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ラヴェルの戦争

2022-04-18 21:44:05 | 近代
ナガミヒナゲシ
1961年に帰化した植物です。
かわいいけど





増えすぎると駆除しないといけないみたいです。

ジョセフ モーリス ラヴェル(1875-1937年)

フランス共和国シブール生まれ、フランス共和国パリ没

ラヴェルは39歳の時に第一次世界大戦が勃発。兵士に志願しますが、161センチの小柄で、入団条件に2キロ足りなかったと言う理由で落とされます。ラヴェルの才能を惜しんだという説もあります。

諦められずラヴェルは1915年トラックの輸送兵として従軍します。



砲弾をかいくぐって兵站を届ける任務です。
70万人の死者を出したヴェルダンの前まで行きました。

その途中、腹膜炎になり手術をうけました。
終生戦争の傷が癒えることはなかったといいます。

ラヴェルはドイツ、オーストリアの音楽をフランスで上演禁止にする署名を断っています。
その時、
「私は〈我が国の芸術遺産の保護〉のために〈現代のドイツ、オーストリアの作品の上演を禁ずる〉必要があるとは思いません。それどころか、外国の同僚作曲家の創作を計画的に無視し、一種の国民的な同族主義をつくりあげるのは、フランスの作曲家にとっては危険なことです。そうすればすぐに、今はとても豊かなわれわれの音楽芸術も、型にはまった閉鎖的なつまらないものになってしまうでしょう。私にとっては、例えばシェーンベルク氏がオーストリア国籍であることは余り重要ではありません。また、そのことによって氏が価値の低い音楽家だということもないのです。氏の非常に興味ある探求は、連合国およひフランスの音楽家に良い影響を与えるでしょう。それだけではありません。バルトーク氏やコダーイ氏、そして彼らの弟子たちはハンガリー人ですが、私は彼らがそのことを音楽のなかに非常に上手く活かしていることにとても魅せられているのです。私はフランス音楽にどんな価値があろうともフランスでそれに特権を与えようとしたり、外国に宣伝したりする必要はないと思っています」


と説明しています。
戦争中に1917年母親を亡くすと急速に創作意欲を失います。

1927年頃から記憶障害を起こします。
1932年タクシーに乗っていて事故にあいます。
失語症も伴い、オペラ「ジャンヌ ダルク」


の執筆を始めるも「音楽は頭の中に出来上がっているのに、何一つ書くことができない。」状態に陥り、1937年にそれが原因で手術をしますが失敗し亡くなります。

ヴェルヴェデールとラヴェルが名づけたイヴリーヌ県モンフオール=ラモーリの家。




もっとも有名な「ボレロ」、ラヴェル自身の指揮による演奏です。



ラヴェル博物館になっています。