作って
くれるからです。
雪だるまたちはみんな、黄色いマフラーに、黒い帽子を
かぶり、茶色のブーツ姿です。あるものは、設計図を書き、
あるグループはぬいぐるみを作り、DJとなって、雰囲気を
盛り上げるために「ジングルベル」のレコードをかける人
(雪だるま)もいます。
そっか、知らなかったけど、「ほっきょく」には期間限定
のそんな「工場」があったんだあ。サンタさんひとりだけでは
準備が大変だけど、お手伝いの人(雪だるまたち)がいれば、
だいじょうぶだよね。
素直に、そう思ってしまっていけない理由は、
どこにもありません。
題名にクリスマスとか、サンタクロースとか、贈り物とかついていないのに、
すでに多くの、とっても多くの人が、この絵本が、日本のクリスマス絵本の代表だと
思っているのではないでしょうか‥。
『ぐりとぐらのおきゃくさま』
いつかも、どこかで書いたかもしれませんが、私は子供の頃にあまり絵本を
読んだ記憶も、読んでもらった記憶もありません。けれど、母親になってから
本屋さんで、『ぐりとぐら』を見つけた時と、この『ぐりとぐらのおきゃくさま』を
見つけた時だけは、じんわりとしたなつかしさで、胸がいっぱいになったのでした。
(シリーズの他の本は題名さえ、聞いたこともありませんでした)
だからこの絵本は、娘と読んだ「思い出の絵本」になる前に、私にとっての
数少ない、自分自身の思い出の絵本なのです。
最初に「こどもとも」として発売されたのが、1966年! です。
若いママたちは、まったく生まれていない年ですよね。ぐりとぐらは、
「ケーキ」を焼く匂いとは言わず、ここでも、「カステラ」と言っているし、
サンタクロースのおじいさんも「メリークリスマス」ではなく、
「クリスマスおめでとう」と言っています。来年でもう40年!もたつというのに、
それでもこの絵本は、古さなんてどこにも感じさせず、1966年頃生まれた人も、
それ以前に生まれた人も、つい2、3年前に生まれた人も魅了させてしまう力を持っています。
どこなのでしょうね、その魅力。
お話が始まって、たったの2行目で、お話の中にすんなりと溶け込む
ことができるからかもしれません。誰もがぐりかぐらのどちらかになって、
「おかしな あな」を見つけ、その跡を辿っていくことができるのです。
そして、辿っていった先は、なんと見慣れた我が家。でも、そこかしこに、
明らかに自分たちのものではない数々の「大きなもの」。
私は、ぐりとぐらがマント、えりまき、ぼうしと次々に脱いでいくたびに、
「すでにそこにあるもの」を発見するところと、からのベッド、誰もいない
おふろばの場面が大好きです。そしてなぜかそこを読むたびに、
『3びきのくま』の絵本を思い出してしまいます。(からっぽの家の、
ベッドのイメージが重なるからかも)
『ぐりとぐら』で、すっかり二人(二匹?)のことが好きになった人たちが、
ぐりとぐらの家や部屋の中を見る事ができて、さらに二人のことを好きに
なったことでしょう。暖炉はあるし、ピアノはあるし、大きなみどりのソファだって、
揺り椅子だってあるのです。(緑色のバスタブのあるおふろば、当時としては
かなりおしゃれですよねえ)
今日から12月。寒いと感じる日が増えてきて、いよいよ冬なんだなあと
思います。
12月といえば、クリスマス。クリスマス絵本の紹介も増えてきて、
私もなにか載せたいなあと思いつつも、11月の終わりから気になっている
絵本のことを、まず書こうと思います。
すこし前にRAMAママさんの「えほんのおと」で紹介されているのをみて、
とても懐かしくなりました。娘と、何度も何度も何度も読んだ本だったから。
そういえば、しばらくうちでは読んでなかったなあと思っていたら、
何日か前に「寝るときにこれ読んで」と、娘が棚からさがして持ってきました。
ひみつのひきだし あけた?
