鬼灯(ほおずき)がもう色づいていました。実をつぶさないように少しずつ揉んで、柔らかくし、そうっと皮を破らないようにゆっくり種を抜くと、残った皮で鬼灯の笛ができます。皮を膨らませて口の中に入れ穴を唇の後ろにあてて、ゆっくり押しつぶします。いい音というわけではありませんが、おもしろい音がします。
せっかちでも、力を入れすぎてもこの笛はできません。皮が破れてしまうからです。笛になってからも、音を出すのは難しくて力を入れすぎると簡単に破れてしまいます。私はこの笛を作るのが好きで、良く作りました。膨らませて、そのままビンに入れておくと、丸く膨らんだまま乾燥して、ドライフラワーのようになりました。なんともいえない風情で勉強机の上に何年もずっとおいていました。
今日は、祖母のお墓参りに行ってきました。
祖母は生田流宮城会のお琴の師範で、大正の女学生。阪神大震災の前年に86歳で亡くなりました。健脚で歩いてどこにでも行っていました。80才過ぎには海外旅行もしていました。寝込んだのは2ヶ月、病院に見舞いにいくと、私たちと話しながら、手はお琴を弾くように動いていました。
私はずっと死が怖かったです。不慮の死や、病死突然に生を断たれることに思いめぐらしだすととまらなくなって、眠れなくなりました。それが、祖母の死に接して、怖いのは怖いけれど、気持ちは落ち着いた気がします。
祖母には、いろいろなことがありました。学友の病死、戦争、夫の戦死。両親を見送り、3人の子どもを出産、子育て、再婚、再婚相手の死、息子の家族との同居。思うようにならなかったこともたくさんあります。恵まれたこともありました。口に出せないようなこともあったと思います。私が知っている祖母はほんの一部だと思いますが、亡くなった後、お寺でお葬式をしたとき、祖母の教えてきた生徒さんたちの長蛇の列は途切れることなく、皆さんの話を聴いていると、音楽を愛し、生徒を育て、わけ隔てなくいろんな人と接し、子どもを育て、孫に愛され、本当にいい人生だったと思えてきました。
「人は生きてきたように死ぬんだ」そんなことが分かってきました。今日、この時死んだとしても、それも自分自身の人生だと考えるようになってきました。私らしく生きていれば、私らしく死ぬことができる。死はそれ以上でも以下でもないから、安心して今を生きていいんだよ。そんなことを祖母が死を通して教えてくれたような気がします。
また、音楽は祖母の経済を支え、家族を支え、人生を支え、自尊心を支え、死との戦いにおいても祖母を支え続けたということを感じます。そして、戦争も、貧しさも、病いも、祖母から音楽だけは奪えなかったと思います。
物質に恵まれ、豊かな時代に生まれ、結婚し、夫に経済を依存している私には、音楽をやることにそんな切迫感はないです。切迫感がないということは、簡単に自ら音楽やレッスンを続けることを放棄してしまえるということです。もし、自らの中にエンジンやガソリンを与え続けなければ。
祖母はそんな私に、モデルを提示し続けてくれます。私は死ぬ時に何を傍らにおいているのか?
それは、私の精神性や、文化度を示すと思います。そのときまで私らしく生きる。それはきっと、日々生きるために片付けなければならない仕事をいかに感謝をもってこなすか?そしてそれ以外の時間を何に費やすかということで、決まってくるような気がします。
せっかちでも、力を入れすぎてもこの笛はできません。皮が破れてしまうからです。笛になってからも、音を出すのは難しくて力を入れすぎると簡単に破れてしまいます。私はこの笛を作るのが好きで、良く作りました。膨らませて、そのままビンに入れておくと、丸く膨らんだまま乾燥して、ドライフラワーのようになりました。なんともいえない風情で勉強机の上に何年もずっとおいていました。
今日は、祖母のお墓参りに行ってきました。
祖母は生田流宮城会のお琴の師範で、大正の女学生。阪神大震災の前年に86歳で亡くなりました。健脚で歩いてどこにでも行っていました。80才過ぎには海外旅行もしていました。寝込んだのは2ヶ月、病院に見舞いにいくと、私たちと話しながら、手はお琴を弾くように動いていました。
私はずっと死が怖かったです。不慮の死や、病死突然に生を断たれることに思いめぐらしだすととまらなくなって、眠れなくなりました。それが、祖母の死に接して、怖いのは怖いけれど、気持ちは落ち着いた気がします。
祖母には、いろいろなことがありました。学友の病死、戦争、夫の戦死。両親を見送り、3人の子どもを出産、子育て、再婚、再婚相手の死、息子の家族との同居。思うようにならなかったこともたくさんあります。恵まれたこともありました。口に出せないようなこともあったと思います。私が知っている祖母はほんの一部だと思いますが、亡くなった後、お寺でお葬式をしたとき、祖母の教えてきた生徒さんたちの長蛇の列は途切れることなく、皆さんの話を聴いていると、音楽を愛し、生徒を育て、わけ隔てなくいろんな人と接し、子どもを育て、孫に愛され、本当にいい人生だったと思えてきました。
「人は生きてきたように死ぬんだ」そんなことが分かってきました。今日、この時死んだとしても、それも自分自身の人生だと考えるようになってきました。私らしく生きていれば、私らしく死ぬことができる。死はそれ以上でも以下でもないから、安心して今を生きていいんだよ。そんなことを祖母が死を通して教えてくれたような気がします。
また、音楽は祖母の経済を支え、家族を支え、人生を支え、自尊心を支え、死との戦いにおいても祖母を支え続けたということを感じます。そして、戦争も、貧しさも、病いも、祖母から音楽だけは奪えなかったと思います。
物質に恵まれ、豊かな時代に生まれ、結婚し、夫に経済を依存している私には、音楽をやることにそんな切迫感はないです。切迫感がないということは、簡単に自ら音楽やレッスンを続けることを放棄してしまえるということです。もし、自らの中にエンジンやガソリンを与え続けなければ。
祖母はそんな私に、モデルを提示し続けてくれます。私は死ぬ時に何を傍らにおいているのか?
それは、私の精神性や、文化度を示すと思います。そのときまで私らしく生きる。それはきっと、日々生きるために片付けなければならない仕事をいかに感謝をもってこなすか?そしてそれ以外の時間を何に費やすかということで、決まってくるような気がします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます