光明寺お寺ライブやってきました。
境内には彼岸花が咲いていました。
の詩に曲をつけたものです。
詩集「思ひ出」の中の1つです。
羽田住職とも3年ぶりです。
村野支援学校の生徒さんたちも元気に歌ってくれました。
次に私たち。
クラッシック音楽ばかり6曲なのに子どもたちもしっかり聴いてくれました。
ありがたいなぁ!
境内には彼岸花が咲いていました。
「曼珠沙華」(彼岸花)は
山田耕筰(1886-1965年)東京府東京市本郷生まれ、東京都成城区没
が、1911年
北原白秋(1885-1942年)
熊本県玉名郡関外目村生まれ、東京府東京市杉並区阿佐ヶ谷没
の詩に曲をつけたものです。
詩集「思ひ出」の中の1つです。
こどもを亡くした母親の歌という解釈や
思ひ出の序に
美くしい小さな Gonshan.忘れもせぬ七歳(ななつ)の日の水祭(みづまつり)に初めてその兒を見てからといふものは私の羞耻(はにかみ)に滿ちた幼い心臟は紅玉(ルビイ)入の小さな時計でも懷中(ふところ)に匿(かく)してゐるやうに何時となく幽かに顫へ初めた。
という、文章が載っていることから、白秋の幼い初恋の思い出と
白秋から感染ったチフスで死んだ乳母の思い出が混在しているという解釈などいろいろな説があって定まっていません。
ちなみにGONSHANというのは、柳川の方言で「良家のお嬢さん」という意味だそうです。
みなさんはどの解釈が合うと思われますか?
曼珠沙華
Gonshan,Gonshan 何処へゆく
赤い お墓の曼珠沙華 曼珠沙華
けふも手折りに来たわいな
Gonshan,Gonshan 何本か
地には七本 血のやうに 血のやうに
丁度 あの児の年の数
Gonshan,Gonshan 気をつけな
ひとつ摘んでも 日は真昼 日は真昼
ひとつあとからまたひらく
Gonshan,Gonshan 何故泣くろ
何時まで取っても 曼珠沙華 曼珠沙華
恐や 赤しや まだ七つ