my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

プール開き

2011-06-06 14:58:00 | 想うこと

毎日のように通る、小学校の横の道。
2年半前まで娘が通い、そしておおむかし、私自身も通った小学校です。

校庭の端っこにあるプールから、今日、メガホンを使う先生の声と、子どもたちの
歓声が聞こえてきました。

そう、もう、プール開きなんです。


そういえば、1週間か10日くらい前? プール掃除をしているらしい
賑やかな声が聞こえてきて‥その時も、自転車漕ぐ足をゆるめて、垣根の隙間から
ちょっとだけ中をのぞいてみましたっけ。

まだrが保育園に通っていた頃、5月の終りにプール掃除しているらしい小学生の声に
驚き(そんなに早くの時期に?!と思ったんです)、彼女が入学してからは、
通学班の班長さんが、プールバッグを持って登校するのを見て、え、6年生はこんな
時期からプールなの?! とまたしても驚き、そうやっているうちに、いつの間にか
rも、プール掃除やら、1年生の面倒を見るやらと思っていたら、もう今年の夏は
中3の夏=義務教育最後の夏 になっているではないですか。

いろんな行事や季節の節目に子どもの成長を感じてきましたが、プール掃除も
そんな節目のひとつに、私自身は思っていたらしいです。

来年の春、rが中学校を卒業して、電車通学するようになって地元の学校とも繋がりが
なくなっても、私は相変わらず、小学校の横の道をとおり、プールから洩れる声を聞き、
桜の花を待ち、葉が色づくのを眺め、もしかして拾いにいって、また落ち葉染めをし、を
繰り返していくのだろうなあと思うと、ちょっと胸がきゅっとなります‥。


***



好きで、毎日のように読んでいる、ほぼ日の〈今日のダーリン〉。

13周年を迎えた今日のところに(も)、とてもいいこと書いてありました。


おなじことを、
いやだいやだと思いながらしている人と、
うれしいなぁと思ってしている人とでは、
まったくちがう場所に行きつきます。

‥こういう出だしで始まり、その後に続く文がとってもよかったです。



糸井さんは、3月11日からあと、自分たちのことを「たいしたことないもの」と
位置づけています。
「たいしたことないもの」としての自分たちに何ができるかーというふうに。


知識とか経験とかを身に付けていくと、それに費やした時間やお金の分だけ
えらく、賢くなっているように思ってしまいがちですが、でも、必ずしも
それは比例していくものではないので、いつまでも「たいしたことないもの」と
自分を思っているのは、どんな場面においても大切なことだと感じています。

家庭内(家族内)での役割でも、母だからえらいわけじゃないし、
母だからって気負わなくてもいいわけだし。
とうの昔に、10代を過ごしてきたものとして、自分の心の持ちようで
まったくちがう場所に行きつく
 というようなことを、説教っぽくならず、
命令形でもなく、普段着の自分の態度から教えられればいいなあと思ったり。

でもそれは、「ともだちのような親子関係」とも別だと感じていて‥
先週の夕刊に載っていた下記の文章をその日の手帳に書き写しました。

人間は、子どものころの育ちが自分の価値観の原点になり、
青年時代に悩んだことややってみたことがライフワークになる。
幼児期から自負心やその子らしさを教え、あとは右往左往して人生を
選び直す姿を見守ってやる余裕を、親ももたなければいけない。


(教育人間学者 汐見稔幸さんの文章です。)


余裕を、親も持たなければって、結構難しいなあと思います。
一緒に右往左往してあげることならできるんですが(笑)、でも、ちょっと離れた
視点から、右往左往を見ていてあげることができるかどうかが、イコール余裕
なのかなーと思っています。



プール開きの歓声から、いろんなことを想った日です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きしだえりこさん

2011-04-13 11:47:02 | 想うこと

詩人の、岸田衿子さんが、今月7日にお亡くなりになったということ、
たった今知りました。

ジオジオのかんむり とか、せっけんつけてぷくぷくぷわー とか、
きょうのおべんとなんだろうな、 とか、何度読んだことでしょうー。

  