あまんきみこ作 やまわきゆりこ絵
お話の主人公は、チイばあちゃんと、とらねこのとらた。 2人暮らしのおうちです。
ある木曜日、さくら色の毛糸が押入れの隅から出てきたので、チイばあちゃんは、
ベレー帽を編むことを思いつきます。とってもいいアイデアと思いながら、次にかぎ針を
探し始めますが、なかなか見つかりません。お昼寝中のとらたも、物音で起きてしまいます。
ここまでのチイばあちゃんの行動、私はとても笑えません。毎回、私も色々「いいこと」を
思いついては、でも、あれがない、これが見当たらないと似たようなことしていますから。
とらたがはなをぴくぴくさせて、古机の一番下の引き出しが怪しいと、かぎつけます。
ちゃんと見たけど、あそこにはなかったというチイばあちゃん。(こういうやり取りも身に覚えが)
「おくの おくまで みたの?」ととらたに念をおされ、
「おくの おくが あるのかあ。 もう いちど みてみよう」
とチイばあちゃんがひきだしをあけると・・・
ひきだしは、ひっぱるだけ あいていく。
するするする。するするする。
そう、とても不思議な引き出しなんです。引き出しはどこまでもどこまでも、のびていきます。
壁に行き当たっても、まだその先があるみたい。チイばあちゃんは、大工道具を取り出して
「引き出しの通り道」を作ります。(とっても行動力があるおばあちゃんなんです)
小さな庭に出ても、まだ引き出しはのび続け、その隣の広場でやっととまります。
長く、長くのびた引き出しの中味ーそれはもうありとあらゆるものが、たくさん!
こんなに引き出してしまって、いったいどうやって机におさまるのだろう?
その疑問は、広場で遊んでいた子供たちが、引き出しの中味に興味を持って集まって
きたことで、すべてがまるくおさまり、解決されます。「引き出しの通り道」も、無駄ではなく、
とてもよい利用方法が見つかるのです。
机の引き出しだけでなく、たんすの中や食器棚、押入れや下駄箱などなど、いつでも
取り出しやすく、きちんど片付いているのは気持ちのいいものだし、使い易い。
実際の生活では常にそうでありたいと、思います。
でも、それとは、ちがうところ・・・心の中のどこか一部分に、捨てられないたくさんの
思い出(あるいは、たくさんのひみつ)をごちゃごちゃでいいから、持っていたいなあと、
思います。
ある日、ある時の思い出の品物、言葉のかけら、染み付いてはなれないメロディ、
覚えているぬくもり。そんなものや、ものとも呼べないもろもろがあまりにもきれいに
整理されているのも、それはそれでなんだかさびしい。
探しても、探しても見つからなくって、でも、この中にはきっと入っているって確信できる、
そんな引き出しを、持っていたいのです。
さて、小3の私の娘。
最近、念願の「自分の机」を手に入れました。たいていの場合、小学校入学と同時に、
学習机を購入すると思いますが、ちょっとした理由で(家庭の事情?)購入を見合わせて
いました。「自分の机」が来てからの娘の様子、なんだか変わってきたのです。宿題や、
その他なにやらやっている時の後姿が、気のせいかしっかりして見えるんです。
自分の持ち物を、自分だけが知っている場所に収めていく。自分の持ち物を自分自身で
管理していく。そういうことは、やはりとても大切なことなんだと、わかりました。
彼女も、しだいに、自分だけの思い出、自分だけのひみつを、心の引き出しの中に
持ちはじめていくのでしょうね。(母と読んだ、数々の絵本の思い出も入っていると
いいなあ)
先週の日曜日はチーズケーキ(ラズベリーソース入り)。
昨日の日曜日は、ココナッツバナナケーキを作りました。お見せできるほど、
上手だったらよかったのですが。
鍋で煮て、チーズケーキに混ぜたラズベリーは、家のプランターでとれたものを
地道に冷凍して(一度にたくさんはとれないので)おいたものです。
私の勝手な計画では、来年はもっとたくさんとれて、薄ピンク色のきれいな
チーズケーキができる予定・・・です。
お鍋でジャムを作るといえば、
『クマくんのバタつきパンのジャムつきパン』 柳生まち子作
もう1冊の『クマくんのはちみつぶんぶんケーキ』とセットで箱に入って、
