音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

友人

2014-12-15 23:39:15 | 哲学

土曜日に、外出していたら、Mさんから電話。
「大根とかぶらを頂いたんだけど、多すぎるからもらってくれない?」

「ありがとうございます。いただきます。」

大きなかぶら2個と大根一本。頂いてしまいました。
今夜は、ひろうすと小芋、小松菜とかぶらのあんかけ、生湯葉のネギ添え、白菜のかぼすの酢の物、昨日のキムチ鍋の残りをお汁にしたもの。
かぶら美味しかったよ~。心まであったまりました。ありがとうございまぁす。


日曜日は、同窓会。高校のときの漫画研究会の同期。ですが、いつの頃からか、クラブに入っていなかったIさん、となりの高校だったYさんも一緒。
7人で京橋の大北京の個室でランチ。
円卓っていいですね。広い個室でしたが、7人で囲むと方形と違って、みんなの顔が均等に見えて全員とお話しできました。

これって結構大きいのですよ。長方形だと座り方によって、あまり話せない人がでたり。
真ん中の人が身を乗り出して右隣の人と話し出すとその人から左がわの人は話に加われなかったりします。
私なんか真ん中に座ったらそれが気になって、背中を思いっきり壁にくっつけて食べる時には、ササッととって、また壁にはりついたり。
せっかく集まったら、全員と話したいものだから。

幸せも不幸もそれぞれの人生にはあります。誰の人生も簡単ことはありません。それでも、笑ってそこにいて、一緒に楽しい時間を作ってくれる。

時間は永遠ではないです。
ナースが聞いた亡くなる直前の方たちの後悔トップ5
http://youpouch.com/2012/02/06/53534/

の中に、「友人関係を続けていればよかった。」が入っています。

今年も無事会えてよかった。頻繁には会えませんが、いつでも友人と繋がれる温かい人生を送りたいと思います。











人はもっと幸せになれる

2014-12-04 21:01:03 | 哲学

実家のレモンが、今年もまた実をつけました。個数が増えていますが、やはり巨大。
子どもの頭ほどもあります。
味と香りを嗅ぐまでは誰もレモンだと信じません。「ざぼん」というのが初めて見た大体の人の見方です。


寒くなってきました。
寒がりの私は、天気予報を見ただけでも憂鬱。
そしたら今朝、仙台の友達から積雪の写真。facebookは自分の世界の小さを教えてくれます。
雪かきをしないといけないそうです。

もう一つFacebookで別の友達が教えてくれた、ホームレス男性の涙のわけ。
http://grapee.jp/20803

ポール・ピフ TEDのプレゼンテーション「お金が人を嫌なやつにする?」と一緒に見ると納得です。
http://www.ted.com/talks/paul_piff_does_money_make_you_mean?language=ja

お金や地位をもっていることと、人としての美しさとは、全く関係ない。
もっと、幸せを分かちあわなければ。世界は美しさに満ちています。





料理

2014-09-11 21:53:56 | 哲学

初めて使う食材、かぼちゃのバターナッツの種をようやく発見しました。
月曜日は上の方から、蒸しただけのもの、水曜日は薄くスライスして野菜炒めと食べていき、今日木曜日は下の部分。

レンジで蒸して、プロセッサーで潰してペースト状にして、お湯に溶かしたコンソメキューブと、豆乳の中に入れて冷製スープにしてみました。

これが一番おいしかった。残りこの種のところの後半分。何にしようかなぁ?

科学はお料理から始まったと言います。

何が食べられて、何が食べられないか?食べ合わせて良いもの、悪いもの。煮るのか、焼くのか、蒸すのか、生食できるか?
アクをどうやって抜くのか?どのように切るのが食べやすいのか?何で切るのか?