  






うちのこでまりの花が今年はちっとも咲かないこと。

岸田衿子さんがもういないこと。

10代同士の、国内での初めての心臓移植。提供された心臓が入った
ケースの上に「成功を祈っています」と書き添えられた折鶴が乗っていたと
ニュースで読みました。
提供者のご家族が折ったものだそうです。

こころがガマ口だったら、もう、私の留め金、ばくばくしてきています。


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

口元

2011-04-12 17:10:36 | 想うこと

先週末から、ひとりでせっせと、DVD-Rを焼いて、レーベルをプリントしています。

3月21日に行われた、吹奏楽部の【3年生を送る会】の時に撮った写真を、
まとめたものです。
例年ですと、この時期に定期演奏会があるのですが、今年は開催できなかったため
中学校の体育館で、部員の家族だけを集めての演奏会となりました。

準備風景から撮ってもらい、リハーサルの様子、本番の演奏と、
あらためて、写真を見ていくと‥生徒たちの口元に、気持ちが引きつけられました。

吹奏楽っていうくらいですから、どの楽器も(パーカッション以外)、それぞれみな
息を送りこんで、音を出すわけです。
だから、どの子の、口元も力強い緊張感で満ちています。

チューバやトランペットなどの金管楽器はもちろんのこと、オーボエや
クラリネットや、フルートなどの、繊細な音を出す木管楽器担当の子も、
きれいな音を出すために、精一杯の息を送りこもうとしています。

ほぼ2年間、娘と、その仲間たちの演奏する姿を見てきたのに、私は
今までまったく、それに気がつきませんでした。

そして、気がついた今回、その口元が愛おしく思えてなりません。



特別な考察や、意見がこのあと続くわけでもなくって(笑)、ただ、その口元と
頬のえくぼに感動したことを、なんとなく、書き残しておきたかったのです。

特別演奏に優れているわけでも、特別有名は中学校でもなく、普通の市立中学の
普通の吹奏楽部なんですけど、普通に練習を続けて行かれることの有難さが
身に沁みてくる春なのでー。



***


昨日の夕刊に、日野原先生の、とても印象的な言葉がありました。

「これほどの悲しみは言葉では癒せない。当人が独りで耐えるしか
ありません。でも周囲はその人がもたれる柱になれる。
同情ではなく共感を持って、一緒に悲しむことです。言葉ではなく
手のひらで触れ、そばにいることを伝える。手のタッチは心へのタッチになる」



泣きじゃくる子どもに何か言ってきかせるよりも、まずは、背中をとんとんした時と
同じですね。
眠れないない夜には、寄り添って、悲しいときには、悲しいねと言い合って。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そういうことだったんだ

2011-03-30 11:49:36 | 想うこと

大好きな、スピッツの、草野マサムネさんが倒れてしまったと知ったのは
一昨日のこと。

あの報道を、ずっとひとりで見続けていたら、心も体もパンク
してしまうと、気づきながらも、止められず、「引き受けて」
しまったのだろう、とファンのひとりとして思っています。


****


3月25日の糸井氏の言葉にあったのだと思いますが‥
自分の、「好き」を忘れないでいよう、という言葉、とても響き、
とても助けられました。

絵本が好き、から生まれたブログでの繋がりを大事にし、
みんながどう思っているかどうしているかを、日に何度も読みにいって、
そして、好きで始めたTシャツ屋の、チャリティを思いついて、
忙しく忙しく、過ごしていたら、1週間があっという間に過ぎていき‥
その間に、大好きな場所、小舟町と浜町の二つのヒナタノオトへも
行くことができ‥。


そうして今日、「大人の小論文教室」を読んでいたら、
よしもとばななさんが3月12日に書いたという日記が、本文の中で
引用掲載されていました。(以下、そこからの一部抜粋です)


  きれいなもの、好きな番組、面白いもの、音楽

  好きな人たちの声、そんなものに触れないと、
  おかしくなってしまう。
  逃避じゃなくて、不謹慎でもない。
  植物に水をやるように、心や神経も栄養がほしいんだ。
  自分の、たったひとつの大切な心や神経を弱らせる方が、
  不謹慎だと今は感じる。