クマくんのおいしいほん として売っています。(もちろんバラでも買えます)
クマくんが「バタつきパンのジャムつきパン」をつくろうと思って、
パン屋さんへの道を歩いていると、ウサギくんに出会います。
「おいしいものってなあに?」の問いに、クマくんは「バタつきパンの~」と
教えるのですが、ウサギくんは「ばたばたパンのむにゃむにゃパン?」と
聞き返すのです。次に会う、ネコちゃんもおんなじです。
大人の耳には、十分に聞き取れる範囲の言葉だと思うのですが、小さい子には、
すこし早口で読むと、ほんとにそう聞こえるのか、小さかった頃のうちの娘は、
「ばたばたパンの~」のところで、かなり笑っていました。
さて、パンを買ってきたクマくんは、ウサギくん、ネコちゃんといっしょに庭で、
いちごを摘み始めます。えー、これからジャムつくるの? 昨日のうちから
作っておけばよかったのに。と思うのは、大人になってしまった私の考え方なのでしょうね。
クマくんたちは、いちごジャムができた!と思ったら、今度は、
ジャムが さめて とろーりとなるまで、またなくっちゃね。
みんなで にわを ぐるぐる あるきましょう。 なんですよ。
そこにリスくんも加わって、4人(4匹?)はぐるぐる、ぐるぐる、ただまるくなって歩きます。
そうしてやっと、厚く切ったパンの上に、バターをつけて、とろーりとした
いちごジャムをつけて、4人そろって「いただきまーす」
もう1冊の本の中の、はちみつぶんぶんケーキを作るとき、これはクマくん
ひとりきりで作っているのですが、ケーキが焼けるまでの間、オーブンの前で
でんぐりがえりをやっているのですよ!!
なんでも手際よく、時間を無駄にしない、効率を考えて。
家事だけでなく、これらは、何をするときでも大切なことですが。時にはクマくん
を見習って? 「待つこと」を楽しむことも大切かなあと思ったりしています。
(でもやっぱりオーブンの前で、でんぐりかえし待ちはできないなあ)
この2冊の絵本は、いちごジャムとはちみつぶんぶんケーキのレシピが、
本文中に載っています。ケーキを作る時は、底がとりはずせないタイプの型を
使うことをお薦めします。底が取れるタイプだと、鉄板の上にはちみつが染み出してきて、
えらい目にあいますので。
飯野和好さんの作品といえば、「ねぎぼうずのあさたろう」が有名ですよね。
他にも「くろずみ小太郎旅日記」とか「おもしろ落語絵本ごくらくらくご」とか
【和】のイメージが強いのでは? と思いますが。私と飯野さんの作品の出会いは、
それとは正反対の【洋もの】『シチリアのむかしばなし ドン・ローロのつぼ』という本です。
こどものとも年少版通巻263号、1999年2月1日発行
1999年の2月といえば、うちの娘が2歳半頃のこと。まだ早いかなと
思いながらも、年少版のほうを買い始めた頃でした。折り込み付録の
絵本のたのしみの「作者のことば」によると、この話は、『カオス・シチリア物語』
というイタリア映画(パオラ&ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟監督作品。
4編のオムニバスからなる不思議な妖しい物語)の第3話『甕』を
絵本にしたとのことです。映画の中では、「かめ」ですが、それを「つぼ」
としたのは、飯野さんで、それは甕より壺のほうが口の所がすぼまっているから
だそうです。(そこが話の重要な所なのですが)
年少版こどものともは、全部で24ページです。ほとんど文字がない、本もあります。
それはそれで、とても楽しいし、「読んで聞かせる」というよりも、
「絵本で一緒に遊ぶ」ことができてよいのですが、たった24ページの中で、
きちんと物語が展開され、しかもちゃんと「おち」までついているこの本は、
とてもすぐれものだと、私は思うのです。
私自身が物語好きのせいかもしれませんが、たったこれだけのページ数で
よくこの話をまとめたものだと、読むたびに飯野さんに拍手を送ってました、心の中で‥。
肝心の中身は、どんなお話かというと。
ドン・ローロはお金持ち(農園主)で、お屋敷に住んでいます。イタリア人なので?