たくさんの人が、経験を積み重ね、成功し、失敗し。
成功のセオリーを作り、またそれを破り。

食べられるかどうか?の次には、美味しさの追求。
調味料をどう使うか?焼き具合、切り方、盛り付け方、何に盛るか?
繊細な味の違い、優雅さを追求する時、お料理はアートになります。

アートになるには、優雅さ、美にまで行かないと。

綺麗というのとはちがいます。生命に結びついた美しさ。

音楽もこうありたい。






8月の記憶

2014-08-29 23:06:28 | 哲学

このバラはとても強いです。寒くても、暑くても咲きます。18年前に牧野に引っ越してきた時から、旧宅の庭に植えてあり、北向き、暑さ、寒さ、乾燥、雪、どんなに環境の悪い年にもただずっと花を咲かせてくれました。
ただ、品種の名前がわかりません。バラは品種数が多く、写真を見て調べるだけでは素人ではさっぱり。
名無しの白薔薇さん、私たち家族とともに咲いてくれてありがとう。いままであなたにどんなに元気づけられたか。本当に感謝してます。


8月になると戦争のことがいろいろなところで取り上げられます。

以前にもブログで書きましたが、もう一度投稿します。

2010年父の実家に外務省から封書が届きました。
中には7人兄弟の末っ子の父のすぐ上の兄 隆の消息。

徳島、山川町の父の実家では、唯一、隆を知る実家を継いだ父の甥が亡くなっていて、この封書の扱いに困り、残った二人兄弟のうち、姉は入院中、父のところに転送してきました。

中には、ロシア政府から、提供された4万1千名の「ソ連邦シベリア抑留中死亡者名簿」と、新たに昨年12月に公開された、「ロシア国立軍事古文書館」に収納されている70万枚の「旧ソ連邦日本人抑留者に係わるカード」を照合して、「山口隆志」が、父の兄であることがわかったと知らせる文書でした。
ロシア語で書かれた文書の写真に添付された日本語訳には、

H700-5470 
氏名 ヤマグチ タカシ
生年月日 大正13年
死亡年月日 昭和21年 5月29日
埋葬地 第47収容所

他には、カルテ。死因は肺結核。
「1946年5月29日収容所第3支部にて死亡。区画番号No.5 墓番号 No.7に埋葬された。目印として、5/7と記された小さな碑銘板のついた杭がある。」

と、書かれていました。

厚生労働省のHPで第47収容所って、どこにあるのか調べてみると、

0024 第1449特別野戦病院・ポニ地区その1 62 210807 ヤマグチ タカシ ハバロフスク地方

ポニ地区の地図が掲載されていたので、見ると、ハバロフスクの一地区で、47ではなく、第46収容所があったことがわかりました。この名簿と、今度送られてきた照合書類の記載が同一人物であれば、ハバロフスクで亡くなったのかも?
しかし、この名簿の死亡時期、21年8月7日は、この照合書類とは合わないですが、おそらくこれであろうと思います。
死亡年齢は22歳。

隆の両親はとうに亡く、隆を知るのは父だけですが、その父も認知症で「隆、だれやったかな?」という具合。

実家は一度焼失したので、私たちは写真一枚見たことが無い。
語られるはずだった親族の隆の記憶、記録エピソードを語る人が存在しない。65年後に届けられたこの紙だけがある恐ろしさ。
記憶がないことへの罪悪感。
あれから4年たった今、年々強まる放置されたままの遺骨に対する罪悪感。

人として赦されないことが彼の身の上に起きた。
有り得ない、ひどい国家間暴力。
収容、厳寒の中の、過酷な労働、飢えによる暴力。
遺体に対する暴力
それからあまりにも、多くの人の上に起きたので、当時としては当たり前であるという考え方による暴力、
そのことを知った今、シベリアに放置したままであるという暴力
悼む人がいない暴力

愛の反対は暴力、蹴る叩くだけが暴力ではありません。国家間暴力、仲間はずれ、無視、も暴力の一種です。
忘却することは、忌み嫌う戦争という暴力に傍観者として加担すること。

