先日行った京都出町柳。
骨董屋さんの店先。

見ているだけで楽しいです。
なかなか買わない悪いお客てすが…。
ジュゼッペ ヴェルディ(1813-1901年)フランス帝国タロ地区レ・ロンコーレ村生まれ、イタリア王国ミラノ没

「歌劇王」
どのオペラも彼の作品は有名で、上演回数も今でも多いです。
イタリアのお金、リラの絵になるなど、イタリアを代表する作曲家とも言えますが、意外にも生まれはフランス…?!
1804年ナポレオン ボナパルトによってフランス共和国第一帝政が始まると、彼は戦争で勝ち続け、北へ南へと領土を拡大。

1812年フランス

半島の付け根の赤いところがタロ地区
1808年パルマ公国領はフランスに併合され、1860年のサルディーニャ王国に併合されるまでフランス領でした。
ヴェルディの名前もジョセフ フォルトゥナン フランソワというフランス読みの名前で申請、記録されています。
農家のこどもでしたが、聖ミケーレ教会のパイプオルガンに興味を示し、8歳でスピネット(小型チェンバロ)

を買い与えられると、熱中し、すぐに指導を受けた教会オルガニストのバイストロッキを上回りました。
10歳でブッセートの音楽学校に入学。17歳でミラノ音楽院を目指すも受験に失敗。
音楽院の教師ラヴィーニャの個人指導を受けると彼は才能を発揮し、スカラ座

のマッシーニにも認められ演奏会を行い成功し、仕事も広がって行くようになりました。
しかし、ブッセートの恩師ブロヴェージが亡くなり、呼び戻され大聖堂のオルガン奏者指揮者兼音楽監督に就任し、地元の名士の娘マルガレータ バレッツイと結婚します。
2人のこどもも生まれますが、翌年長女が亡くなり、ミラノへ仕事を求めて出ます。
歌劇「オベルト」が上演され新しい契約も手に入れ、妻子を楽にできると安堵した矢先、残った長男イチリオが高熱で亡くなり、マルガリータも脳炎で、相次いで亡くします。
落ち込み、作曲をする気力も無くなり音楽から身を引こうとします。
しかしスカラ座の支配人メレッリに引き戻され「ナブッコ」を書きます。

1842年上演すると観客は熱狂し、大成功。ヴェルディは大家への道を歩み出します。
この頃からイタリアは、リソルジメント運動と言って国の復興と統一の気運が盛り上がっては、潰されるということを繰り返しています。
ヴェルディはその気運を取り入れ、次々と愛国心をストーリーに隠したオペラを書いてはヒットさせていきます。
1848年にはジュゼッピーナと出会います。
2月革命の時にはミラノでも臨時市政権が誕生しますが、それもまた崩壊します。
ヴェルディは世界中で公演して回っていますが、その間にイタリア統一のシンボルに祭り上げられています。
1859年ジュゼッピーナと結婚。
1861年イタリア王国が成立、請われてヴェルディは4年ほど議員になっています。
その後に作曲したのが歌劇「運命の力」

1862年ロシア サンクトペテルブルクのマリンスキー劇場

で初演されます。
ロシアはイタリアに比べて検閲が緩やかだったこと、契約の条件がよかったことから劇場の依頼を引受けます。
この歌劇は、愛しあう2人レオノーラとアルヴァーロが、銃の暴発で反対する父を殺してしまい、行き違いで互いを死んだと思いバラバラに。
レオノーラは修道士と祈り、アルヴァーロはイタリア戦線で偶然、彼を仇と狙うレオノーラの兄と一緒に闘うことになり、知らないまま、友人になります。
アルバトゥーラは戦乱で重症を負い、彼女への手紙を見つからなければ焼いてくれと託します。
そこから素性が暴かれ、傷が癒えた二人は決闘します。
アルバトゥーラは闘いたくないと一度は逃げますが、また、出会い、今度は兄を殺してしまいます。
そこはレオノーラが隠れていた洞窟で瀕死の兄はレオノーラを殺し、残されたアルバトゥーラは全人類を呪って投身自殺します。
あまりにも悲惨な結末にオペラは改定され、現在は、レオノーラが死ぬところで終わります。