白いスーツに白い帽子もかぶっています。
お話は、今年とれたオリーブ油を入れるための、新しい特別注文の壷が、
馬車で運ばれてくるところから始まります。(下の写真の場面)
ドン・ローロは壷を叩き、その美しく響く音色にうっとり。けれど、その晩、
あやしい くろくもが おりてきて 壷がまっぷたつに割れてしまいます。
落ち込むドン・ローロ。
次の日、隣村から壷を治すことができるというディーマじいさんがやってきます。
ほんとに治せるかどうか半信半疑ながらも、そのじいさんに頼むより他に方法は
ありません。じいさんは、じまんの のりで ペタペタとわれたところを
ぬって、はりがねで ギュイ ギュイ ぬいつけると、みごとに つぼは
もとどおり。嬉しさのあまりドン・ローロは、よく状況も見極めず、じいさんに
御礼のお金を渡してしまいます。
でも、でも、信じられないことにその時、ディーマじいさんは壷の中に入っているんです!!
(自分が内側にいるまま、縫ってしまったんですね)
怒り狂うドン・ローロ。出られないのも気にせず、そのお金でみんなと宴会を
はじめるディーマじいさん。
ここまでで、もう19ページまで来ています。残り5ページ。お話は急展開し、最後は・・・。
3歳にもなっていなかった娘がどこまでこの話をわかっていたかは、わかりませんが。
私は、最後の文章を読んだあと、いつも勝手に「でへへ」と付け足していました。
それがじいさんの「せりふ」として、そこに書いてあるかのように。
笑いながら「でへへ」という私につられて、娘も「おじいちゃん、でへへっ
だって」と言ってました。
最後のページを載せて、その絵を見せたい衝動にかられましたが、これから
手にする方のために、やっぱりやめておきました。ただ、この本は未だ単行本化
されていないので、「おち」を知りたいかたにはこっそり教えます。
絵本好きの方なら、みなさんすでにご存知の 福音館書店
こどものとも50周年記念ブログ。『こどものとも』を創刊時より、
1年間分づつに分けて、毎週見ることができるという非常に画期的で、
絵本好きにはたまらない、鳥肌のたつ企画です。私も、毎週金曜日に
UPされるのをとても楽しみしています。
紹介されている最新の号は、「1962年4月号から1963年3月号」。
ここまでで何冊くらいあるのかなあと思い、ちょっと数えてみたら、
もう84冊もありました。
ジオジオのかんむり・かばくん・だいくとおにろく・スーホのしろいうま‥
もうこの頃(1960年代の初め頃)には、出版されていたのだなと思い、今も変わらず
読み継がれていることを思うと、なんだかそれだけで胸の中がいっぱいになってきます。
そして、いよいよ今週の金曜日には、1963年4月号から1964年3月号の中に
『ぐりとぐら』が登場します。
その頃に「こどものとも」を購読していて、その時買ってもらった「ぐりとぐら」を
今でも大切に持っている方が、きっとどこかにはいるのでしょうね‥。
(松岡享子さんは創刊時からの「こどものとも」を倉庫に預けてある、と
書いてありましたが)
私は残念ながら、自分の子供時代には、「こどものとも」をまったく知らずに
過ごしました。娘が生まれ、「こどものとも0,1,2」を知り、そしてその後に
「こどものとも」の存在を知り、手にしてきた絵本の多くが「こどものとも」出身?
