第2火曜日10:00からは会館との2で子育てサロンです。
コロナ以来利用者が減っていましたが、4月新しい年度になったからか、人が戻ってきました。
今回はたまたまおやすみだったというお父さんも来ていました。
それから、8月出産予定の妊婦さんも。
サロンをやっていて、「お父さんも、来てくれたらいいのになあ。」といつも言いあっていますが、初めて。
とっても爽やかでお母さんたちともこだわりなくお話しされていて、大げさかもしれませんがサロンにも新しい時代が来たような気がしました。
たくさんのお父さん、お母さんが子どもを連れて来てくれるとうれしいなぁ。
もちろん妊婦さんや、おじいちゃん、おばあちゃん、保護者の方、誰でもお子さんと来てください。大歓迎です。
事前申込み不要、無料です。
来月はふれあい遊び、絵本の他、透明うちわを子供たちと作ります。
ぜひ、おいでください。
片付けも、打合せも終わって、帰ろうとしたら、玄関に桜の花びらが
散る花を 惜しむ心や とどまりて
また来ん春の たねになるべき
山家集 西行
日本人の花見好きのルーツは、西行にあると私はみています。
つい最近まで謡いや地歌を嗜む人は多くいました。
結婚式などでは、近所に上手な謡い好きのおじさんが1人はいて「高砂」を頼まれたりしたそうです。
「日本の文化を大切に。」とかいう偉い方たちに、年に一度も邦楽や能を聴きに行ったことのない人が多くいて笑ってしまいますが、そういう私も情けないことに謡いの1つも歌えません。
芸術はどこの国のものも大切。
人の生命を生き生きさせるものならば
西行(1118-1190年)京都府京都市生まれ、河内国石川郡弘川(中世以降の同郡弘川村、現在の大阪府南河内郡河南町弘川(紀伊国田仲荘(紀の川市)説もあります。)没
北面の武士として活動していましたが、1140年22歳の時に出家して僧侶になります。
戦乱の時代にあって、戦うことを放棄して各地に草庵を結び、何度も放浪の旅に出ています。
和歌を約2,300首読み。
勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。
家集に『山家集』(六家集の一)、『山家心中集』(自撰)、『聞書集』。その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があります。
世阿弥(1363-1443年)
は、日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれてます。
世阿弥像 正法寺像 世阿弥作「西行桜」
都の外れ、西山にある西行の庵は桜の美しいことで有名でした。
毎年、花見の客が訪れ、賑わいました。西行は、静かな隠遁生活が破られることを快く思わず、能力(従者)に花見を禁止する旨を周知させるよう命じます。
ところが、禁止令を知ってか知らずか、都の花見客が訪れ、案内を乞うてきました。
西行も無下に断れず、庭に入るのを許します。
しかし静かな環境を破られてしまったという思いから、
花見んと群れつつ人の来るのみぞ、
あたら桜のとがにはありける
(花見を楽しもうと人が群れ集まることが、桜の罪だ)と歌を詠みました。
その夜、西行が桜の木蔭でまどろんでいると、夢の中に老人が現れました。
老人は、「草木には心がないのだから、花に罪はないはずだ。」
と先ほどの西行の詠歌に異議を唱えてきます。
西行は納得し、「そういう理屈を言うのは、花の精だからであろう。」と老人に語りかけました。
老人は、「自分は老木の桜の精であり、花は物を言わないけれど、罪のないことをはっきりさせたくて現れたのだ。」と明かします。
桜の精は、西行と知り合えたことを喜び、都の花の名所を紹介し、
「春の夜の一時は千金に値する。」と惜しみながら、舞を舞いました。
やがて時は過ぎ、春の夜が明け初めるなか、西行は夢から覚め、桜の精の姿は、散る花とともに静かに、跡形もなく消えていきました。
高杉晋作の情報ありがとうございます。
東行庵のこと知りませんでした。
西行は中世、近世の多くの人に、憧れられています。世阿弥もそうです。
芭蕉も西行の足跡をたどるために「奥の細道」の旅に出たと書いています。
「コダマ」見えますね!本当に力と養分を子どもたちからもらっています。
高杉晋作は東行と称していましたね。西行に憧れて、自分の東行と言うことにしましたね。
↓ 参考
https://shinsaku-m.com/history/%E6%9D%B1%E8%A1%8C%E5%BA%B5/
いつもありがとうござ
います😊
あっ!幼子達がまるで
ジブリの「コダマ」達に
見えます。
可愛いですね😊😊
心和む画に感謝😊