彼もこのことでは被害者であったけれど、その時までは国家間暴力の加害者でもあったこと。また、彼を送り出した家族もまたそのことに加担していたということ。

親族のような気持ちで彼を悼むことはできないけれど、彼を忘れない。例え、名前だけであったとしても、そのことだけが愛と平和に繋がると考えます。









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音楽

2014-08-27 21:24:44 | 哲学

月曜日、Tさんとコンサートの打合せ。
頼まれてから3週間で本番。合わせる機会があまりとれない。ということで、大慌てで選曲。

楽譜がないものがあるので探さないといけませんが、なんとなく決まりました。
秋の抒情歌、メドレーなどなど。

それでもランチは、ゆったりと野菜たっぷりメニューです。↓ちょっと食べてから撮った。

子どもたちが、ひどいアレルギーで肉、卵、乳製品、油、発酵食品などを全く食べられずに育ったせいで、うちの食事はどうやって野菜を食べるか?というメニューです。

長男はひどい時は、何を食べても吸収しないで、皮膚や下から外にでてしまうので、腸の壁を強くするお薬を飲んでから食べるという生活。
検診の後、保健婦さんから何度も「何キロになりましたか?」と電話を頂いて、申し訳ないけれど辛かった。
食べさせようとしても赤ちゃんが痩せていて、どうしようもなかったのだけれど、それが、自分の落ち度で、責められているように思えて。
お医者さんもいろんな意見がある頃で、治療方針を自分で選ばなくてはならなかったし、食べさせなさいと言われる方も多い中での制限食でした。

実際には、先生を探して京都まで行き、何冊も医療や栄養の本を読んで、野菜だけでも栄養が不足しないように綿密に計算してのお料理。

おかげで、IGE1053という、とんでもない数値の長男でしたが、食べらるものは少ないですが、小学校に入る頃にはお肌ツルツル。私も家族もお相伴したせいで、アレルギー以外は悪いところも無く、心配した栄養不良もなく今では170センチを超えて成長。

すごい優秀に育ったり、大きなことを成し遂げたわけではないけれど、これは私たち家族が起こした小さな奇跡じゃないかな。

そんな中でも一人練習を続けていたことも奇跡。
目を離すとこどもが大変なことになるかもしれないので、あまり集中できなかったし、もっと勉強したかったけれど、私の人生、そう捨てたもんでもない。

息子も成長したし、これからは存分に音楽に集中し、勉強し生ききりたい。



正見

2014-08-01 23:33:21 | 哲学

蓮の花が咲いていました。
泥の中から花咲くので、泥の中にいながら、泥にまみれず清らかに生きるという宗教的意味を持つ花です。

また、ハチスの花という言い方は、この種のつき方からでたそうです。

人は、自分の見方で出来事を受け取っていきます。
同じことが起きても、人によって受け取り方は変わってきます。

だから、正しく見ることが大事。仏教の用語では正見といいます。
正しくというのは、この社会でいう正義ということではなく、難しい言い方ですが、まっすぐに見るというようなことでしょうか。

どんなことを言われても、どんな環境に置かれても、いつも笑顔でいれたり、感謝を忘れない人がいます。

この世で起きるすべてのできごとは、自分の学びのためにあると思ってみれば、一つ一つの出来事を良いこと、悪いことに分類して、喜んだり、がっかりするものさしで測るのではなく、その出来事から何が学べるか?といことが重要になり、そのものさしで測れば、どんな出来事も自分を向上させるために起きた貴重でありがたい経験である。というふうに捉えることができるのです。

正しく見るとは、出来事の部分を捉えて決め付けるのではなく、あらゆる角度、あらゆる尺度から見る。そして、わからないことはわからないままに置いておく。

善と悪、正義と悪徳など二律背反のような考え方で物事を捉えると、一番被害を受けるのは自分自身です。

成功すれば有頂天、失敗すれば自分を罰し、出来事から学ぶことは無い。
人生は複雑です。あらゆることで成功し続けることは難しい。その度に意識的にも無意識的にも自分を罰していたら、病気になってしまいます。

何かの結果を得るために修行するのではなく、人生そのものが、自分を高めるための学びの場であると考えれば、何が起きても充実した幸福な時を送ることができます。







慈悲の心

2014-07-25 22:44:22 | 哲学

うちで採れたミニトマトといちご一個。いちごはまだまだですが、トマトは今年やっとまともに収穫出来そうです。


ダライ・ラマが。チベットを追われて55年。
非暴力、平和への祈りは、今も続いています。

「世界の大宗教がいずれも「苦しみには、長所がある。」と解いている」

「苦しみを受け入れるのはつらいですが、そのことによって、人はより謙虚に、より大きな精神的進歩を遂げることができます。また、他人の苦しみに共感できるようになり、慈悲の心を持つことも、たやすくなるのです。」

「自分の考えに固執し、一人幸せになろうとするなら、苛立ちや不安、心配の種が増えて、不幸になっていく」

「人間に選ばれて生まれたなら、己の苦しみだけでなく、ほかの生きものの困難も取り除いてあげる道義的責任がある」

「他人を助けようという心を抱けば、自ずと望みが叶えられていく」

「心の安らぎが、外的な条件、つまり富や地位、権力によって得られるものではない。」

「心のあり方が健康を左右するという事実」

遠い世界の戦争や子どもたちの犠牲が、平和な日本の自分の中の利己心から生まれたと思うのは考えすぎでしょうか?




