近所のサツキ
きれいです。
先週植えたきゅうり
花が咲いてきました。
うまく育つといいなぁ!
今日水曜日午後からは久しぶりにうちでセンメルトリオの練習日。
掃除しなくちや!
5月30日のワンコイン聴き合い会のための練習です。
カール フィリップ エマニュエル バッハ(1714-1788年)神聖ローマ帝国ザクセン=ヴァイマル公領生まれ、神聖ローマ帝国ハンザ同盟ハンブルク没
の、「フルートカルテットG-durWq95」
を演奏します。
第一回合わせです。楽しみ!
彼は大バッハの次男としてヴァイマルに生まれました。
名付け親はバッハと親しかったゲオルク フィリップ テレマン(1681-1767年)神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領マクデブルク生まれ、神聖ローマ帝国ハンザ同盟ハンブルク没
彼のフィリップはテレマンに因んだものです。
父の赴任先のトーマス教会の付属学校で教育を受け、ライプツィヒ大学に学びます。
3年後、フランクフルト アン デア オーダーのヴィアドリーナ大学
現在のヴァドリアーナ大学(ブランデンブルク大学から統合)
に移り法学で取得しました。
に移り法学で取得しました。
しかし、間もなく司法は諦め、音楽で生きる決心をします。
プロイセン王国の皇太子フリードリヒ
のチェンバロ奏者としてライスベルク宮殿(ルピーンの宮廷)
のチェンバロ奏者としてライスベルク宮殿(ルピーンの宮廷)
に採用されます。
1740年フリードリヒ2世が王
になると、ベルリンの宮廷楽団員に昇格します。
1746年には王室楽団員に昇り詰め、ナウマン、グラウン、クヴァンツと共に、フリードリヒ大王に寵愛されました。
アドルフ・フォン・メンツェル作画の「無憂宮におけるフルート演奏」。1852年の歴史画であり、作者の想像に基づいている(実際の現場を忠実に模写したものでない)。中央で右向きに立ってフルートを吹いているのがフリードリヒ大王で、そのかたわらに(閲覧者に背を向けて)腰掛け、大王を横目に見ながらチェンバロで伴奏しているのがカール・フィリップ・エマヌエル
1767年テレマンが亡くなると、フリードリヒ大王の制止を振り切り、ハンブルクのヨハネウム学院のカントルにおさまり、テレマンの楽団の楽長を継ぎます。
生前は大バッハよりも知られていてモーツァルトは「彼は父であり、僕たちは子どもだ。」と言い、彼の曲を編曲した作品を書いています。
ベートーヴェンは彼を高く評価し、ブラームスは彼の曲を校訂しています。
特にクラヴィーア作品は評価されていますが、これは彼が左利きで弦楽器はうまくならなかったのでクラヴィーアに打ち込んだためと言われています。
「フルートカルテット」wq95はフルート四重奏と名前がついていますが、
ベルリンのジングアカデミーの画像からimslpに投稿されたものですが、どう見てもこれはフルート、ヴィオラ、クラヴィーアのトリオ三重奏です。
ベルリンのジングアカデミーの画像からimslpに投稿されたものですが、どう見てもこれはフルート、ヴィオラ、クラヴィーアのトリオ三重奏です。
出版社はHolograph manuscript, n.d.(ca.1776-88)の楽譜なので、カール バッハの生前に出版されています。
タイトルにカルテットとあります。
当時、通奏低音は、いろいろな楽器で演奏されるのが常でしたので、クラヴィーア譜を参考に適当な楽器を割り振ったのではないかと思います。
エマニュエルは大王のためにフルートのための曲を量産する必要があったのかもしれません。多忙な中、こういう譜面を書いたのではないでしょうか。
加えて、いろいろな楽器と重奏し、自由に楽しんだ当時の雰囲気が伝わる楽譜になっています。
チェンバロを思わせるピアノの伴奏 そして 楽しそうで勢いのあるフルートの出だしを聴いて モーツァルトのフルートソナタ ヘ長調K.13 第一楽章の冒頭を連想しました。
何となく 楽しく ちょっと弾む感じが 似ているかなと思いました。
さすがすごい感性ですね。
モーツァルトはカール バッハを尊敬していました。
楽しい演奏、楽しい曲ですね!