であることを知ったのです。小さい頃にこんな絵本が毎月届いたらどんなに楽しかった
ことだろう、というちょっと悲しい気持ちと、「今」知ることができて、それだけでも
よかった、という気持ち。その2つが交じり合った気持ちが胸の中には、いつでも
残っているようです。だからこそ、こんなにも「50周年記念ブログ」が
楽しみなんだと思います。
★写真にある、フェルトの「ぐり」と「ぐら」は『ぼくらのなまえはぐりとぐら』を
見て、4年くらい前に作りました。一応後ろにピンがついていて、服などにつけられる
ようにはなっていますが、汚れると困るのでいつもはしまってあります。
その名もずばり
どこでおひるねしようかな
岸田衿子作 山脇百合子絵
福音館書店 幼児絵本シリーズ
この本と、これより前にでた きょうのおべんとうなんだろな
2冊セットで、幼かった娘と私の、「1番」といってもいいほどのお気に入りでした。
私はきっと、山脇さんの絵がとても好きなんだと思います。「ぐりとぐら」のように
ストーリーがある本を読んであげる前に(というか、まだ読むのは時期的に早いかな、
という赤ちゃん期)山脇さんが絵を描いているものなら、どれもこれも手元に置きました。
山脇さんの描く動物たちが「動物」らしくて(擬人化され過ぎていない顔など)、
それでいて、ギンガムの服なんか着ていてかわいいのは、言うまでもないことですが、
私は、植物の絵。草や木や、はっぱや花が、余白を多くとった空間に描かれている
ところがとてもいいと思うのです。
おひるねの本の中で、動物たちはそれぞれ好きな場所を見つけて、気持ちよさそうに
寝入っていきます。ほんとうにその絵の中には、涼やかな風が吹いていて、周りの木の葉や、
草をそおっと揺らしているのです。最後のページにある
きょうも いいとこ みつけたね
ひるねに いいとこ みつけたね
とてもやさしいいいことばだと思います。
おべんとうの中で、一番好きなフレーズはここ。
くまさんがお弁当をひろげて‥
「おや はちみつパンに ぶどうパン
なんと いちばん すきなもの」
理由はすごく単純で、私も娘もぶどうパン及びほしぶどうが好きだから。今でも、
ぶどう入りのパンを食べる時や、はちみつをヨーグルトに入れたりする時、
このフレーズを口にしては、笑っています。(絵本を、一緒に楽しんだ時間には、
こんな「おまけ」もついてきて‥たのしいです)
★このブログをはじめてから、今日で1ヶ月たちました。拙いこのページを見てくださった
皆様、ありがとうございます★
先日、percyさんとコメントのやり取りをしていたら、しばらく見て(読んで)
いなかった、小さな子のための本が、急になつかしくなってきました。
percyさんのところには、小さなお子様が2人いらっしゃって、まだ本を通して
遊ぶことができる年齢なのが、うらやましくなったのと、ずっと前に、うちでも
あんなことしていたなあ、というのを思い出したからです。
そこで、いつのまにか忘れていた!ということにならないために、
「思い出の絵本」として残しておくことにしました。もしかしたら、
小さなお子様のいる方のお役に立てれば、という気持ちも含まれています。
最初の1冊は、ピッキーとポッキー
嵐山光三郎文 安西水丸絵
見つけたときの感想は、「安西水丸さんが、絵本の絵を描いていたんだあ!」でした。
うさぎのピッキーとポッキーが、隣に住んでいるもぐらのふうちゃんを誘って、
さくらやまへお花見へ行くという話です。
お話そのもののは、なんということもない話だと思います。でも、マーカーで
描いたのかな、と思われる絵がとてもやさしくかわいいのです。3人が住んでいる
「はなのむら」の地図や、3人が作ったおべんとうなど、その絵を見ながら、いくらでも
娘との会話は続いていきました。
そして、なんといっても思い出に残っているのは、最後のページ。
ともだちもみんな集まってきて「おべんとうですよ」となった時、ふうちゃんが
おにぎりを落としてしまうのです。
「早く押さえてあげて! ふうちゃんのおにぎりが
下まで落ちちゃう!」
私がそう大きな声で言うと、娘は必ず両手で、描かれたおにぎりをしっかり、
押さえてくれました。
「よかったね、まにあって」と言ってから、
本のページを閉じました。