創る喜び

2014-07-24 21:09:14 | 哲学

最近の日差しのせいでサンルームの中が地獄の暑さ。多分、40度以上・・・なので、窓を開けていると、入ってきました。

アゲハ蝶。

出口を求めて、天井のすりガラスに寄ってしまい出られません。
仕方ないので、脚立を立ててそっとカーテンで包んで外に離しました。


笛を吹き出すと近所迷惑なので日中はずっと窓は閉めたままなのですが、音の出せない早朝はさすがに開けています。
今日は、手作りディ。クリスマスコンサートに使う絵本の絵の製作をGさんにお願い。
12頭のくまの家族のクリスマスの一日。文章と、シーン割り、キャラクター表をGさんに渡したら、「うーん。私ってどんな偉い人やねんなぁ。急にはできんわ。」ということで、しばらく考えてくれることに。

その間に、Mさんと私は割烹着の製作の相談です。
手持ちの布を出してみたら、カントリードールを作っていた頃の名残の布が大量に出てきました。
気に入って買った布ですが、忙しくてドールを作らなくなって忘れていました。
でも、好きな布ばかり。
人形用なのでメーターが少ない。「はごうか?どうしようか?」と考えていたら、大きな布が出てきました。
手作り素材で有名なH社が廃業された時に、布を大量に手放され、その時に安い値段で手に入れたものでした。

「これなら、継がなくても行けるよ。」
ヨッシャー!っていうことで、製作。布と一緒にコーヒーや紅茶で染めたレースのテープも出てきました。カントリーっぽくするために、わざわざ家で染めたんですよ。
誰かにもらったんで、大量にあったので使いきれていません。

「これを、ポケットにつけてくれない?」
「上からミシン叩くだけだったらいいよ。」

「首周りにもつけてくれない?」
「ポケットは、こっちの布を切って使ったらどうかな?」

「布が無駄になるよ。」
「使わないよりいいんだもん。」
といことで、こんなことになりました。

かわいいでしょ。
友達と作りながら、おしゃべりして、おしゃべりしては作り。
あーでもない、こーでもないとみんなと考える時間も好き。
こんなふうに作るといいものができるに決まっています。

そして、やめなけいで続ければ、もっともっとイイモノができてきます。

創造は人類の最高の遊びです。





愛は学ぶことができる。

2014-07-18 22:21:03 | 哲学

実家のアリッサム。この色が好きです。
明日は、地域の盆踊りのお手伝いに行く日ですが、午後から雨とか、だいじょうぶかな?
昨年は、全部用意したあとで、豪雨のため中止。16時5分でした。
音頭取りさんは着てるし、盆踊りの浴衣に着替えた盆踊り会のみなさんもいるし、子ども会や自治会の模擬店の準備終わってるし、諦めないでやってきた子どもたちを雷から守るために、校舎の廊下は満員。食べ物は半額で売り切り、あてものや、ヨーヨーも余り大変でした。といって順延になればなったで、そう簡単に人の手配ができないばあいもあるし。

順延になっても、中止になっても大変。お天気がうらめしい。

今、私たちにはかなりいろんな選択肢があります。
選択肢が無いと考えることは自由ですが、現実には即していない。

googleの検索画面を開けると、ネルソン・マンデラのイラスト矢印をクリックすると言葉が出てきました。GoogleはGoogleのできることをしているのでしょう。

「生まれた時から、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいないもし人が憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。

愛は、憎しみに比べてより自然に人の心にとどく。人生で大切なのは、ただ生きたということではない。

自分の人生を通じて、他の人々の人生をいかに変えることができたか、それが重要なのだ。

教育とは、世界を変えるために用いることができる、最も強力な武器である。

自由であることは、単に己の鎖を脱ぎ捨てるだけではなく、他人の自由を尊重し、より向上させるような生き方をすることである。

生きるうえで最も偉大な栄光とは、決して転ばないことにあるのではない。 転ぶたびに起き上がり続けることにある。」

暴力的な力を使う欲望や、絶対的な善を押し付けたくなったり、復讐心に囚われたりする愚かさに、巻き込まれる先は、勝っても、負けても、別の地獄のへの道しるべ。

力は支えるものがいなければ立つことはできない。
沈黙していれば加担することは無いと考えている人が多いですが、それは間違いです。
沈黙は賛成に一票で、沈黙の責任を取る時は必ずやってきます。
自分の持っている選択肢について、よく考えて、自分の存在は何を支えているのか?


