音楽の喜び フルートとともに

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アグリコーラ フランドル楽派

2022-04-09 16:41:47 | ルネッサンス
母の家が花盛り。
桃が満開。

ラナンキュラスも

きれいです。

オレンジラナンキュラス。

シクラメンも。


私は昨日古民家訪問の後、近所の小児科でワクチン3回目。
前回に腕にしこりができて半年痛かったので、何もない週末前にしました。
先生に心配と言ったら
「それは辛かったね〜。半年も痛いと心配やね〜。でも、やっばりね。明日はごめんね〜。腕痛いと思うよ。」

思い出しました。子どもたちが幼い頃
、心配を受け止めてから本当のことを言ってくれるので、病いのみならず、心も少し軽くなって帰ったのでした。

これからファミリー診療場を開かれるとのこと。
また、相談できるようになってうれしいです。

で、やっぱり痛いし、熱も出てきました。

今日は家で、お休み。
練習したいけど、ちょっとお預け。
昨日帰った時は、大丈夫だったので練習したのですが。

今日は38度。
お昼ごはんに夫が自分で出張で買ってきた仙台麩でどんぶりを作ってくれました。消化もよく食べてしまいました。

アレクサンダー アグリコーラ(1445or46-1508年)
中期ルネッサンス(1470-1520年)を代表する作曲家です。

このオランダ地図の9番がフランドル地方と呼ばれ、ここを中心に中期ルネッサンスに活躍した作曲家がフランドル楽派と呼ばれています。

13世紀には

ハンザ同盟が結ばれ、豊かな海運をバックに商品取引所か開設されました。

シャルル突進公が1477年戦士し、彼の娘ブルゴーニュのマリー

が、神聖ローマ帝国マクシミリアン1世と

結婚。

音楽や文化が花開きました。

アグリコーラの前半生は知られておらず、
複数の文献にドイツの(d'Allemagnod'Allemagna)と記されていることからドイツと関係があったと言われています。

イタリア、フランス、ネーデルランドと職場を転々としていました。
1471-1474年にはミラノのスフォルツァ公

のもとで働いていました。
彼はメディチ家への紹介状を書いて送り出しますが、その後の動きはわかっていません。
1476年ネーデルランドにいましたが、1490年以降フランスとナポリで彼の取り合いが起こるほど人気がでました。
1500年ブルゴーニュのカスティーリャ王フィリップ美公に仕え、各地を王と巡り、1506年スペイン バリャドリッドでペストのために亡くなります。