やっぱり、そういうことだったんです。




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵本の栞

2011-02-10 19:41:03 | 想うこと
光の本

本日、絵本の栞 更新されました。7回目=7冊目の絵本の紹介です。

昨年の4月から始まりましたので、ちょうどここでぐるっと一回りしたのだなあと
思っています。

だいたい2カ月に1度くらいの割合で‥と始まる前にきいていたので、
1年に6冊になるかな、大丈夫かな? と、思っていました。
もちろんその時は、年間計画なんかなくって‥今もありませんが‥
ただ、いいなあと思うタイトルだけを書きだしておきました。

不思議だなと思うのは、この本にしようかなと、「ふと」思う瞬間が、やってきて
まあそれは好きな絵本であったり、気になって書きだしておいた題名のものだったり
するのですが‥でも、その後に、多少の行き詰まりのようなものに
遭ってしまうこともあるわけで‥。
けれど、そういう時に、また「ふと」した文章が目に留まるのです。

不思議なんです、ほんとうに。

そういう時はいつもそのことばかり思っているから、気持ちの針が吸い寄せられて
いくのかなあと思っていますが、何度も、いろんな方の、「ふと」した文に
助けられました。

最近のは、こんな一文でした。

  この時期だけは唯一自分に花を買います。
  忘れてはいけないことのために。

ぴぴっときました、この文章に。ありがとうございました。


絵本の栞は、「大人のための絵本の開き方」と説明されています。
日頃、絵本に親しむ機会がない方にも、絵本の魅力を知ってもらえたらなあと
(一応)思っていますが、でも、普及活動みたいにはまるで思っていません(笑)。

この本の、ここのところがすごくいいんだよね。
ここを読むとね、いつもこんなふうに思うんだ。と、
私が絵本に栞をはさんだ箇所を、知ってもらいたくて、話したくて‥。

そしてそんな気持ちでいつもいるうちに、バケツを逆さにして中味をすっかりテーブルに
あけるみたいに、心の中も、ひっくり返されて、「中味」を見直すことになっているから
不思議なんです。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

めぐりあわせ

2010-12-24 22:49:21 | 想うこと
昨日、23日は夫の誕生日。
むかし昔は、この日とクリスマスイヴ・クリスマスの3日間をどんなふうに
仕事の都合をつけて、どんなふうに過ごそうかと、それはそれはわくわくしたものでした。

プレゼントだって、私なりにすごく考えて、工夫したつもりだったけど、
とっても喜んでくれたものって何だったのか、今はあまりよく思い出せません・笑。
(恋人時代に、一度だけ編んだセーターは、いつのまにか私のものになってました)

今年は‥朝起きてきたrが「おとうさんお誕生日おめでとう」ってばかでっかい声で
言いながら、パチパチと手を叩いたので、それに便乗して、負けずに
でっかい声で唱和しました。

でもね。
久しぶりに、ちゃんとプレゼントも用意してあったんです。

おもちゃのいいわけ

「サプライズ」ではなく、どっちかというと、「リクエスト」だったけど、それでも
すごく喜んでいました。(今までで一番??)



この本。
何年も前に、地元の図書館で見つけて借りて読んだとき、舟越桂さんのお名前は
知っていましたが、彫刻家の方が家族のために作った作品集、としてしか
みていなくて‥(まあそれでよいのですが)

でも、その後、絵本ブログを始めて、ことり文庫さんができて、代官山のセミナーへ
行って‥ということがあり、彫刻家の方の作品集という言葉では収まりきれない
側面も知って‥そして、今年の誕生日に、ことり文庫さん経由で、夫に、
この本を贈ることができためぐりあわせに、しみじみとしています。



一日、また一日と、ただ過ごしているだけのように思える日もあるけれど、
そういう一日が、積み重なったり、廻り廻ったりしながら、今日があるのだということが
とても不思議で、とても有難いです。