選択理論

2014-07-04 22:16:33 | 哲学

選択理論という考え方があります。
「自由」とは、選択肢を持つこと。やりたい放題やるのが自由ではありません。
自分の人生は、運命や、環境にコントロールされているという考え方を選択理論に置き換えるなら、人は自由を得るようになると、シーナ・アイエンガーは「選択の科学」ーコロンビア大学ビジネススクール特別講義ーの中でいっています。

選択理論には10の原理があります。
1.私たちがコントロールできる行動は唯一自分の行動だけである。私たちが代償(ほとんど常に、重い罰か死である)を受け入れるつもりであれば、どんな人でも、私たちがしたくないことをさせることはできない。

2.私たちが与えることができるもの、ほかの人から受け取るものはすべて、情報である。その情報をどう処理するかは、それぞれの選択である。

3.長期にわたるすべての心理的問題は、人間関係の問題である。ほかの多くの問題の部分的原因、例えば、痛み、疲労、弱さ、そして慢性病のあるもの(普通、自己免疫疾患と呼ばれている病気)は、人間関係の問題である。

4.問題のある人間関係は、常に私たちの生活一部である。
人間関係を探るのに遠く遡る必要はない。問題は過去のものでも、将来のものではなく、常に現在の人間関係である。私たちは多くのものから自由になることができるが、少なくともひとつの満足できる人間関係なしには、自由で幸せな人生を送ることができない。…しかし、完全な自由な選択というのは不可能である。ほかの人の願望を常に考慮しなければならない。そうすると、結婚のような人間関係では、私たちの持つことができる自由は、関係が時間とともに変化するのに合わせて、継続的に再定義されなければならない。

5.過去に起こった苦痛は私たちに現在に大きく関係しているが、この苦痛な過去に再びもどることは、今、私たちがする必要のあるこおと、すなわち重要な現在の人間関係を改善することに、ほとんど、あるいは全く貢献できない。

6.私たちは遺伝子に組み込まれた5つの欲求、すなわち、生存、愛と所属、力、自由、そして楽しみの欲求によって駆り立てられている。これらの欲求は満たされなければならない。引き伸ばすことはできても、拒否はできない。自分だけがそれが満たされたことがわかる。ほかの誰も私たちに告げることはできない。私たちは、他人を助けることができるが、他人の欲求を満たすことはできない。自分の欲求しか満たせない。他人の欲求を満たそうとすれば、不可能なことに取り組み、身動きができなくなる。私たちは自由を失う。

7.私たちは上質世界に入っているイメージ写真を満足させることによってのみ、こうした欲求を満たすことができる。私たちの知っているすべての中で、上質世界に選択して入れるものが最も重要である。
 私たちがこれまで経験したほとんどの自由は、上質世界に入っているイメージ写真を満足させることができた時に得られている。満足させることができないイメージ写真を上質世界にれるなら、自由を放棄することになる。

8,私たちが誕生して死を迎えるまでに出来ることは全て行動することである。あらゆる行動は、4つの分離できない構成要素、行為、思考、感情、生理反応によって成り立っている。

9.すべての全行動は、動詞、あるいは不定詞や動名詞によって表現され、もっとも認めやすい要素によって呼ばれる。例えば、私はうつで苦しんでいる、あるいは、落ち込んでいる。ではなく「私はうつ行動を選んでいる」あるいは「私はうつをしている」である。・・・私たちはそれが一つの選択であることにすぐに気がつき、個人の自由を得たことになる。ここに、こうした選択を動詞で表現することが、とても重要である理由がある。

10.すべての全行動は、選択されたものであるが、私たちが直接コントロールできる要素は行為と行動だけである。しかしながら、自分の感情と生理反応のコントロールは、間接的に,私たちが行為と思考をどのように選択するかによって行っている。
 私たちは自分の感情と生理反応を直接コントロールできない。出来るのは行為と思考だけである。できるのは行為と思考だけである。

選択理論は「あなたは自分の人生だけはコントロールできる」という原理に基づいているそうです。