音楽の喜び フルートとともに

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パッヘルベルのカノン

2022-04-12 22:05:56 | 名曲
昨日は渡辺橋、サロン ド プリンシパルでアンサンブルレッスンでした。

近くのダイビルは、古い柱門を残した近代建築です。




パッヘルベルのカノン、タウリのカノンのカルテットを練習しました。
榎田先生はバスフルートを、吹いて下さいました。
ヘビースモーカーの先生、間で喫煙休憩があります。
肺活量とロングトーンの長さは関係ない。女性でも空気を貯める2リットルのペットボトルを肺に持っているようなものです。
それを少しずつコントロールしながら吹いていく。
唇を狭めて、細い息で長く吹くことで音質も音量も良くなります。

ヨハン パッヘルベル(1653-1706年)神聖ローマ帝国自由帝国都市ニュルンベルク生没
パッヘルベルの「カノン」は世界一演奏されているカノンです。

実際は、カノン以外にもたくさんの曲を書いています。
しかもカノンはこれ一曲のみ。


ワイン商人の息子として生まれ、ルター派の聖ゼーバルドス教会で音楽を学びます。
学問の才能もあり、普通の大学まで行きますが、経済的理由で1年で退学。
奨学生としてレーゲンスブルクのギムナジウム ポエティクムに入学。
ここで音楽も学びます。

1673年ハプスブルク帝国の中心であるウィーンのシュテファン大聖堂

のオルガニストの地位を得ます。
カトリック教会であり、多民族が入り込んで来る大都会で、ルター派とは違ういろいろな文化に触れたと思われます。
1677年アイゼナハのザクセン公ヨハン ゲオルグ一世

の宮廷オルガニストになります。
ここでヨハン セバスチャン バッハの父親アンブロジウズ バッハと親しくなります。

バッハ家の子どもたちの家庭教師を任されます。後バッハ家とはずっと交流があったようです。

ところが1678年ゲオルグ一世の弟が亡くなると宮廷楽団は縮小。 

エアフルトに移り、ブレイディガー教会のオルガニストになります。

1681年エアフルト市長の娘バルバラ ガブラーと結婚。
1683年伝染病で1人息子と妻共に亡くします。
1684年銅器職人の娘ユーディトと結婚。5男2女をもうけます。
1690年ヴェルテンブルク公国のオルガニストになります。
1年で大同盟戦争が勃発。
1692年アウグスティノ修道会のマルガレーテ教会のオルガニストになります。
1694年かつての教え子ヨハン クリストフ バッハが結婚し、披露宴に作曲して参加しています。
ここでたぶん9歳のヨハン セバスチャン バッハと会っています。

1695年故郷のニュルンベルクに呼び戻されます。
市から日当が出たそうです。
ここで何曲か作曲しています。
1707年ここで亡くなります。

カノンは「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグニ長調」
として作曲されました。
ベルリン美術館に写本が残っています。

ほとんどの彼の作品が演奏されなくなりました。
1968年パイヤール管弦楽団が「カノン」を再発見、録音すると人気が出て、様々な編曲で演奏されるようになりました。
その際ジーグは省かれました。