11月最後の日は曇り。
この前行ったノリタケの写真や近鉄特急の写真を眺めたりしていました。
もう元気になってきたので練習再開。
といえば「夜警」
サスキア ファン アイレンブルフ(1612-1642年)フリースラント(オランダ黒海沿岸)の都市レーワルデンの市長の娘で、財産を持っていました。
を囲い、ヘールチェと泥沼になっています。
は画廊を起こし、レンブラントを助けようとしましたが、2年後ヘンドリッケは娘を残して亡くなり、
ハーディーガーディー
風邪をひいて喉が痛くてお休み。
月曜のハープレッスン、フルートアンサンブルレッスン、今日のAED安全講習会子ども向けもキャンセルしました。
コロナかと思ったけれど2回検査して陰性。しかし、熱はないですがだるくて寝ていました。
この前行ったノリタケの写真や近鉄特急の写真を眺めたりしていました。
もう元気になってきたので練習再開。
しかし、家で。
レンブラント ファン レイン(1606-1669年)ネーデルラント連邦共和国ライデン生まれ、ネーデルラント連邦共和国アムステルダム没
といえば「夜警」
肖像画家で有名ですが、庶民の生活を描いた絵も残しています。
元々中流階級の製粉業者と、パン屋の娘の息子でした。
結婚した妻
サスキア ファン アイレンブルフ(1612-1642年)フリースラント(オランダ黒海沿岸)の都市レーワルデンの市長の娘で、財産を持っていました。
3人の子どもを産みましたが、幼くして亡くなり、最後に息子ティテゥスを産んだ翌年には亡くなります。
この息子が亡くなるまで財産の半分しか手をつけてはならないという遺書を書いていて、しかもレンブラントが再婚するとその權利は消滅するとなっていました。
彼女の死後、乳母のヘールチェ ディルクスと関係を持ち、サスキアの宝石を与えていますが、結婚話しが持ち上がるや、1650年彼女を感化院に閉じ込めています。
1649年から若い恋人のヘンドリッケ ストッフェルツェ
を囲い、ヘールチェと泥沼になっています。
晩年は豪邸を買ったり、投機を行ったりする上に、肖像画のしごとも減り、破産。
ティテゥスの相続もうまく行かず、
1661年ヘンドリッケとレンブラントの息子のティテゥス
は画廊を起こし、レンブラントを助けようとしましたが、2年後ヘンドリッケは娘を残して亡くなり、
ティテゥスも1668年2月に結婚しますが9月に亡くなります。
「流しの音楽家たち」
1635年アムステルダム国立美術館所蔵
ハーディーガーディーと、多分バグパイプ。
バグパイプ?ってゲルマン系のスコットランドやアイルランドの使うあの楽器?
と思って調べてみたら、レンブラントの故郷ライデンの北フリースラントは8世紀までゲルマン民族の居住する地域で、今もゲルマン系のフリース語という言葉を話す少数民族フリース人が住んでいる土地だということです。
はじめの妻サスキアの故郷。
親子はレンブラントか?
子ともは幼くして亡くなった二人のうちの一人。
フリースラントからライデンまで、やってきた音楽家たち。
バグパイプと
ハーディーガーディー
だけを持って町を周り、何度か演奏しその日やっと暮らしていける。
ほとんどの演奏家の貧しい暮らし。
親子の前で、腰をかがめて演奏するようすにレンブラントのささやかな幸せと温かい眼差しを感じるのです。
いつも温かいリアクション
ありがとうございます。
一年の締め括り・師走 12月が
明けました。
今月もどうぞ宜しくお願い致します。
札幌は一気に雪景色になりました。
今日もどうぞお元気でご活躍を(^-^)
50年近く何だろうって思ってました。
ありがとうございます。
こちらも寒くなって来ました。
どうかお体お大事になさって下さいね。
なかなかかっこいい。
アムステルダム美術館行かれたのですね!そう夜警は有名ですね。
フェルメールもありましたか。
ネーデルラントは画家組合があり、女性も入れて国力も文化力も高かったから…。