明日で、梅丘のことり文庫が終わってしまうことが、まだ信じられないけど、
2010年の12月には、こんなふうに思っていたんだなあと、懐かしく思い出しながら
「新しい場所」のことり文庫へ、また行く日がやってくるにちがいありません。
今日が、すでにその日へ、繋がっています。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オトナのナツヤスミ

2010-08-02 15:15:46 | 想うこと
オトナのナツヤスミ

この魅惑的な言葉の響きと、掲載画像に誘われて、昨日ひとりで日本橋浜町へ
出かけてきました。



大人 夏休み。

普通に記すと、ただの普通な言葉でしかないのに、この二つが「の」で結ばれ
さらに、オトナ ナツヤスミ と変わると、それだけでぐっと涼やかな感じと、
惹きつける力が働くのはなんででしょう? 不思議です。

子どものときは、夏になると、「夏休みがやってくる」だったのに、学校を卒業し
働きはじめると、「夏休みをいつ取る?」というふうに、自分から進んでいかないと
自然にはやってきてくれないものに変りました、よね?

さらに、自分の家に子どもが居て、それを中心に生活が回るようになってくると、
子どもには自然にやってきてくれる夏休みも、大人であり、親の私には、進んで
勝手に「取る」わけにもいかない貴重なものに、さらに変化してきました。

だから、オトナのナツヤスミ という言葉に魅了されるのでしょうね~
その、いつでもウェルカム的な雰囲気に・笑。



前置きというか、能書きが長くなりましたが、ヒナトノオトさんの企画は今回も
とてもいいですよー。

いただいた案内ハガキにあったとおり、織り布、バッグ、装身具。
陶やガラスや木の器。北欧の生活具。ほんとうに充実しています。

どれもどの作品にも、作り手の方が居て、その人が自分の頭と心と手をフル回転させて
気持ちをこめて作ったもので‥その想いを集めたら、いったいどれくらいに
なるのかなあと思うとちょっとコワイ気もするけど、棚や机の上や、壁に飾られている
品々は、どれも、しんとしてお行儀がよく、澄まし顔をしています。
そう見えるくらい‥なんていったらいいのかな‥もうその段階では作り手さんの
手を離れて、ひとつのものとして存在していて、使ってくれる誰かを待っているのです、きっと。
見ている他の方々も(もちろん私も)とても楽しそうなのは、どうやってそれらを
使おうか、あるいは喜んでくれそうな誰かに贈ろうかと、考えているから
なんでしょうね。

作り手の方は、出来上がった直後の喜びよりも、選んでもらった喜び、さらには
使い続けてもらった喜びの方が、ずっと大きいのだろうなあと想像します。
5年後の布、10年後の器、12年後のリングやネックレスなどなど‥。
時間が経つということは、生活の一部になって、共に生きて行くということでもあるし‥
使い切ったらおしまいとか、いらなくなったら捨てればいいの、対極にあるものだから
選ぶひとときは、さらに楽しいのでしょう‥。
なんか、わかったような気がしてきました。選んだものと一緒に過ごしていく時間までもを
一緒に選んでいるのだろうなあということが。

これもある意味「旅行」です。


※画像はヒナタノオトさんのサイトよりお借りしました。
いい写真ですよね、ぐっときます。会期は8月29日まで。







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さざなみと水底

2010-06-27 15:13:39 | 想うこと
6月27日。

このブログの誕生日です。満5歳になりました。

続けることの楽しさは、このブログを読んでくださる方がいればこそ、です。
ほんとうにありがとうございます。



5月19日のログで、5年間を振り返ってしまったので、簡単に
この1年を振り返ってみますと‥
絵本の紹介が、びっくりするくらい少なかったです。それに比べて多かったのは
「おでかけ」でしょうか‥。児童書と呼ばれる本もわりと読んで、その感想を
「好きな本」に記しました。

心に浮かんだことを忘れないうちに書いておくのもいいかなと思い、
「ふと思ったこと」を、最近カテゴリーに追加しました。



心が、湖だとしたら、ふと思ったことや日々のことは、その湖面が揺れる
「さざなみ」です。(ブログがそもそも「さざなみ」なのかもしれません)

