雨の渡月橋。
ソメイヨシノは葉桜になり
しだれ桜が満開でした。
雨では人力車も寂しそう
鷺が魚を狙っていました。
嵐電の飾りも雅。
風車のお店で
お茶パフェ食べました。
歌川広重の渡月橋。
と言われたのが渡月橋という名前の始まりだそうです。
5世紀後半に秦氏が堰を作って灌漑用水を利用したそう。
イオンに行こうと思ったら、大渋滞で入れず、ふら~っと嵐山まで行ってしまいました。
夫、確信犯。
ソメイヨシノは葉桜になり
しだれ桜が満開でした。
雨では人力車も寂しそう
鷺が魚を狙っていました。
嵐電の飾りも雅。
風車のお店で
お茶パフェ食べました。
抹茶とほうじ茶のソフトアイスとコーヒーゼリー。
冷たくて食べきれないかと思いましたが、生クリーム入りでアイスはそれほど量がなくて、完食しました。
歌川広重の渡月橋。
834年〜848年に僧・道昌が架けました。
鎌倉時代に亀山上皇が満月の夜に舟遊びをして、月が傾いていくのを眺めて、橋の上を渡るように見える
「くまなき月の渡るに似たり」
と言われたのが渡月橋という名前の始まりだそうです。
元は道昌にちなんで法輪寺橋
といったそうです。
橋を挟んで上流を大堰川、下流を桂川と言うそうです。
5世紀後半に秦氏が堰を作って灌漑用水を利用したそう。
江戸時代にはこの辺一帯が観光地になっていました。
遅くにすいません、
渡月橋も中国の僧侶ですかね?
京都市は、渡来人の秦が、中国の成安を真似て
作ったと、息子が大学生の時成安に行ったので
教えてくれました、
私は太秦を、昔は、どう読むのか分からず、
あとから、秦の名前から来てる事が分かりました、
上流は、知りませんが、桂川は、誰もが知ってる
河川ですね、
桂川も途中で、大阪の淀川に合流していたと
思うのですが?
日本の文化は中国から来てますから、
法輪寺は、私も息子も十三参りに行きました、
嵐山の小倉山は、空海が中国から、小豆の苗か、種を持ち帰り、山に植えたことから小倉山と
名付けられたと聞きました、
歴史は考え出すと果てしないですねえ。
関係があったと考える方が自然ですね。
おもしろいですね。
渡月橋より上流は大堰川で、桂川は八幡市まで来ると、宇治川、木津川と合流して淀川になります。
小倉山は小豆を植えたから、おもしろいです。
小豆粥を食べたり、赤飯を炊いたり、小豆は今より特別な意味のある食材だったから山に名前をつけても不思議では無いですね。
そう言えばあずきを小倉と呼んだりしますね。おもしろい❗
京都は高く売れたでしょうね。
福利厚生、年功序列全て会社が抱えた時代の終わりの始まりの時。
そういうことがあったのですね。
嵐山は変わらず美しかったです。また、お出でくださいね。