音楽の喜び フルートとともに

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2023-12-15 21:00:00 | 近代
先週行った酒屋神社の裏の池の写真。
小さな池ですが、4つ並んでいて、それぞれに景色が違っているのでした。

どこかでつながっているのでしょうが、その日は波もなく、水の上は鏡面のようでした。

バス釣りの人もちらほら

どちらが地面か?


モーリス ラヴェル(1875-1937年)
フランス共和国シブール生まれ、フランス共和国パリ没

フランス領バスク地方のシブールで生まれ、バスク人の母、スイス出身の発明家兼建築家の父の元に生まれました。
生後3ヶ月で、パリに移住。
パリ音楽院に入学すると。才能を発揮し多くの作品を生み出しました。

1900年からローマ賞に挑戦し2回目で3位に入賞したものの、その後も入賞を逃します。

1905年ラヴェル30歳、コンクール、年齢制限のため最後の挑戦の年に予選落ちしてしまいました。

ラヴェル
しかし、「亡き女王のためのパヴァーヌ」「水の戯れ」などの作品を発表し、評価が高まっていたラヴェルの落選は大スキャンダルになります。

「ラヴェル事件」でパリ音楽院の院長テオドール デュポワは辞職に追い込まれ、後任についたガブリエル フォーレ(1845-1924年)

1905年フォーレ
がパリ音楽院のカリキュラムを改革することになりました。

その1905年、作曲されたのがピアノ組曲「鏡」です。

ラヴェルが所属していたアパッシュ(ごろつき)
1900年結成パリの音楽家、詩人が結成 ドビュッシー、カプレ、ファリャ
、ビニュスなどが所属していて、新しい芸術を支持していました。

この曲集はアパッシュのメンバーにそれぞれ献呈されています。



ピアノ組曲「鏡」
1.蛾(Noctuelles):詩人のレオン=ポール・ファルグ(1876-1947年)に献呈。クロスリズムが目立つ曲で、曲名である蛾は娼婦を暗示していると考えられています。

左からレオン=ポール・ファルグ、モーリス・ラヴェル、ジョルジュ・オーリック、ポール・モラン(1927)

2.悲しげな鳥たち(Oiseaux tristes):初演者リカルド・ビニェス


ビニェスとラヴェル
1875年2月5日 - 1943年4月29日)は、フランスで活躍したスペイン人ピアニスト、作曲家。ドビュッシー、ラヴェルの一連のピアノ曲の初演者として歴史に名を残します。プーランクのピアノの師としてもたびたび言及されています。。
に献呈。
「夏の、とりわけ暑い日に、暑さで眩み迷い子になった鳥たちの姿。真夏の光も届かない、 ほの暗い森の中で動けなくなった鳥たちは、ひっそりと息絶えます。」とラヴェルは語っています。

3.海原の小舟(Une barque sur l'océan):画家のポール・ソルド

ラヴェルがソルドに宛てた手紙1905年
に献呈。
 
神奈川沖浪裏 葛飾北斎のこの絵にインスピレーションを受けたと言われています。
ソルドが紹介したのかも。

4.道化師の朝の歌(Alborada del gracioso):批評家のミシェル・ディミトリー・カルヴォコレッシ

1877年10月2日 マルセイユ – 1944年2月1日 ロンドン)は、ギリシャ系フランス人の音楽評論家・詩人・翻訳家
に献呈。
この曲のみスペイン語の題名。他はフランス語です。ファンタンゴなどスペイン風のリズムが使われています。

5.鐘の谷(La vallée des cloches):作曲家のモーリス・ドラージュ
(1879年11月13日 - 1961年9月21日)は、フランスの作曲家。姓はドゥラージュとも読みます。裕福な資産家で、パリ、オートゥイユにアパッシュのために敷地を提供していました。
に献呈。
「正午にいっせいに鳴り響く、パリじゅうの教会の鐘の音からインスピレーションを得た」とラヴェルは語っています。

「鏡」第3曲「海原の小船」



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