それに対して、「水底」は、自分で降りていって、よーく目を凝らして見ないと
何が潜んでいるかわかりません。普段は静まり返っている深い水底の、
しんとした暗闇で、私が見ようとしているもの、探そうとしているものは 何なのか、
自分でもとても興味深いものがあります。

今年になって、日々のログとしてではなく、本の紹介としてでもなく、
心に留った場所にはさんだ「栞」から、思ったこと、考えたことを、
文章で表す機会をいただいたことは、とても貴重な水底探検だと思っています。



さざなみと水底。

まず「湖」そのものが、豊かな水でいつも満たされていることが、いちばんです。

明日からの6年目も、どうぞよろしくお願いします。





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月のある日

2010-05-19 15:38:19 | 想うこと
早いもので、あと1カ月半で、このブログを始めてからまる5年になります。

なってから、あら5年も経ったのだと思い返せばいいのですが、今朝、ふと
まる5年になるのだということを、意識しました。
5年前の5月、当時小学3年生だった娘と共に、らふとを初めて訪れたことを
昨晩思い出したからだと思います。

あの時rはわずか8歳でした。祖母に買ってもらったキャラクター付の服を
喜んで着ていて、好きな色は何色なの?と問われ、「みずいろ」と答えていました。
そんな彼女も13歳で、今年の夏には14歳‥もしも魔女だったら、とっくに修行に
出ている年齢です。

目に見えて成長していく子と暮らしていると、同じ5年の時間の中で、
私自身はどうなのかなと思います。
老いへむかっていくことを「変化」というなら、日々、嫌でもそう変っていっている
事実から目を反らすことはできません・笑。

外ではなく、では内面は?

5年づつで、区切っていったとしたら、この5年間は、それより前とは
違っていることは明らかです。

もう何度も同じこと書いたかもしれませんが、ブログを始めて、ブログを通して
知り合った方が、バーチャルの世界ではなく、リアルな自分の毎日と重なり始めた時の
その喜びは、同じ喜びを味わった人にしか、きっと理解できないだろうなあと思っています。
そして、友だちとなり、同じ時間を過ごすことの心地よさ!

本を読むことと、絵を観に行ったりすることは昔から好きでしたが、誰かの手から
生み出されたものを、こんなに愛おしい気持ちで見ることができる私は、この
5年の中で培われたといっても、たぶん言い過ぎではないと思います。
それに加えて、ワークショップなどに参加してみよう、などと、以前の私は
思ったでしょうか‥?
作り手の方とお話させていただくことの喜びも、この同じ時間の中で知った貴重なことです。

布を織る人、器を作る人、木を削る人、ガラスを吹く人、パンを焼く人‥

そういう方々の書いたものを、ブログという形を通して読むことも、とてもよい刺激というか
なんかとても、がんばろうという気持ちになるのです。



いろんなものの影響を受けて、変ってきただけなのかもしれませんが、
でも、「成長」と呼んでもいいですよね。






  *    *    *    *    *





絵本の栞
2回目の原稿が掲載されています。

読んでもらえたら嬉しいです。











コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年前の今日

2010-04-07 17:18:31 | 想うこと
よく、1年前の今日は何をしていたのかなと思います。

ほぼ日手帳を使い始めてからは、バックナンバー(?)を取り出してきて
そのページを開けばいいので、便利です。

ブログの存在はさらに便利で‥今も、去年の今日が気になったので見てみたら、
『パワー』を読んだことを書いていました
そして、翌日の8日は、中学校の入学式の記事でした。


明日は始業式で、2年生の始まりの日です。

新しい担任の先生は誰なんだろう? お願いだから「新しい」担任であってほしい、
というのが、rと私の願いです・笑。
(1年生の時と、別の先生であって欲しいということですね)


学校の行事と吹奏楽部の予定に追われる日々が、また明日から戻ってきます。
1年生が何人入部するか、とか、夏のコンクールへ向けての練習とか‥
毎日毎日話を聞いて、朝練へと送りだしていると、私の気持ちまでもが
吹奏楽部の人みたいになってしまいますが‥中2ライフをがんばるのはr自身なので、
私は私の「今」をがんばっていかなければいけません。  よね?


