朝からフルート三昧。午前中は生徒さんのレッスン、昼からは、ピアニストSさんのお宅でピアノとアンサンブルをしました。
ヒンデミット(1895~1963)の無伴奏「8Stucke」をアンサンブルを始める前に、一緒に弾いてもらいました。フルートではつかみにくかったこの曲のリズミカルな動きのおもしろさ、切れのよさがピアノで弾くと際立って、また一つこの曲への理解が深まった気がしました。Sさんに感謝です。
1934年、ヒンデミットのオペラ「画家マティス」はベルリンフィル、フルトウェングラー指揮で初演、好評にも関らず、ヒトラーにより、上演禁止になります。ヒンデミットがユダヤ人音楽家と弦楽合奏をしていたのを嫌ってのことだといわれています。
フルトヴェングラーはこのことに対して抗議し、結局、ナチスは世界的に人気のあったフルトヴェングラーに擦り寄る形で、上演を赦します。しかし、ヒンデミットはその年にスイスに亡命。その後アメリカへ移ります。
フルトヴェングラーは、その後もベルリンフィルで指揮し続けますが、敗戦直前にはやはり亡命しています。
トスカニーニは戦争のはじめに、ナチスの音楽家になるなんてと、フルトヴェングラーと大喧嘩をして、袂を分かっていますが、このヒンデミット事件を通して、フルトヴェングラーの複雑な立場が浮かび上がってきます。
「大半の人はフルトヴェングラーかなぁ。」Sさんとヒンデミットをツマに話します。あらゆる中間管理職。父と子の間の母親、学校と子どもの間の先生。
「トスカニーニインタビューを見たときには、フルトヴェングラーはナチスに加担した、力の使い方を間違えた人と思ったけれど、こうしてみると、私達の大半はフルトヴェングラーの位置だよね。白薔薇のように戦った人は10%、積極的ナチス党員も10%、後の大半は沈黙し、傍観していていた一般市民。彼は音楽活動のことしか考えていなかっただけ。」
ヒンデミットの時代は、厳しいです。フルトヴェングラーはまだ、ヒンデミット擁護しただけ声をあげた人かもしれません。自分ならそのような状況で、声をあげられたでしょうか?命まではとられない今の時代であっても、傍観することで、子どもを取り落としてはいないでしょうか?まだまだ、修行が必要です。