  *   *   *   *   *


昨日お花見に行ったことをへ書きましたが‥
「お花見日記」というのをつけていたら、おもしろかったなあと思いました。
10年日記みたいな要領で‥でも書いてあるのは、毎年のお花見のことだけ。
どこで、誰と、どんなお弁当を食べて、天気はどうで、寒かったとか、そんな程度の。

1回きりだとたいしたことがなくても、それが20年にわたって続けられていたとか
だと、結構おもしろいかなと思うのです。
娘の誕生日にプレゼントしたものとかも、記録しておくと、あとからみたときに
へえーと思ったりするんじゃないかな。本の題名とか。



ちなみに、私の宝物のひとつに、定点写真・結婚記念日というのがあります。
文字通り、結婚記念日に、家族で写真を撮り、それだけをアルバムに貼ってあるのです。




コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YELL

2010-03-21 19:11:08 | 想うこと
とんでもない悪天候でスタートした一日も、もう暮れてゆきました。

今日は、rが所属する吹奏楽部の定期演奏会の日で、今頃は、音楽室で
3年生とのお別れ会の真っ最中です。


冒頭の写真は、3年生だけで、いきものがかりの「YELL」を演奏しているところです。

とっても上手で、とっても感動しました。


いろんなことに、心が動かされ、涙がこぼれることが多くなってきているのですが、
この時も、本当に自然に、ぽろぽろ涙が出て困りました。
来年も、再来年も、演奏会はあって、再来年こそが、rのメインの年なのですから。


……


私は、中学、高校とバスケット部にいたので、チームでプレイすることとか
運動部の厳しさ、楽しさとか、それに伴う涙とかは、よーくわかっているつもりです。
娘が去年、あまりにもすんなり吹奏楽部を選んだとき‥音楽が好きなので、
そうするだろうことはわかっていたものの‥それでもほんのすこし、ゼイゼイ・ハアハア
しながら共に苦労を分かち合うということを、経験しなくてもいいのだろうか、練習の後の
水のおいしさを知らなくていいのだろうか、という気持ちが、私のどこかにありました。
でも、自分の子供といっても別の人なので、彼女なりの中学生活を、私は、今度は見守る側、です。
そう思いながら、1年近くがたった今、rの毎日は本当に楽しそうです。
疲れた、おなかすいたーと言って帰ってきて、話すことは部活のことばかり、そして、
いつも笑顔です。
私の知らないセカイで、知らない苦労もあるのかもしれませんが、それも先輩や友だちと
一緒だと、なんでもないことなのかもしれないなあと思います。

3年生は、そういう諸々×3年ですものね~そんな想いが、YELLのメロディと合って、
(昨日も、1,2年が帰ったあとも、残って練習していたと聞いたことを思い出し、)
気持ちが涙となって落ちました。
(3年生は、一度、夏のコンクール終了後に仮引退をして、その後受験が終わった人から
部に戻り、定演のために毎日練習するそうなのです)

舞台の上の15歳は、どんなことを想って演奏していたのでしょうね~
私には想像することしかできませんが、吹奏楽部を、娘が選んだおかげで、
別のドアの、学生生活を味わうことができて、しあわせだなあと思っています。



YELL。

自分たちの新たな旅立ちへのエールを、自分たちで送るなんて、
3年生、カッコよすぎます。

あ、後に続く1,2年生へ、励ましのエールだったのかも、と今気が着きました。



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向き合う

2010-02-01 19:39:49 | 想うこと
ちょっと思うところがあって、このブログの記事を、最初から
読み返してみました。

最初の投稿は、2005年6月27日。

最初の1冊という題名で、「あかいひかり みどりのひかり」のことを
手さぐりで書きました。

投稿、というボタンを押したときのドキドキを、今でもはっきりと
覚えています。


次の本、その次の本、というふうに、「好きな絵本」のカテゴリーを
はじめから20冊目まで見てみました。
(そこまでが、2005年の12月ぐらいまでの投稿でした。)
4年半も前のことだから、忘れているだろうと思っていたけど、読み返してみると
どの絵本のことも、それを選んだときの気持ちから、覚えていることに
すこし驚きました。

今ではこういうふうには書けないかも、と思うところもあれば、
かなり苦心して言葉を並べてるなあ、と思うところや、明らかに「読み手」を
意識し過ぎているものもありました。


明日また時間があったら、また20冊分くらいを読み返してみたいと思います。

「すこし前」の自分が、何を思って、どんな絵本を選んで、どんなふうに
それを文章に残したのか、ちょっと向き合ってみたいのです。




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年はじまりました

2010-01-04 19:28:58 | 想うこと
2010年
あけましておめでとうございます。

とても良いお天気の三が日を過ごすことができました。
今回は帰省旅行はなしだったので、「のんびり」をいろんなところで
感じた4日間でした。

特に何かを買ったり、探したりする目的なしに、デパートの各階を順に見たり、
洗濯ものを、まだ明るいうちに丁寧に畳んだり(笑)、お正月に、
お墓参りというのも初めて、しました。

満月も見たし、飛行機が雲の中から、ながーく尾を引いてあらわれて、
南から西へ動いていくのを首を反らせて眺めもしました。
誰が乗っていて、どこまで行ったのでしょうね‥



さて。
年の初めに、何の思いがおこったでしょう。

抱負でもなく、少し前から留めていることなんですが、
「やりはじめなければやる気はおきない」を、ここへ記しておくことにします。

どんなことでも、やる気が起こらないからすることができないのではなくって、
やり始めないから(体を動かさないから)、やる気が起こらないそうなんです。
脳の中のスイッチは、体を動かしてはじめて、オンになるということらしいです。
とにかく、ぐだぐだ考えているよりもまず立ち上がったり、手を動かしたり
した方がいいということですよね。
(たしかに、ちょっと面倒、と思っていることでも、やってみると結構おもしろく
なってきて、どんどん調子づいてきて、ということありますから。)



そして、もうひとつ。
去年の大晦日に、ふと(ものすごく怖いことに)気づいてしまったのですが‥
「この次」にトラ年がやってくるときは、12年のサイクルの(なんと)5度目!
ではないですか。オソロシヤ~

12年前の私、今の私、そして12年後の私。
当然のことながら、繋がっています。
12年前に思いを馳せてみたら、(あー)いろんなこと思ってました。
ひとつの大きな決意を、誕生日にした年であったことも思い出しました。
あれから12年たって、「ここ」へ来ていること、繋がっているけれど、想像も
できないことでした。
12年後は、「どこ」へ行っているのか、着いているのか、流れているのか‥
繋がっている自分を信じていくしかないですよ、ね。

それにしても、12年サイクルって‥10年ひと昔とも違うし、なんていうか‥
なじみ薄い分、ちょっと重いような‥ブツブツ





こんな年明けですが、2010年も、どうぞよろしくお付き合い
お願い致します。
(↑の絵は、『エマおばあちゃん』の中の好きなページです。
特別意味はないんですが・笑)






コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2009年・ありがとう

2009-12-30 19:23:15 | 想うこと
夕方、東の空にとてもきれいな月が出ました。
今度の満月は、1月1日。
なんだか縁起がよさそうな気がしています・笑

あと1日で、2009年が終わっていく実感はまるでないのですが、
今年の初めは、娘はまだ小学生で、私は、卒準委員の長で、と
考えていくと、それなりに時間は経っていたのだとちょっとしみじみしてきます。
春からの生活は、去年の今頃には思ってもみなかったし、今年も、新たな
出会いがあり、とても楽しい時間をたくさん過ごすことができました。

同じような毎日を過ごしているだけと思っていても、そんなことはないのだと
いうことに、少し経ってから気づかされます。



     

この写真は、20日の日曜日に初めて参加したワークショップ
私が作ったリースです。

出来上がって、ほかの参加者の方のを、見せていただいてから、
そうか、リースだから、ちゃんと丸くしたほうがよかったんだ、
ということに気がついたのでした。
(作っているときは、夢中になってしまって本来の目的を忘れてました‥)

でも、言い訳じゃあなくって、私はこのリース(もどき)が気に入っていて、
すごく自分らしいらしいと思いながら、この10日間眺めてきました。

どの辺りが私らしいのかというと‥まるくなりきらず(なりきれず?)に
左上と、右下に飛び出している枝のあたりなんですが‥
どんどんまだまだ伸びていきたいという、気持ちの表れということにしておきます。




(こんな私ですが)今年も1年間、どうもありがとうございました。

どうぞよいお年をお迎えください。
元日の夜には、一緒に満月を仰ぎましょう。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本のある日々

2009-10-28 11:14:10 | 想うこと
今日も気持ちのよい青空が広がっています。
外で、時折落ちてくる葉を感じながら、本が読みたいなあと思います。


夜、寝る前の読書がいっこうにはかどらず、何かよくない方向へ
自分が向かっているような(情熱の欠如ですね)。
何かよくないものが、自分へじわじわ染み込んでくるような(要するに怠惰です)。
そんな風に思っていたこの頃でしたが、先週木曜日の朝日新聞の
夕刊に、詩人の長田弘さんの文章が載っていました。

 悦ばしい読書  自分の時間で読み継ぐ   というタイトルです。

お読みになった方も、大勢いらっしゃるでしょうが、とてもとてもよいことが
書いてあったので、残しておきたいと思いました。


読書というのは、本を全部読み切ることではない、と冒頭で長田さんは書いてます。

じゃあ、どうするのが「読書」なんでしょう?

  読みとおすのでなく、読みさす。読み切るのでなく、読み余す。
  読みぬくのでなく、読み継ぐ。読み解くのでなく、読みとどめる。
  そうして、開いたまま本を伏せて、あるいは閉じて積んで、
  自分の日々の時間のかたわらに置く。

こうやって、「読みさしを繰り返すうちに、いつか気づくこともなく、その本の
言葉が自分のなかに畳まれていて、一度も通読した覚えがないのに、
いつのまにか全体を読んでいる」ことになり、「中断を楽しむことのできる本は
間違いなくいい本だということだった。」

そして、

  読書というのは、本を読むというだけのことではないのだ。
  本を自分の日々のなかに置いて、自分にとって必要な本の
  置き場所をつくる、そういう日々のあり方をすすんでもちこたえてゆく
  というのが読書なのだ。

文書は、最後に、黒田清輝の描いた『読書』という絵の、村娘の瞳の輝きに言及し、
この言葉で結ばれています。

  文字を見つめることは、こんなにも人の眼差しを透明に、無私なものに
  するものなのかというおどろきだ。



きらきらする秋の陽射しが、そのまま胸の中に飛び込んできてしまった
みたいに、読み返すと、高くなった気持ちが淵から飛び出しそうです。

自分の日々の時間のかたわらに(本を)置く 
 
いいことばですよね。
本がある毎日のしあわせに感謝しながら、また、読書欲を取り戻せそうです。


    *          *          *


今借りている本を読み終えたら、次は長田さんの本を読もうと、検索していたら、
知らなかった絵本を2冊見つけました。
 『なぜ戦争はよくないか

アリス・ウォーカー文 ステファーノ・ヴィタール絵 長田弘 訳

文章を書いたアリス・ウォーカーは、『カラーパープル』を書いた人
彼女の文が絵本になっていることにちょっと驚きました。


 『ちいさなこまいぬ』 キム シオン作 長田弘 訳

中国の作家による絵本のようです。


こちらは、長田弘さんのエッセイです。
「風景のひろがりのなかで、そこからしか見えないアメリカを問う、極上のロード・エッセー」と
紹介されていました。次に読むのはこの本に決めました。

アメリカの61の風景



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする